休日、寮の前でチューリップの球根をプランターに植え付けていたら、「何やってんの?」って声をかけられた。十一月にしてはあたたかい陽が差す、のんびりした昼下がりのことだった。
「ひっ!?」
びくっと肩を震わせながら顔を上げた私の微かに明滅する視界の中にいたのは、凪くんだ。作業に集中していたから、自動ドアが開いたことに気がつかなかったのだろう。ドキドキする心臓を押さえて、しゃがみこんだまま彼を見上げる。
「こ、こんにちは凪くん……」
「ん、どーも」
いつものゆるゆるとした制服姿をさらにゆるゆるとしたような私服姿で、凪くんはスマホ片手に私を見下ろしていた。背が高いから何着ても様になるんだろうけど、白のワントーンコーデは人を選ぶだろう。少なくとも、私には絶対似合わない。
凪くんってお洒落だ。すらっとしてるし、モデルさんみたい。でも、どこに出かけるつもりだろう。――もしかして凪くんもデートだったりするんだろうか?
午前中に出かけていった谷くんの「これから彼女と映画行くんですよ」につられて、ついそういう方向に考えてしまって、慌てて首を振った。行き先や帰宅時間なら兎も角、一緒に出かける相手のことまで詮索するのは、いくら寮の管理人とは言え行き過ぎだろう。私のすることは、皆の衣食住を整えて、元気に学校に行って貰うこと(伯母の受け売りだ)。だから、「ちゃんと食堂でご飯を食べて!」は言えるけど、「誰とどこに出かけて何時に帰るの?」っていちいち確認するのは、違う。
一応外出かどうかだけは確認しなくちゃいけないけれど。
「え、えっと、凪くんもおでかけ?」
「ゲーセン行くとこー」
「ああ、そっか、ゲーセンかぁ」
なるほどなあって、土のついたスコップを手にしたまま曖昧に頷く。それだったら、極度の面倒くさがりの凪くんの外出理由としてぴったりだ。未だに食堂を利用してくれないことの恨みがましさから、ついそんな風に考えてしまうけれど、それくらい許してほしい。最近の私はしつこく凪くんに訴え続けていたのだ。「食堂行こ!」って。今のところ全部スルーされてしまっているけれど。
「――凪くん、ゲーセン好きそうだもんねえ」
「そりゃーね。ていうか、ゲーセン嫌いなやつとかいんの?」
「どうだろ……? 私も普通に好きだしな……」
「でしょ。オンラインランキングとか上げたいもんね」
「オンラインランキング……?」
UFOキャッチャーとかじゃなくて……? って首を傾げる私を、凪くんは全然気に留めたりしない。
その時不意に私の手元を覗き込むように前屈みになった彼の影に、私の身体は全部食べられてしまったようになった。何故かたったそれだけのことに、心臓が鳴る。咄嗟に顔を上げれば、端正な顔立ちをした凪くんは、ほとんど表情らしい表情も浮かべぬままに、一つだけ瞬きをしたところだった。彼の目は、私の手に握られた球根に向けられている。十一月のさやかな光が、彼と私の間に落ちている。
「で、何やってんの、若い方のさんは」
そういえば、最初にそれを聞かれていたんだった。答えるのを忘れていたけれど。
「お、お花植えてる……」
「え、なんだ、にんにくかと思った」
「にんにくじゃないよ、チューリップの球根だよ。……幼稚園とか小学校でやらなかった?」
「覚えてない。やってないんじゃない?」
「ええ、地域性かなあ……」
「田舎だけじゃないのそんなのやるの」
「いや凪くんが忘れてるだけだよ、それに私が住んでたとこ、別に田舎じゃないし……!」
一応東京だし、ここよりはまあ、田舎ですけど。そう言う私に、「ふーん?」って適当に首を傾げるだけの凪くんはやっぱり全然興味がなさそうだった。
だけど一連の会話で一旦落ち着きを取り戻した私の隣に、凪くんは突然しゃがみこんだから、私は飽きずにびくりと身体を震わせてしまう。声が出なかったのを、褒めてほしいくらいだ。だけどこうしていちいちビクビクしてしまうのは、どうしてなんだろう、凪くんが大きいからだろうか、パーソナルスペースが私のそれと差がありすぎるせいだろうか。凪くんは、だって袖同士が触れ合っても、声が近くても、全然気にしない。
「きゅーこんねー」
抑揚のない声で言いながら、凪くんは地面に置いていた球根を一つ手に取る。彼の手の中にあると、それは私が握っているものよりもずっとずっと小さく見えるから、不思議だった。まじまじと眺めるその目は、いつもよりも眠たそうには見えなかった。もしかしたら、ちょっと興味があるんだろうか?……普段の彼を知っている身からすると、ただの気まぐれって可能性の方が充分高いだろうってことは承知の上だけど。
「チューリップって春だっけ、咲くの。これ、そこに植えると咲くんだ」
「うん、勿論水やりもいるけど……」
「え、めんどくさ。放っといたらダメなの?」
「ダメだよ。特にチューリップはね、球根が一回乾燥しちゃうともうだめなの。咲かなくなっちゃうんだって。だから冬場でも水をあげなくちゃいけなくて……」
「うわー……。そんな大変なやつの面倒見れるなんて、すごいね、あんた」
「えっ」
「すごい。俺には無理だし」
不意にそう言われて、一際大きく心臓が跳ねた気がした。なんでだろう。ありがとう、って言われることはあっても、すごいって言われること、最近なかったからかな。「そ、そんな、ぜんぜん、全然、わたし、お花すきだし」無意識にスコップを握る手に力がこもる。顔が熱くなって、ドキドキして、じっとしていられなくて、持っていた球根を、既に何個か並べていた球根の隣に間隔を置いて横たわらせた。
「ね、好きだよね。あんたが来てから、寮の中、花増えたし」
そんな言葉にすら、胸が大きく音をたててしまうなんて、知らなかった。
凪くん、ゲームセンター、行かなくていいの? オンラインランキング、だっけ? を上げにいかなくてもいいの? 遅くなっちゃうよ。って、頭の中を言葉がぐるぐる回っているのに、全然口から外に出て行かない。ただ、顔を見られたくなかった。今凪くんに顔を見られたら、変に赤くなってしまっているのが絶対にバレるから。
だけどその時、凪くんはその手を伸ばした。私のものより、一回りも二回りも大きな手だった。筋張ってて、ゴツゴツしていた。何の傷もない滑らかな手だった。私より、四つも年下なのに、それはちゃんと、もう、男の人の手に見えた。
凪くんの手から離れた球根が土の上に転がる。適当に置いたようにしか見えなかったのに、私が並べていた球根に紛れて分からなくなるくらいに、他の球根との距離は均等さを保っていた。土を被せてもらうのを待つそれらは全部同じ球根で、紛れるくらいに上手に並べてもらったのに、どうしてその一つだけが燦然と輝いて見えたのか。
あれだけ目を合わせたくないって思ったのに、つい彼の方を見てしまう。しゃがみこんだ凪くんは、私の目をじっと見て、やっぱり無表情でいた。その顎を膝に乗せて、「こんなかんじ?」って聞くから、私は湧き上がる感情を抑えながら、「そんなかんじ……です」って、緩く頷く他なかった。
根を詰めて作業していたから、ちょっと具合が悪くなってしまったんだろうか。凪くんがいなくなってからも、妙に落ち着かなくて、変にお腹がふわふわして、困った。今日は早く寝た方が良いかもしれない。本当は凪くんに(最近毎日そうしているように)、「今日はお休みだし、夕飯は食堂で食べるのはどうかな!?」って提案するつもりだったんだけど、何だか顔を合わせるのも気恥ずかしいし、ドアにメモをくっつけておくくらいにしておこう。
夕方帰ってきた凪くんがそのメモを見つけて、それを部屋にぽいって放った後にコンビニのサンドイッチを食べていたなんてこと、私は全然、知る由もない。