管理人は、寮に併設された食堂を使うことがない。管理人室の奥にある居住スペースで自炊をする、っていうのが決まりになっているのだ。
 短大に通っていたときはひとり暮らしだったし、料理自体はさほど苦じゃないたちだったのが幸いだった。寮の近くにスーパーがあって、寮生たちが学校に出ている昼間、さっと買い物に出て戻ってくることができるのも都合が良かったし。でも、基本的に料理に時間をかけるのは土日だ。副菜をたくさん作って、それで冷凍しておくのだ。にんじんのきんぴらとか、レンコンサラダとか、ひじきの煮物とか。そうすると忙しい平日も、適当にお肉やお魚を焼いたりするだけで良い。料理動画を配信してくれる皆さんのおかげで、私の食生活は健全そのものだった。本棚にあった、伯母の所有物である古いレシピ本なんかにもお世話になっていて(ハンバーグなんかは、このレシピ本のやつが一番美味しいと思う)、食生活自体は実家にいるときとさして大差ない。



「んー! これめちゃくちゃ美味し~!」



 食卓テーブル代わりにしているこたつに潜りながら、今回初めて作ったブロッコリーとカリフラワーの焼き浸しを口にして思わず独りごちる。醤油とみりんが味付けのベースになっているんだけど、輪切りの唐辛子がアクセントになっていてすごく好みの味つけだ。辛いのはそこまで得意じゃないからと分量の半分くらいしか入れなかったけど、これだったらもうちょっと入っていても食べられるかもしれない。パプリカとかエリンギとかを入れても合いそう。
 スマホをぽちぽちいじって、開きっぱなしだったたくさんのタブの中からこのレシピを探して、ブクマしておく。まだ冷凍庫にたくさんあるけど、次も作ろうと思って。
 一人の食事の何がつらいって、作ることも勿論そうなんだけど、同じくらいに寂しいっていうのがある。折角作ったのに食べるのが私一人っていうのが良くない。これが美味しいとか、また作ってほしいとか、そういう会話があるとないとじゃモチベーションが違う。こんな仕事をしている以上、仕方の無いことだと思うんだけど。
 じゃあ人のためにご飯を作ることが無いのかっていうと、だけど決してそうじゃない。
 というか、ついこの間、実際に私は自分のためではなく料理をした。冬休みももう目前という頃、一年生の浅井くんが寝込んでしまったのだ。
 元々伯母からも「体調を崩しやすい子」とは聞いていたけれど、私がここに来てからはずっと元気だったからうっかりしていた。急に冷え込むようになったと思ったら春みたいにあたたかい日があったり、かと思ったら雪がちらついたり、どうにも安定しない気温のせいで風邪をひいてしまったらしい。病院は一人で行けるんでと頑なに主張されたため付き添わなかったけれど、ふらふらしながら帰ってきた彼を放っておけず、お粥を作った。寮生の部屋に入ったのは、あれが初めてだ。
 トレイに乗せたお粥を持って、三階の彼の部屋の前まで行って、チャイムを押した。返事がなければ合鍵で部屋に入って、声をかけてから玄関に置いていけばいいと思った。もし眠っているようだったら仲の良い寮生の子にその旨をラインかなにかで伝えてもらえばいいと考えたんだけど、浅井くんは丁度起きていたらしく、チャイムを鳴らした段階で、扉を開けてくれた。ダルそうに、ドアノブに体重をかけながら。



「ご、ごめんね体調悪いのに。体、どう?……迷惑かなって思ったんだけど、お粥つくったから、食べられそうだったら食べて。…………その前にこれ、部屋まで運べる?」



 頭に冷えピタを貼って、きちんとマスクまでしてくれていた浅井くんは「わがんないっす」って、掠れた声で言ったから、了承をもらってお部屋に運ばせてもらった。普段は整理整頓されているであろう部屋の隅には洗濯物がたまっていて、世話好きの性格が疼いたけれど、流石にそこまでやるってなるとありがた迷惑だろうと思って、ぐっと堪えた。



「めっちゃうれしい……助かります……春に熱出したときも、さんが作ってくれて、あれ、すげえ助かって……」

「伯母さんが?」

「はい、梅干しのやつ……美味かったんすよね、すごく」

「え! これ卵のやつだけどいい……!?」

「ふは、そんな、なんでもうれしい」



 ありがとうございます、ほんとに。そう言われて、なんだかじわじわ嬉しくなってしまって、困った。
 何かあったら管理人室に電話してね。夜中でも大丈夫だからね。お粥なくなったらまた言ってね。そうじゃなくても必要なものあったら全部準備するからね。あったかくして、水分いっぱいとってたくさん寝るんだよ。
 そういうことをたくさん話した。浅井くんは素直に頷いてくれて、「多分、もうちょっとしたら熱、下がるんで」って口にした。その言葉通り、浅井くんの熱は二日後には下がって、冬休み前最後の登校日にはきちんと学校にも行った。



「ほんと助かりました。遅くなったけど鍋と皿、返します」



 一人用の土鍋とお皿はぴかぴかになって戻って来た。「卵の、美味かったです」って悪戯っぽく笑ってくれたのもむずがゆくて、だから、人並み程度だけど料理ができて良かった、って思ったのだ。
 浅井くんの風邪、長引くことなくすぐに治って良かった。千葉にあるご実家にもちゃんと帰って行ったし。年末年始も寮に残る凪くん以外の、他の寮生の皆も、冬休みに入って早々既に寮を発っている。皆が「いってきます」って言ってくれたのが、なんだか無性に嬉しくってくすぐったかった。たくさん地元で羽を伸ばして、また来年、元気な姿を見せてくれたらいいなあって思う。
 ――こんな風に思ってしまうのって、なんだか親戚のおばさんみたいかも。でも、そんな風に思える自分も悪くない気がした。








 凪くんと二人、寮に残ることになったわけだけど、凪くんのことを信用しているかというと、申し訳ないけれど答えは否だ。
 昼夜逆転しないように。ご飯は三食きちんと食べるように。ゲームばっかりでぐうたらしすぎないように。そういう注意を彼はうんうんって聞いてはいたけれど、絶対反対の耳から漏れている。いつも通りの時間に起きてとは言わないけど、せめて午前中には起きていてほしい。ゼリー飲料は一日一食までにしてほしい。ゲームは……何時間が適正なんだろう。わかんないけど、起きている間ずっとっていうのは良くないから、ほどほどにしてほしい。
 学校っていう強制力は、やっぱりないと困るもんだなあって、こういうときに思う。でもかと言って「ちゃんとしているか」の確認のために部屋を訪れるのはやりすぎな気もするし、管理人としての塩梅が難しい。せめて最低限、ご飯だけはしっかりしてほしいんだけど。……三日に一回とは言え、折角食堂で食べるようになってくれていたんだから。
 そんなことを悶々と考えながら外のプランターに水をやっていたら、急に手元が翳った。あれ、って思うよりも早く「はよー」って言われて、ぎょっとする。顔を上げたらマフラーで首元をぐるぐる巻いた凪くんが、すぐ真横に立っていた。
 いつもこうして気配を消して声をかけてくるのは、彼の癖なんだろうか。それとも私がぼんやりしているだけなのだろうか。ドキドキしながら「お、おはよう。久しぶり……」って口にする。一応同じ建物内で生活しているのに、「久しぶり」って言うのもおかしな気がするけれど、凪くんと顔を合わせたのは数日ぶりであることは間違いなかった。十二月二十七日。凪くんが閉じこもっている間に、クリスマスも終わっている。
 様子を見るに、買い物にも出かけるところだろうか。尋ねようとしたけれど、凪くんが私の隣にしゃがみこむほうが早かった。びゃ、って変な声が出かかって、咳払いする。さほど大きくないプランターを覗き込む凪くんの肘と私の肘が、微かに触れ合った気がした。こっそり一歩左にずれる。水分を吸った土は、しっとりとして、濃い匂いがする。



「…………これ、この前のチューリップ? だっけ?」

「え、うん、そう……」

「世話してんだ。えら。芽とかいつ出んの?」

「二月とか……」

「へー、まだ先じゃん」

「そんなもんじゃないかなあ」

「ふーん。やっぱめんどくさいんだね。花って」



 そんなもんじゃないかなあ。また同じ言葉を言いそうになって、飲み込む。そんなことよりも、折角顔を見ることができたのだ。寮の管理人としては、色々確かめなくてはいけないことがある――。



「凪くん」



 しゃがんだまま、凪くんの方に身体を向ける。膝を折り曲げていても、凪くんはやっぱり私よりもずっと大きかった。それにちょっとたじろぎながらも、「ご飯、食べてますか、冬休みに入ってから」と、途切れ途切れに尋ねる。凪くんは膝に頬を押し付けるようにしてこちらを見ながら「えー」って、間延びした音を出すだけだ。



「食べてるけど……。今だって俺、ご飯買いに行くとこだったし」

「ゼリーとか菓子パンとかじゃないよ。野菜とかお肉とかお魚とかだよ」

「ギョニソ食べてるー」

「ぎょ…………ああ、魚肉ソーセージかあ。…………え、おかずに?」

「いや主食」

「ええ…………」

さん、三食ゼリーはダメって言うから」



 だから菓子パン、ゼリー、ギョニソでローテーション組んでるんだー。って、悪びれた様子のない顔で返答されてしまった。びっくりして、「菓子パンゼリーギョニソで!?」って、そのまま聞き返す。そんな食生活で、どうしてこんなすくすく成長してるんだろう。睡眠時間が物を言う、なのだろうか? それとも、ご両親の遺伝? めちゃくちゃな生活をしていても風邪一つひく様子もないし、勉強している様子がなくてもあの白宝高校の授業についていけているんだから、物凄いポテンシャルがある子、っていうのは良く分かるんだけど。
 でも、それでもどうなんだろう。冬休み。実家に帰ることもせず、食堂も閉鎖されている状況で、言っちゃ悪いけど諸々にだらしない凪くんが最低限人間らしい生活を送るのは難しいって分かっている。そのためにじゃあ何ができるだろう。どうしたらいいんだろう。
 ――正直、思いつかないことがないわけではない。私がご飯を作ってあげるのだ。……でもなあ、そこまでやってもいいものなのかなあ。線引きがすごく難しい。だけど風邪をひいた子にお粥を作る、がアリなんだったら、食堂が閉鎖している間の「それ」だってナシではないんじゃないだろうか。「ご飯作って」って凪くんの冗談に一度首を振った手前、こちらから言い出すのも変な話なのかもしれないけれど。
 でも、流石に菓子パン、ゼリー、魚肉ソーセージのローテーションって話を聞いてしまっては、口出ししないわけにはいかなかった。放っておけるわけがない。だってこうして同じ屋根の下にいるのに。
 きっと伯母だって、ここにいたらそうする。



「…………凪くん」



 ん? って首を傾げられる。変に考え込んでしまう前に、続けた。「食堂が閉鎖されている間だけは私がおかずあげるから、ご飯ちゃんと食べて」って。「え、いいの?」って言う凪くんは、だけど相変わらず表情に変化がなかった。申し訳なさそうでも嬉しそうでもなかった。私はだから、やっぱりわからないなって思う。
 凪くんのこと、全然わかんないや、って。



「その代わり、部屋に届けないから、毎食自分で管理人室まで取りに来てください! これが私の条件です……!」



 凪くんのこれからのためにも、寮内ウーバーイーツは絶対しない。
 そういう意思をもって凪くんに伝えたら、凪くんは「え、じゃあいらない……めんどい」とかすごく失礼なことを言ったけど、「だめ! 管理人命令です」で無理矢理通した。「えー……」って、凪くんはその眉根を微かに寄せる。でも買い物に行くって言っていた凪くんは、チューリップのお世話が終わった後一緒に寮に戻ってくれたから、その条件を渋々ながらものんでくれた、ってことなんだろう、きっと。


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