「――面倒臭いって!!」



 今日の仕事を全部片付けてからベッドに顔を埋めて叫んでしまったけれど、ご飯は食堂できちんと食べてほしいってお願いする私に凪くんがそう答えるのなんて分かりきっていたことだった。「じゃー明日からそーする」なんて素直に頷かれた方が驚いたと思う。そんなこと言うなんて、この凪くん別人じゃない? って。
 だけど四階の部屋から一階の食堂に行くのが、そんなに大変なんだろうか。二階だったらまだ楽だったのかな? それだったらもうちょっと凪くんも……いや、でもどうせエレベーターを使うんだし、移動歩数で見たらあんま変わらないか。
 凪くんが究極の面倒くさがりであることを思えば、でも、多分移動だけが問題じゃないんだろうな、っていうのは想像がつく。食堂に行って、食事を受け取るのに栗原さんたちにまくしたてるように話しかけられて(皆おしゃべりが好きな人たちだから)、人の多いところでご飯をきちんと食べて、食べ終わったトレイを戻してごちそうさまを言って、それからまた部屋に戻る、っていう一連の動作が、凪くんからしてみたら面倒なのだ、きっと。
 凪くんの行動原理は、面倒臭いか面倒臭くないか。好き嫌いは特になく、「目の前にあるものならなんでも食べる」と話していたことを思えば、極論、部屋に食事が届けられるならそれで良いのだろう。要するに、私が食堂に行って凪くんのご飯を受け取って、彼の部屋まで届ければ良いってことになる。でも、そこまでしてあげるのってだめじゃない? 特別扱いじゃない? 凪くん、ダメ男になっちゃわない? そんな生活してたら将来が不安になる。ここから出た後のことを考えたら、「毎日きちんと食堂に行って食事をする」くらいのこと、できてもらわなくちゃ困るのだ。寮内ウーバーイーツなんて、やっちゃいけない。体調不良とかだったら兎も角ね。



「はぁ~……」



 私にはちょっと柔らかすぎるマットレスの上でため息を吐きながら寝返りを打つ。壁には、長いこと貼っていたポスターがあったことを思わせる日焼けの痕が、薄ら残っていた。何かの染みみたいに。そこに何が貼ってあったのか、私は想像もできない。
 三か月前まで伯母の暮らしていた、伯母の存在が強く残った部屋。ベッドとか電子レンジとかの家具家電はそのまま使わせてもらっているけれど、化粧水やら、本やら、好きなお菓子、花屋で買ったラナンキュラスの鉢植え、私の揃えたそういうものが細々増える度、私の存在が伯母を侵食していくように思えた。仕方の無いことかもしれないけれど、どうしても落ち着かなかった。
 伯母さん、って、祈るように思う。どうしたらいいと思う? って。だけど最近の伯母は、お見舞いに行ってもうとうとしていることが多い。私は詳しく聞かされていないけれど、治療がなかなか上手くいっていないらしいのだ。そんな人に、相談なんかできる気がしなかった。



「わかんないよ~……」



 うつ伏せになって、枕に顔を埋める。ここまできたらもう、顔を合わせる度に言うしかないだろうか。うざ、って思われても、しつこい、って言われても、最終的に凪くんに睨まれたり、避けられたりすることがあっても。
 そんなところを想像したら、胸がズキ、って痛んだ。だけど例えどれだけ私が嫌われたって、凪くんが栄養失調で倒れたり、勉強の効率が悪くなって成績不振に陥ったり、将来的に引き籠もりまっしぐらになるよりは絶対良いはずだった。鈍く痛む胸を押さえながら、ぎゅうと唇を噛みしめる。
 うざがられたって、避けられたってやるしかない。仕事だから、とかじゃなくて、だって凪くんが心配だから。まっとうな大人になってほしいから。
 でも、できたら嫌われませんように。
 両手を組みながら、ベッドの中で丸くなる。とりあえず明日から、また凪くんに声をかけてみよう。そんなことを考えながら眠りについたせいか、凪くんにめちゃくちゃ避けられて、声をかけても走って逃げられる夢を見てしまって(目を瞠るくらいのスピードだった)、夜中に目が覚めてしまった。ほんとに私って、プレッシャーに弱いみたいだ。高校生相手なんだから、もっとどっしり構えていればいいのにって思うけれど、それができるんだったらこんなに苦労はしていない。多分。








「…………凪くん。今日の朝ご飯、何食べたの?」



 俺一人が乗っていたエレベーターを降りて早々、どこか表情の固い管理人さんに声をかけられて、「え」って声が出た。
 珍しい。朝は俺がギリギリなのを考慮してか、いつもは最低限の挨拶(と、ゲームしながら歩くと危ないとか、そういう注意)くらいしかしてこないはずなのに。
 スマホを横持ちしたまま、目線はそちらに向ける。若い方のさんはいつもの気の抜けた表情をしていなくて、なんかこう、覚悟を決めた人の目って感じだったから、あー、って思った。あー、やっぱ面倒臭くなりそう、って。とりあえず今は朝だし、いつも通り時間ないし、そこまで拘束されはしないだろうけど。
 他の寮生はもう出払っているらしく、エントランスはもうすっかり静かだった。カウンターにはいつもの飴(でも良く見たらラインナップがちょっと変わってる。いちごと濃厚ミルクだって。すげーあまそー)、近くの十字路で工事があるって報せは、妙に可愛い色と柄のテープで、管理人室とエントランスを仕切る白い壁に貼られていた。この人が来てから置かれるようになった一輪挿しには何日か前から良く分かんない黄色くて丸い花がささっていて、それだけで一帯は華やかだ。前までのエントランスは、もっと殺風景だったんだけど。……この人、女子寮の方が向いてるよね、絶対。本人もだけど、全体的に、趣味が可愛いっていうか。
 でも、管理人室に座る彼女は、いつもよりもずっと物々しい顔で俺を見ているのだ。両手を顔の前で組んでまで。



「…………今日は食堂とか、行ったりした?」



 やっぱその話か。
 どうしようかな、と頭の隅で思いながら、とりあえずその場しのぎになりそうなことを口から出していくことにする。だってわざわざ食事のために食堂になんか行きたくないのだ、俺は。



「えー、朝からそんなとこ行くわけないじゃん」

「朝だから行くんじゃ……!?」

「ご飯はふつーにゼリー。……あ、そういえばそろそろなくなりそーだったんだ。買い物してから帰るから、今日はいつもよりちょっと遅いかもー」

「わ、そんなことすらちゃんと教えてくれるんだ……。ありがとう、覚えとくね!」

「でしょー。遅くなって、若い方のさんのこと心配させたら悪いもんね。…………じゃ、行ってきまーす」

「うん! 気をつけてね。いってらっしゃ………………あれ?」



 その顔から笑顔が消える前に、さっさと自動ドアの先へ行く。背中の方から「凪くんー!?」って叫ばれたけれど、あの人が追いかけてこないのは知っていた。真面目で、ちょこちょこと良く働く人だけど、瞬発力はないんだよね、あの人。判断も遅いし。まだ若いのに。そーいうところは前の管理人さんの方がちゃんとしてた。
 指紋の痕がついたスマホの画面をぬぐって、改めて目線を落とす。歩きスマホはだめだよって言ったのは、どっちのさんだっけ。



「――おりゃ、食らえ」



 敵の頭が視界にちらついたのを見逃さず、ヘッショを決める。太陽の光が反射して、目がしょぼしょぼするの、どーにかしたい。
 十一月の朝は、ちょっと肌寒かった。頭の隅の方に、さっきのあの人が見せた気の抜けた笑顔がちらついた気がしたけど、ぶし、ってくしゃみをした瞬間、全部どっか遠くに消えて行ったみたいだった。、なんていったっけ? あの人。今度下の名前、聞いてみようかな、って、特に意味もなく考えるけど、信号を渡ったあたりで、それも忘れた。


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