高さの揃った机を四つくっつけて一塊のテーブルにしたら、テーブルクロス代わりの布をかける。普段授業で使っている椅子にリボンや造花を飾り付けただけで、雰囲気は随分華やかになった。
各テーブルに置く手作りのメニュー表を作ったのは、手先の器用でセンスの良い美術部の子たちだ。一つ作るだけでも大変だっただろうに、「なんか楽しくなっちゃって」って、教室に並べるテーブルの数だけ制作してくれたらしい。完成品を見せて貰ったときはびっくりした。どれもが繊細で、可愛くて、手の届かないところに飾っておきたいくらいの出来映えだったから。
「へー、すげーじゃん。めっちゃ良い」
部活も忙しいだろうにありがとな、って笑う玲王くんに、「全然平気!」って返す彼女たちは、玲王くんが男子に呼ばれて席を立ってしばらくしてから、きゃあきゃあ黄色い声をあげていた。「やば、褒められた! 頑張ってよかった〜」「やっぱりかっこいいね〜!」ってにこにこ話す彼女たちの輪の中に、制作に携わっていない私が入ることは勿論できないけど、心の中で一緒にきゃあきゃあ言うくらいは許されたい。玲王くん、かっこいいよね。細かいところもたくさん見てくれて、すごいよね、嬉しいよね、って。
一度は落ち着いたように見えていた玲王くんへの不特定多数からの熱は、この文化祭の準備期間を経て、確実に増している。「スーパー高校生御影玲王」が、同級生としてより身近に感じられるようになっているからかもしれない。
玲王くんは係の枠組みを超えて色んなところに顔を出した。カップケーキの種類に関する案出しや材料の調達について、当日の教室の飾り付け、値段の調整。困っている人がいたら一緒に考えて、アイデアを出す。そういう視野の広さとか、気遣いとかを持っている人なんて、「御影」のネームバリューがなかったとしても好かれるに決まっている。
文化祭を明日に控えた白宝高校は、教室の中だけじゃなくて、廊下も、窓の外まで賑やかだ。ぎゅって圧縮された熱が隙間から少しずつ放出され始めていて、それにあてられた私は、どうしようもなく浮かれている。普段の教室が、がらりとその姿を変えているせいだ。
可愛いメニュー表だけでも充分に見えたけれど、家から持ち寄ったそれっぽい小物で飾り付けると、テーブルは益々明るく華やかになった。教室の展示物は全て剥いで、フェイクグリーンや造花で飾る。立体をイメージするといいよって言う夏帆ちゃんの隣で、私もお花をいくつか並べて見たけれど、華道が得意じゃない私の担当した部分は、何だか浮いて見えた。「やっぱりここも夏帆ちゃんが飾った方が良いんじゃない……!?」って尋ねる私に、夏帆ちゃんは、「いいじゃん、可愛いよ」って笑ってくれたからそのままにさせてもらったけれど、本当はちょっと、落ち着かない。
壁の飾り付けを終えて、ぐるりと教室を見回す。教壇の手前に作った、売り物のカップケーキを並べるカウンターは勿論空だけど、その他はほとんど準備が終わり始めているようだった。そろそろ家庭科室にいる三浦くんたちのところに行って、カップケーキ作りの手伝いに回らないといけない。夏帆ちゃんに断って、改めて玲王くんの姿を探す。
男子に声をかけられて席を立っていたはずの玲王くんは、いつの間にか女子のグループの輪の中で、紅茶と、恐らく手作りの説明書きとを見比べていた。声をかけるのが億劫ではなかったと言えば嘘になるけれど、それでも「玲王くん」と名前を呼べば、玲王くんはそのまま、女の子たちの視線を全部連れて、私を振り返る。それだけで本当は、胸が跳ねてしまう。
「どした?」
「ん、えっと、私、そろそろ家庭科室にお手伝いに行くね」
「あー、了解。手伝い張り切って、焦がすなよ?」
「……焦がさないよ」
苦々しく返す私に、玲王くんの周りにいた他の子たちは「いってらっしゃい」って手を振ってくれるから、私も「うん、いってきます!」って手を振り返し、玲王くんたちに背を向けた。だけどその時、「」って声をかけられて、足を止める。反射的に振り返れば、椅子に座ったままの玲王くんが半身を捻ってこちらを見ていた。その眼差しの真っ直ぐさに、不意を打たれたみたいに、目が眩む。
「終わったら俺もそっち行くわ」
本当に、何てこと無い会話なのだ。
なのにどうしてこんなにも、玲王くんの目や言葉に、いちいち頬を張られたような気分になるんだろう。私に向けられたそれらが、端から端まで輝いて見えるんだろう。
「うん」って口にした声が掠れる。玲王くんの放つ光に頭から飲み込まれて、その瞬間、わっと顔に熱が籠もるのが分かる。それをみとめられるのが嫌で、私はいつもより歩幅を広くして、教室を出た。「ねえ、前から気になってたんだけど、玲王って――」誰かのそんな言葉が聞こえた気がしたけれど、足を止めるとか、振り返るとかはしない。心臓がばくばくと音を立てていて、耳障りなくらいだった。廊下は、教室よりかは空気が澄んでいた。
色んな飾りで溢れた学校の中を、まともに見ることもできずにほとんど俯いて歩いて行く。文化祭の準備に追われる学校の明るい喧噪や様子を、本当だったらもっと楽しみたかったのに、余裕がない。玲王くんとお話する度にいちいちこんな風になるなんて、なんて難儀なんだろう。ドキドキして、顔や態度に出てしまう。好きって思いが、急にある一点を超えて、溢れ出る。そうなると、私は都度、こうして逃げるしかない。
婚約者なんていう間柄じゃなければ、距離を置いて、憧れと表裏一体の偶像崇拝みたいな恋をしたのに。必要以上に近づくこともせず、目で追うだけだったら、こんな風に慌てて逃げることもないのに。でも、じゃあ婚約者っていう立場を捨てるかって言われたら、絶対嫌なのだ。私は玲王くんの婚約者っていう立場にしがみついているし、手放すつもりもない。玲王くんから「いらない」って言われるまでは、玲王くんの傍にいたい。
なにもかも、お父さんのおかげってだけなのに、ずるいよね。
「はぁ〜…………」
熱い両頬を挟み込むみたいに、手の平で触れる。玲王くんのことを、遠くに追いやるように、今は小さく息を吐くしかない。
「前から気になってたんだけど、玲王ってどうしてさんのことは下の名前で呼ぶの?」
紅茶の説明書きの最終チェックをしていたときに、不意にそう尋ねられ、一瞬読む目が止まった。
六月上旬。文化祭の前日。粗方準備の済んだ教室では、手持ち無沙汰になりはじめているやつらがちょこちょこいる。が手の足りないところを回ってくれたおかげだろう。そう、。どうして下の名前で呼んでいるか、ね。二ヶ月以上も同じ教室で過ごしていたけれど、その質問は初めてだ。
さん、って言われて俺がまず思い浮かべるのは、の父親の方だ。――父さんは彼を下の名前で呼ぶけれど、母さんは、昔から彼を「さん」って呼称する。人の好さそうな顔をした「さん」を頭に浮かべながら、「んー?」って、わざと間延びした声で聞き返す俺に、隣に座った彼女は「だから、さん」って、同じことを繰り返し尋ねるから、とうとう目線を上げた。それで、面食らう。まさかそこにいた数人の女子の視線が、全部こっちに向いているとは思わなかったのだ。
「やっぱ学級委員同士だから?」
「でもなんか、その前からさんのことを名前で呼んでたの、聞いたことあるよ」
「そうなの?」
「聞き間違いじゃないなら」
視線が突き刺さる。
こういうことが起きうる可能性を考えていなかったわけじゃないが、だからってと距離を置こうと思ったことは、一度もなかった(の方は、まあ、そうでもなかったみたいだけどな)。そもそも、俺の方は何の問題もないのだ。婚約者がいると周知されることも、それがだと認識されることも。それで学校生活に変化が起きることは、あまりない。
だけどは違う。
著名な陶芸家の娘とは言え、それで彼女が周囲から俺並の注目を浴びることはない。だから、あいつは今人並みの、波風立たない学校生活を送っている。だけど、俺の婚約者となれば話は別だろう。御影玲王の婚約者、それが広まったとき、色眼鏡で見られるのはだ。それで窮屈な思いをさせてしまうのは、どうしても忍びなかった。だから、数秒思案して、「――俺達、幼馴染みなんだわ」と、言ったのだ。
「親同士が仲良いの。だから、のことは昔から知ってる」
嘘は一つも吐いていない。ただ、意図して言わなかった言葉があるだけで。
俺の言葉に、彼女たちは各々目を見開いていたけれど、何か言われるよりも先に、手元にあった紅茶の説明書きを手渡した。
「すげー分かりやすいわ。いいよ、これ」
ありがとな、って。
自分の価値は分かっているけれど、その価値を売り物にしているつもりはない。だけど今回に関しては、追求を躱すための道具に、結果的にはなってしまったのかもしれない。席を立ち上がる俺に、看板を作っていた男子がタイミング良く声をかけてくれたものだから、そちらへ向かう。「玲王と幼馴染みなんて、良いなあ〜!」俺の耳はそんな声を拾っていたけど、どうだろうな。
端から決められた人生の、何が面白いんだか、俺には全く分からない。