「ダンスと言えばさ、中学の時のあいつヤバかったよな。桑島」

「あ、わかる、桑島くん! すごい身軽でね! 普段も階段の上の方からぴょいぴょい飛び降りるから、しょっちゅう先生に怒られてたよね……!」

「そーそーあったあった。てか、さんって桑島と同じクラスになったことある? 俺、小学校では何回か一緒になってるんだけど、中学だと一回もないんだよな」

「や、私もないよ。小学校違うし、なんなら喋ったこともないし目があったこともないかも……一方的に知ってるだけ、くらいの距離感……」

「あー、なんかそんなんばっかだったよな。うち、中学にしてはクラスも多かったみたいだし、実は名前も知らない人、結構いた」



 懐かしそうに目を細める潔くんに、私たちもそうだったよね、って心の中で思いながら、曖昧に頷く。
 潔くんの落とした目線の先、そこにある、まだほとんど下書きの状態の絵を見るふりをして、私はその実、潔くんの骨張った手の甲を見てしまう。青みがかった血管の透けた手は、私のものよりも、一回りくらい大きい。








 九月の半ば。修学旅行が終わって、来月に控えた文化祭の準備が始まった頃だった。
 うちのクラスは派手さの一切ない教室展示をすることが決まり(折り紙で作った鶴でできた、超巨大鶴を作成するのだ)、私と潔くんはそのポスターの作成係を任されることになった。くじ引きとかをしたわけではなくて、立候補制だった。
 巨大鶴を作るのに一人あたり何百羽と鶴を折る必要があったのだけれど、その中でも他の煩雑な仕事を引き受けた人に関してはそれが免除されることになって、それで潔くんが「ごめん、俺がポスターやってもいいかな」って手を挙げたのが発端だ。文化祭の後に大会控えている潔くんに、文句を言う人なんか誰もいなかった。一難のサッカー部は強豪で、潔くんはその中心選手なんだから、それも当たり前のことなんだけど。
 サッカー部以外も、部活が忙しい組はそんな感じでちょこちょこと他の作業に割り振られていたんだけど、運動部に入っているわけでもない私が潔くんと一緒にポスターを作ることになったのは、仲の良い友達が手を挙げてくれたからだった。



もそれやります、絵が上手いので!」

「えっ!?」



 名指しされた瞬間思わず声をあげてしまったけど、振り向いたとき、友達は満面の笑みで私に頷いていた。四月から同じクラスにいると、やっぱりどうしても好意ってダダ漏れになってしまうものらしい。授業の後「潔と一緒で良かったねー」って意味深に微笑まれて、私はどんな顔をしたらいいのか、全然分からなかったけど。








 私と潔くんが並んで作業をするのは、放課後でも昼休みでもなく、先生が「準備に使っていいよ」って譲ってくれる、ホームルームの授業中だけだった。
 皆が仲の良い子同士で集まって鶴を折る中、私と潔くんだけがなんていうか、ちょっと浮いているみたいで気恥ずかしかったのだけど、私の隣の椅子を引いた潔くんはもらってきた画用紙にさっさとあたりをつけてしまうと、「こんなんでどーかな?」って、さらさらっと下書きを描いた。ぱっと見ただけでも分かるその上手さに、思わず息を飲む。



「すごい、良く何も見ないで折り鶴の絵が描けるね……!」

「や、すげー適当だからあんま良く見ないでもらえると……。……でもこんなんでいいなら良かったわ。さんも描いてよ。ポスター、何枚かあった方がいいだろうしさ」



 その何も気負っていない笑顔に、いたたまれなくなる。私だけが変に潔くんのことを意識してしまっているみたいで。
 だけど、それは実際、本当にそうだった。潔くんは平生通りだった。私の隣に座る潔くんは、男の子達の中で笑う潔くんと、ほとんど変わらなかった。口調は気遣ってくれているような感じはあったけれど、それは単純に私だからじゃなくて、女子だからだ、きっと。
 並んでポスターを描きながら、潔くんは色んな話をしてくれた。隣のクラスが文化祭でダンスの発表をするって話を聞けば、ダンスが物凄く上手くて大会にも出ていた、昔の同級生の話。中学の近くにあったケーキ屋さんの店長さんが体調を崩して、春からもうずっとお店が開いていないこと。隣のグループから小テストの話が漏れ聞こえてきたら、昔から数学が全然わからないって話。中学のとき鍋山先生っていたじゃん。あの先生の授業が、ちょっと俺には分かりにくかったんだよね。さんは持たれたことある? あ、ないか。まあ、俺の場合そうじゃなくても多分できてないんだけどさ。潔くんの声は穏やかで、耳に馴染む。
 私と違って、余分な感情や力みがない声だった。私が変に緊張しないで会話ができたのも、そのおかげだろう。



「あ、俺ばっかりなんかベラベラ喋ってごめん。さんが集中できなかったら黙るから、言って!」

「や、そんな、いっぱい話してくれて、うれ……じゃなくて……楽しいよ、すごく!」

「え、ほんと? なら良かった。安心したかも」



 潔くんは、目尻を下げて、くしゃ、って笑う。私が好きになったあの夏の横顔とそれは、別の人のもののように思えるのに、どうしてこんなにも目を奪われてしまうんだろう。
 下書きの、巨大鶴、って文字を目立つように飾りながら、机の下でこっそり足首を交差させる。画用紙に走らせていたシャーペンの芯が、音を立てて折れる。
 ねえ、もうすぐサッカー部って、大会があるんだよね。
 潔くんも、試合に出るよね。
 喉元まで出かかった言葉が上手く出せなくて、新しく芯を出しながら、そっと壁にかかった時計を見た。チャイムが鳴るまで、あと七分。片付けの時間があることも思ったら、こんな話、振って良いようにも思えなかった。なんて、そんなの言い訳だ。本当は隣に座ってくれたときから、何度も口を開きかけては飲み込んだ。だけどいざ口にしようとすると、唇に接着剤でもつけられたみたいに、声が出ない。
 ただ、頑張ってねって、応援してるね、って、言いたいだけなのに。
 でも、ただのクラスメイトにそんなこと言われても、困るよね。



「……あ、もう終わりか」



 私の目線につられるように、潔くんが時計を見てそう呟く。
 水曜日の六時間目に割り振られたホームルーム、これが終われば、今日の授業はもうおしまいだ。この続きはまた来週になる。でも、多分部活をしていない何人かの友達は、このままの流れで鶴を折り続けるだろう。このペースだとちょっと間に合わないかも、って言っていたし。
 一応ポスター制作のおかげで免除されてはいるけれど、居残ってお手伝いしようかな。私は実際、運動部に入っている子ほど忙しいわけじゃあないんだし。そういうことを考えて、勇気の出せない自分から目を逸らした、その時だった。
 「あのさ」って、隣の潔くんから声をかけられて、彼を見る。授業が始まった頃から続く、絶え間ないざわめきの中に混じるには良く通る低い声が、私の名前を呼ぶ。



さんって」



 その時の潔くんの瞳は、あの夏の面影を濃く残している。



「――さんって、中二のとき、三組だったっけ」



 潔くんの時折見せるそういう目が、いっとう好きだと思う。
 でも私、五組だったよ、潔くん。








 放課後、部室まで向かう道中の廊下で一人ため息を吐く。
 多田ちゃんが補習で助かった。もしいつもみたいに二人で部室まで歩いていたら、流石につっこまれそうだったから。口元を押さえながら、部活に向かう生徒で騒がしい放課後の廊下を歩く。エナメル質のスポーツバッグを指先で撫でて感触を確かめて、もう一度息を吐いた。「あぁ」って漏れた声が、雑踏に溶けるみたいに消えて行く。



「いや、もー、最悪だわ……」



 途中までは良かった。あんまし緊張しないで話せたし、さんも俺なんかの話、にこにこしながら聞いてくれてたし。てか、やっぱ同じ中学ってデカいよな。同級生のこと、先生のこと、地元のこと。話題が尽きないのは、正直めちゃくちゃありがたい。そう思ってたのに、どうして最後の最後でやっちゃうんだよ。
 さん、びっくりした顔してた。困った顔で、「三組じゃないよ、二年生のときは五組だった」って教えてくれたけど。
 深々とため息を吐く。折角高校で同じクラスになれたってのに、なんでそこ、勘違いしてたんだろうな。間違えて覚えてるのとか普通に失礼だし、さっきの楽しかった一時間が台無しだろ、ほんと、最悪だよ。何なら一時間前に戻りたい。
 歩きながら項垂れる。草臥れた内履きがリノリウムの床に擦れて、甲高い音を立てる。
 さんて、二年のときの夏休み、毎日グラウンド脇の花壇に水やりに来てなかった?
 それが聞きたかっただけなのに。
 話のとっかかりが欲しかっただけで、正直クラスがどことかは関係なかった。ならワンクッションなんて挟まないで、さっさと本題に入っとくべきだったんだよな。
 窓の外に目線を投げる。赤く熟れかけた太陽が、街並みを飲み込んでいく。



「あの花壇、五組のだったか……」



 風雨に晒されて文字の薄れたプレートは、俺には三に見えていたけれど。
 朝と夕、いつも校庭の片隅で花に水を撒いていた後ろ姿は、今も鮮明に網膜に焼き付いている。
 でも三年前の夏休みのことを今でも覚えているんだって言ったら、さんは俺のこと、キモいって思うよな、きっと。


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