「カップケーキと紅茶のお店」は、生徒会の審査を経て無事に承認された。ちょこちょこ申請書を突っ返されたクラスもあるって聞いたから、やっぱり玲王くんのチェックと修正が良かったんだと思う。何はともあれ、一つ大きな関門を突破できたのは安心した。
そうなると次は六月上旬にある白宝祭に向けて、材料の調達方法や調理、喫茶スペースに関する話をまとめなくてはならない。結果、学級での話し合いが頻繁に行われることになるんだけど、玲王くんはそれら一つ一つの決定に関しても、遺憾なくリーダーシップを発揮した。
当日の空き教室を確保し、調理スペースとして利用できるよう申請。調理部にオーブンレンジや冷蔵庫を借りることができないか確かめたのも早かった(無理だったらうちで準備するわ、って玲王くんはなんてことない風に言っていたけど、恐らく御影コーポレーションの力を持ってすれば容易く可能であろうとは言え、そこまで頼るのも良くないような気がしたから、調理部の先輩から貸し出し可の返事をもらえたときはほっとした)。
喫茶スペースの飾り付けに関することや役割分担、当日までの流れ。皆の意見や質問を一度全部受け止める玲王くんは、教室の風通しを良くして、よくない空気が停留しないように目も心も配る。決めることも、やらなくちゃいけないこともたくさんあったのに、玲王くんはありとあらゆるものを一度手元に集めて、きれいな形に丸めてから皆に返した。そうすると、問題点も改善案も分かりやすく浮かび上がって、私たちはそれを元に思考し、行動ができるようになる。
「玲王くんがいると、やっぱ全然揉めないねー」
クラスメイトの女の子が呟いた言葉に、私は玲王くんの背を見る。その大きな背中を視界の真ん中に置くとき、私はいつも、胸にほのかな熱を生んでいる。
「、料理できるようになったのかよ?」
玲王くんにそう尋ねられたのは、六月に入ったばかりのホームルームで、文化祭当日の役割分担を決めた直後のことだった。
ホームルーム後の放課後、私はその日の話し合いを経て決まったことをノートにまとめるようにしている。と言っても、自分が書いた黒板の文字を写すだけだ。「マメだなー」って、玲王くんは呆れ半分に言うけれど、そうでもしないと忘れてしまうから仕方ない。クラスひとりひとりの役割なんて、余計そうだと思うけど、玲王くんはいちいちメモに残さなくても覚えていられるんだろうか。
黒板に書かれた「調理係」のところに、私の名前はあった。係を決めるときに「じゃあ私も」って手を挙げたのは、つい数十分前のことだ。
「できるかできないかって言われたら、できない寄り……」
目を逸らしながらそう答える。「料理できるようになったのかよ」っていう玲王くんの言葉は、だけど微妙に含みがあるような気がして、ちょっと考えた。子供のときに玲王くんにあげたブラウニー(お母さんの手伝いを拒否したらものの見事に失敗したけれど、バレンタインだし、と思って、一番マシなやつを玲王くんにプレゼントしたのだ)のことを覚えて言っているんだとしたら、ちょっと気まずい。今すぐ記憶から消してもらいたい……けど、でも、覚えているわけないか。あんな昔のこと。自分自身に言い聞かせるように思う。
「てっきりは接客の方だと思ってたわ。お前と仲良い……種山さんらも接客だしさ」
「夏帆ちゃんとリサちゃんね。最初はそのつもりだったんだけど、なんか調理の方の人数が足りなそうだったから……」
ノートにそろりと目線を落とす。調理係は、他の係と比べて数えるくらいしかいない。
玲王くんの言うように、私も気心知れた友達と一緒に接客をしたい、って気持ちはそりゃああったけれど、調理する人数が少ないのは困る。基本的には前日の放課後に大量に作ったものを冷蔵庫に入れておいて、それを販売、っていう形を取る予定ではいるけれど、当日の売れ行きによっては日中に増産することになるかもしれないらしいし、だったら尚更人手は必要だろう。
私自身料理の経験はほとんどないし、過去に自分が生み出したものを思い返せば、躊躇の気持ちが一切ないって言うと嘘になる。でもカップケーキは簡単だって言うし、調理部の三浦くんもついているから、まず滅多なことにはならないだろう(私も精神的に大人になったので、意固地になって手伝いを拒否することも当然無いし)。だったら、私でもいないよりはマシかもしれないなって、そう思ったのだ。それに、これを機にお菓子作りができるようになったらラッキーだし。
「ま、確かにこれでギリギリって感じだよな」
そう言いながら、机の向こうに立つ玲王くんは私のノートを見つめている。黒板に書いたものよりは幾分マシだけど、やっぱり自分の書いたものを見られるのってどうしても緊張してしまう。
「キツそうなら、俺もそっち入るか?」
「うーん、でも玲王くんは接客がいいと思うな。いざってときに現場にいた方が良いだろうし……」
「そうなんだよなあ。……それに、俺がいるといないとじゃ売上に差がありそうだしな?」
「あは、そうだね。じゃあめちゃくちゃいっぱいケーキ作らなきゃだ」
冗談っぽく言った玲王くんに、張り切っちゃお、って笑った。瞬間、玲王くんは微かに眉尻を下げる。その微かな笑みに、私はちょっとドキっとしたのに、「炭にすんなよ?」って続けられて、わっと体温を上げてしまう。
「炭……にはしないよ……!」
「チョコだと思ったら炭の味がしたーなんてことがあったら、クレーム来るからな」
喉を鳴らすように玲王くんは笑う。その表情があまりにも意味深で、私は玲王くんの双眸をまじまじと見つめる。胸がざわついて、シャーペンを手にしたままの手をそっと引き寄せた。もしかして、もしかしてだけど、って、嫌な予感が青々とした芽を出す。
「……もしかして、お、覚えてたり……する……?」
あの時渡す前に味見したブラウニーがどんな味だったか、少なくとも私は細部までは覚えていない。でも、炭、と言われると、そうだったのかもしれない。焦げていたのは間違いなかったから。私たちの間に見えない膜ができる年の冬。その夏に何が起きるかを知らなかった私が、背伸びして作ったブラウニー。
恐る恐る尋ねる私に、玲王くんはたっぷりの間を開けた。もう、嫌になるくらいの間。長すぎる沈黙の後に「――さあ?」って、目を細める玲王くんの耳にかけた髪が、一房落ちる。
「何のことかわかんねーわ」
開け放たれていた窓の向こうから、サッカーボールが蹴り上げられる音がする。ほのかに埃のにおいのするカーテンが風を受けて膨らむのを、視界の端で見る。首を傾げて笑った玲王くんの顔に落ちる陰影を、私は真正面から見つめている。
小さな私はいつも座り込んで、手の平を空に向けて、胸の前に差し出している。そこから零れ落ちたものも、未だ残っているものも、判じる勇気のないままにここまで成長してしまったらしい。玲王くんの、笑みの滲んだ瞳の中にいる私は、どうしようもなく、顔が赤い。