「いや、これはだめじゃない!?」

「えー、そう?」

「えー! だめだよだめだめ、先生から告白するのはちがうよ! せめて女の子が高校を卒業するまで待たないとさあ……!」

「へー、そういうもんなんだ」

「そういうもんだよ! いくら昔から知り合いっていってもさあ、だめですよこれは……! 立場的に……!」

「だめなの?」

「だめ!」



 管理人室には小さなテレビがあることを思い出して、埃をかぶっていたそれを綺麗に拭いて、色々繋げてみたのは私だった。ドラマとか映画とか、管理人室でご飯を食べながら、凪くんと一緒に何か見られたら良いなあって思ったのだ。
 食堂が再開されるまでの数日間、一日三食、ちゃんとご飯を受け取りにくることって約束をしたは良いけれど、面倒くさがりの凪くんが管理人室で食べていくって言い出すことまでは想像していなかった。初日は自分の感情の処理が上手くできなくて、つい凪くん一人で食事を摂らせてしまったけれど、でも毎回管理人室に一人にするわけにもいかない。凪くんを信用してないとかそういうのではないけれど、本来管理人不在時に入らせていい場所でもないわけだし。それで、翌朝から私は彼と一緒に管理人室で食事を摂ることにしたのだ。一日三回。私の手料理を二人で食べる、って、こう、なんていうか、気持ち的には物凄く大きな負担があったけれど。
 テレビを用意したのは、凪くんのことを「好き」って自覚してしまった以上、彼と二人でいるのは場が持たない気がしたからだ。今まで通り一緒にいられる自信が、私にはなかった。顔も真っ直ぐ見られないだろうと思ったし、話しかけられてどぎまぎしないわけがないって思った。ご飯を食べているところを見るのですら、ちょっと厳しいかもって。
 だけど、そこはやっぱりテレビが緩衝材になってくれる。こうしてやいやい話をしながら食事をすることで、極端に彼を意識してしまうことなく過ごせているのだ。食事中のテレビって、行儀はあんまり良くないかもしれないけれど、それでもあるだけですごく気が楽だ。会話がなくても気まずくないんだもん。
 ゆるやかな歌声と共に流れるスタッフロールを眺めながら、だけどつい唸ってしまう。ここまで五話、このドラマをしっかり見させてもらっているけれど、まさかあんな展開になるとは予想していなかった。



「先生より、ぜったいぜったい同級生のあの子の方がいいと思う。めっちゃ幸せにしてくれそうだもん~……! 年は近い方がいいよ……!」



 私の主張に、だけど凪くんは「へー」って、全然興味なさそうに返事をするだけだった。テレビがあるよ! なにか観よう! って提案した私に、凪くんが「何でもいー」って言うから、去年の今頃に流行っていたドラマを見始めたんだけど、やっぱり凪くんには面白くないのかもしれない。とは言え半分くらい見たし、文句は言ってしまうけどなんだかんだ面白いし、まだ一山二山ありそうだし、ここまで来たら最後まで見るけど。もしかしたら次の話の冒頭で別の展開があるかもしれないし。



「凪くん、私このまま続き観てもいい……!?」

「どーぞー」

「全然付き合わなくてもいいからね。食べ終わったんなら部屋に戻っていいんだからね……!」

「んー。気が向いたら帰るから気にしなくて良いよ。もーちょいここにいるー」

「………………そ、そっか……!」



 ごちそうさまでした、って手を合わせた凪くんの食器と自分の食器を一つにまとめながら、気を抜くと「わあ……」って蹲ってしまいそうな自分を内心で叱咤する。
 わかってる、凪くんは部屋に帰るのが面倒臭いだけ。暖房も効いていて、トイレも管理人室の脇にすぐあって、お茶もお菓子も出てくるここから動きたくないだけ――。でも、おかしいな、これじゃあ寮内ウーバーイーツをしているのとさして変わらない気がする。
 隣接する自室でお皿を洗って、お茶を淹れて戻って来ても、凪くんは背中を丸めて椅子に座ったまま、スマホでゲームをしていた。私が隣でドラマの続きを見始めても、全然気にする素振りはない。同じ空間にいるってだけで私がそわそわドキドキしてるのなんて、絶対わからないんだ、この人。わかられても困るから、いいんだけど。
 「あのさあ」って不意に声をかけられて、びくりと持っていたマグカップが震えた。お茶、零すとこだった。「はいっ?」って返事が上擦る。ドラマを止めようか、一瞬の逡巡の間に、凪くんは私を見て首を傾げた。
 長い前髪の下にある目は、黒々してて、きれいだった。「さん」って、凪くんが言う。それが他の人に呼ばれるより、ずっと特別なものに聞こえてしまう。ざわざわする。遠くに投げ捨てようって決めたのに。



「――今度ここにスマホの充電器持ってきてもいい?」

「………………どうぞ」



 戻って来そうだった感情を、もう一回放った。
 なんだか凪くんをめちゃくちゃダラダラさせてしまっている気がするけれど、でも、冬休みだし、年末だし、仕方ない。……のかもしれない。とりあえず、そう思うしかない。今は。








 凪くんが管理人室に居着いているからって、別に勘違いなんかしていない。
 凪くんは眠くなったり首が痛くなったりしたら部屋に戻る(横になれたら一生ここにいるって言ってる。良かった。管理人室に小上がりとかなくて)。食事の度に行き来するのが面倒なだけなのだ。面倒くさがりもここまで極まると感心してしまう。
 凪くんて植物みたい、って言ったら、いいねー、って言われたことがある。お世話されたーい、じっとしてるだけで良いならそうなりたーい、って。でもそういうわけにもいかないから、凪くんは学校に行くし、勉強もする。
 凪くんは、「ちゃんとした会社に勤めたいんだよね、俺」って言った。多分、ドラマを見てて、主人公が進路に迷っていたときだったと思う。私が何気なく尋ねたのだ。凪くんは将来は何か夢とかあるの? って。テレビの音と、ゲームの音だけが響いていたのに、なんだか居心地が悪く思えたから。凪くんは、スマホから目線もあげずにぽつぽつと話した。いいところに就職して、ばーっと稼いで、早期リタイアしたいんだって。要するに、長々働きたくないってことらしい。動機はアレだけど、ちゃんと考えてるんだなあって感心した。すごいねえって言う私に、「さんは?」って、凪くんは首を傾げた。



「なんかしたいことないの? 臨時なんじゃないの、ここ」



 凪くんに真っ直ぐ見つめられると、私はやっぱりどぎまぎしてしまう。告白する気はさらさらなくても、管理人として相応しくないこの感情は、最初からなかったことにするんだって決めていても、やっぱり惹かれてしまうのだ。彼の目とか、声とか、仕草に。その度に、一個一個箱に閉じ込めて、お腹の底にしまっておいても。
 そうやって好きって気持ちに目を閉じても、凪くんに興味を持ってもらえるのは嬉しかった。いらないことまでいっぱい話してしまいたくなった。実は就職が上手く行かなくて、やっと受かったところがとんでもないブラックだったこととか、パワハラとかセクハラがすごかったこと、それですぐ辞めちゃったこと、おうちでうだうだしていたら、伯母さんが倒れたこと。本当は昔から、つきたい職業があったこと。でも、全部霞がかって見えるのだ。可能性で満ち溢れて、きらきらした未来がある凪くんたちとは、ちがう。だから、「どうだろうねえ」って言った。



「好きなものとか興味があることはあるけど、とりあえずはもうちょっとここにいるかなあ」



 凪くんはスマホに目線を落として、「ふーん」って言うだけだった。そういうなんてことない声色とか距離感が、私はやっぱり、好きだと思った。好きだったけど、でももう、「どうしよう」とは思わなかった。だってどうしようもないんだもん。私はあのドラマの先生みたいに、ぴかぴか光る未来を持つ子を、自分のものにしたいなんて思わない。自分があと五年遅く生まれたらよかったな、とは思うけど。
 もしも私と凪くんが同い年だったら、何の迷いもないままに、凪くんが好きって思えたんだけどな、って。
 だけどそんなこと、もう有り得なかった。私は臨時の管理人だったし、凪くんは、まだ十六才の高校生だった。それは私に過ぎた夢を見させないだけの、充分な理由だった。


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