第二会議室は、全員が互いの顔を見て話し合いができるよう、長方形を作るように長机が並べられていた。席は予め決められていて、私と玲王くんは一年生の学級委員が座るよう指定された椅子に並んで腰を落とす。どことなく大人びて見える先輩たちの雰囲気や、教室のものとは違う椅子の感触、会議室に敷き詰められた絨毯に、ちょっとだけどきどきした。玲王くんの方はそんなことないらしく、全く平然としていたけれど。
ちらちらと方々から目線が向けられるように思うのは、隣に居るのが玲王くんだからだ。入学直後ほどの勢いはないとはいえ、未だ玲王くんは注目される存在で、私はそういうのを実感すると、どうしても萎縮してしまう。私みたいなのが隣にいるのって、やっぱりおかしいよねっていう感情が、首をもたげてしまうのだ。勿論学級委員としての話じゃなくて、婚約者、っていう意味で。
ちら、と玲王くんを見たら気付かれてしまったらしく、「なんだよ」って言われた。びくりと肩が震える。
「な、なんでもない……!」
まさか玲王くんと自分の釣り合わなさに打ちひしがれていたなんて言えない。もごもご返した直後、丁度会議の始まる時間になったらしい。三年生の先輩がプリントを配りに来たので、慌ててそれを受け取った。玲王くんの注意がそのままそこに向けられるから、こっそりほっとする。
会議の議題は、「前期にある行事についての大凡の流れについて」だった。六月の上旬に文化祭――白宝祭があるから、それに関する話が大半だったけれど。細かいことはまた来月の中旬、テストが終わった頃にある会議で改めて話します、だって。
大事そうなことだけをちょこちょこ箇条書きにしていたら、隣に座っていた玲王くんの目線を感じた。そろりと視線をそちらに向けると、玲王くんは頬杖をしたままそうと分からないくらいに小さく笑って、私の書いていた文字の一つをその指先でとんとんと叩く。何だろう? その骨張った指を見てそれから「あ」と声をあげかけて、慌てて飲み込んだ。漢字を間違えていたのだ。ぶわ、と頬に熱が籠もる。ち、違うんです、と言い訳したくても、勿論会議中だからできないし、そもそも何も違くない。違うのは私の書いた漢字だけだ。心の中で羞恥に転がりながら消しゴムをかける。安全策を採って、ひらがなで書き直す。
頬を押さえながらもう一度玲王くんに視線を向けたとき、玲王くんは既に私ではなく、きちんと前方を見ていた。その感情の読み取りにくい横顔に、思わず息が止まる。玲王くんは時折、瞬きの回数が極端に少なくなる。食らうような目を、彼はする。
集まりがどんなものか見てみたい、って言っていたけど、玲王くんにはこの会議がどんな風に見えているんだろう? 意見も質問もすることがないまま、ただ玲王くんは、会議の進行をしている先輩の話に静かに耳を傾ける。御影コーポレーションの後継者である彼は、私とは出来の違う頭できっと色んな事を考えている。
「椿山って、文化祭はどうだったんだ?」
「えっ」
会議が終わって、教室まで戻るその途中、隣を歩いていた玲王くんが私にそう尋ねた。
時間は、もうすぐ十七時。傾き始めた陽が窓から差し込んで、私と玲王くん、それから、疎らな間隔で歩く他の生徒たちの影を細長く伸ばしていた。
椿山の文化祭。
玲王くんの言葉に、私は視線をリノリウムの、掃除が済まされたばかりのどこかのっぺりした床に落とす。廊下の先にある第二体育館から、ボールの跳ねる音がする。先月まで椿山のセーラー服を着ていたはずなのに、私の椿山での記憶は今、箱の三段目の奥くらいから引っ張り出さないと、出てこない。
「椿山の文化祭は……なんか……歌の発表とか……?」
「あー、合唱コンとか一緒にやるとこあるよな」
「う、うん。そうなの。そっちがメインだった。あとは……教室展示とかそういうやつだよ。中等部だけじゃなくて、高等部もそう。平日だったし、生徒の家族以外は来ちゃだめで」
「はー、ド真面目じゃん」
「あは、そうみたい」
感心したように頷かれて、思わず笑ってしまう。
玲王くんは、なんていうか、相手の話を聞いたり、引き出すのが上手なんだと思う。こうやって、一対一で話をするときは特にそう。ついこの間まで玲王くんと距離を置こうとしていたくらいだったのに、今の私はすっかり玲王くんの隣で安心して、素で話をしているのだ。さっきまでの会議でちょっぴり緊張していた分、余計に気が抜ける。「椿山は椿山で私は好きだったけど、白宝祭も楽しみだなぁ」って、頭で考えるよりも先に口に出してしまうくらいには。
「今日の話し合いじゃ白宝の文化祭がどういった雰囲気なのかはまだよく分からなかったけど、玲王くんと一緒だったら、きっと何でも楽しい…………」
それで、そこまで言ってようやく我に返った。
今の言い方じゃ、まるで私が玲王くんのことを大好きみたいだ。いや、そりゃあ好きなんだけど。でも、玲王くん本人にそれを直接知られてしまうのは違う。だって婚約者って、恋人じゃないのだ。将来的にはそういう風なお付き合いになる……こともあるのかもしれないけれど、そうはならないかもしれない。私が日頃お父さんに「もしも本当に他に好きな人ができたら、玲王君との婚約は解消できるんだからね」と念を押されているように、玲王くんの方だってきっとそうで、だったら尚更、私の玲王くんへの思いなんて、表に出すべきじゃない。
年季の入った片思いには、なるべく蓋をして過ごさなくちゃ。
一秒くらいでそこまで思考した私は、苦肉の策で「…………って、皆も言ってました…………」と続ける。玲王くんの顔を見ることはできないので、視線は玲王くんのいない方へと向けながら。
「あー、昼飯のとき?」
だけど玲王くんは、思い出したようにそう口にする。
そう、口から出任せを言ったんじゃなくて、実際、今日のお昼ご飯のときに皆でそういう話をしていたのだ。玲王くんの言葉が助け船に思えて、「うん!」って、ぱっと顔をあげる。
「皆ね、玲王くんのことすごく頼りにしてて! 文化祭とかそういうの、玲王くんが中心になったら絶対楽しいよねって……」
そこまで言いかけた私は、それで、言葉に詰まった。だって玲王くんが、こちらを見て、いつもよりちょっと優しい顔で笑っていたから。
飴色になり始めた光が、玲王くんの髪の毛の輪郭を滲ませていた。昔から知っている玲王くんの顔は、いつの間にかずっと大人びて、目だって首を持ち上げなければもう合わない。だけど、何だかそれがすごく懐かしいものに思えたのだ。こんな顔で笑う玲王くんを、昔の私は見ていた。
玲王くんは、言葉を失った私に気がつかない。ただ、「うん」って、言う。
「が椿山じゃなくて白宝に行きたいって言ったときはビビったけど、お前が楽しそうで良かったわ」
玲王くんって、たまにお兄ちゃんみたいになる。一人っ子の私は、本当のお兄ちゃんなんて知らないけど。
何て言うべきか分からなかった私は、自分の感情に素直に従った。「たのしいよ、すごく楽しい」そう返した私に、玲王くんは「ん」って微かに笑った。
もしこの時私が、玲王くんも楽しい? って聞いていたら、玲王くんはどうしたんだろう。
そういうのをすぐに答えられない私は、まだ玲王くんのことを、きちんとは知らないままなのだ、きっと。