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 書類審査を通れば次は面接かと思いきや、ここでアバターとかいうヤツを作成しなければいけないらしい。
 性別、身長、体重、まどろっこしくて全部自分と同じものにした。顔くらいは変えておけと明石に釘を刺されたけれど、出来上がった男はどことなくオレ自身に似ていて、仕方ないから髭を足す。
 良くわかんねえけど、作ったアバターは外部に漏らしちゃいけないらしい。そういう規定があったから、それに従って提出した。後で明石に言わせれば、こんなアバターになるくらいだったらあの時無理やりにでもチェックしておくべきだった、とのことだが、そりゃそうだ。見た目は八割……いや九割はオレで、しかもアバター名を記入しなければならないところに「百田解斗」と打ち込んでしまったのだ。見る奴が見たら、即バレる。でもまあ、やっちまったもんは仕方ない。
 ぜってー受かってやるから見てろよ、と明石に送ったメッセージにはすぐに既読がついて、「今更だけどさあ」と、随分オレとは温度の違う空気で、明石はぽつぽつと短い文言を投げてきた。こいつは割と、短文のメッセージを細かく分けて送ってくるから、読みやすくて助かる。



「どうしてそこまでお前がしてやるんだよ」



 だけど、そのメッセージには閉口してしまった。なるべく協力はする、と言ってくれたし、実際意気地のないオレの代わりに三浦の様子を見てきてほしいと頼んだときだって、いやいやではあったけれど行ってくれた。その日、何があったかも、三浦が話したことの仔細も、明石は恐らく一言一句も違わずにオレに放り投げて寄越したのだ。
 ダンガンロンパなんか終わってしまえばいいと泣いた三浦を、オレはこの目で見たわけじゃない。だけど、ありありと思い浮かんだ。彼女を助けてやるのはオレじゃなきゃいけないと思った。全ての行動原理は、三浦への思いだ。ありふれた、子供の恋愛だと思うやつはいるだろう。代わりなんていくらでもいる。実際明石がそう思っていることは、肌で感じている。
 でも、オレにとっての三浦は、もうそういう存在じゃなくなっているんだよ、明石。出会ってから、五年近く。オレたちはずっとあの入学式の朝に取り残されているのかもしれない。だけど、それの何が悪いって言うんだ。



「――三浦がオレの彼女だからだよ」



 吊革にぶらさがったオレを見上げた三浦が微笑んでいる。あの冬に戻りたいなんて思っちゃいない。だけど、そうだな、オレは、あの続きをお前としたいんだ。
 明石からは、「そう」という短い返事が来ただけだった。








 パフォーマンスだと見抜かれることは大前提としても、過激なことを叫べば、目には留まるんじゃないかと思った。
 オレの作った「百田解斗」は、本物のオレとほとんど相違ない。腹に力を込め、拳を握り、瞳を見開けば、それはオレのイメージ通りの男になった。思いのたけを叫ぶのだ。ダンガンロンパをぶっ壊すっていう思いを幾重にも分厚い布で包んで。
 口から勝手について出る言葉を、どこかにいるもう一人の自分がどこか白々しく見つめている。こんなところで叫んだってどうしようもないだろうと。でも、だけど言うしかねえんだよ。今ここで叫んだ言葉が三浦に伝わらなくても、オレはいつか、もう一度、ちゃんと会いに行くから。
 名誉も金も、何でも手に入って、そうしたら不可能なんて。
 不可能なんてなくなるぜ。
 だから、だからもしお前が諦めたなんて思っているんだったら、どうか諦めることを、諦めてはくれないか。
 合格を知らせるメールが届いたのは、それから一カ月後のことだった。 








 未だ入院している母の病室で、私はそれを見た。
 「会えなくなった」と一方的に百田くんと連絡を断ったあの夏から、ちょうど一年が経っていた。
 眠り続ける母の病室で、一日のうちの僅かな時間を過ごす。形だけは立派な見舞いの言葉を自己満足で並べて、役目は終わったとばかりに丸椅子に座る生活も、もう半年だ。点滴が繋ぐ生命を視界の端で見つめながら、スマホを開いた。珍しく新着メールが届いていることに気が付いて、それを開く。明石くんだと気が付いたときに、胸がざわついた。彼には冬に連絡先を聞かれていたけれど、これまでやり取りをしたことはただの一度もなかったのだ。
 届いたのは何かのURLだった。直後、「見て」と、短い文章が続く。勿論警戒はしたけれど、「見て」と言われれば見るしかない。だってもう、既読をつけてしまった。
 恐る恐る開いたそのページは、とあるまとめサイトだった。
 ダンガンロンパ、その字を確認したときに、心臓が止まったような心地になったけれど、眉に力を入れて耐えながら、そのページをスクロールしていく。「V3オーディションがやばい」そんなタイトルでまとめられた記事には、動画が貼りつけてあった。V3、ということは、53作品目ということだろう。そうか、もう次回作が放送していたのか。どこか他人事のように考えることで気持ちを落ち着かせながら、動画を再生させる。
 興味はないし、ダンガンロンパに好き好んで出たがる子たちを見たところで、何の感慨もない。スマホの中で、どこか挙動不審な様子の男の子が早口で喋りはじめる。同時に画面上に流れた閲覧者のコメントの数は、彼の顔を隠してしまうほどだ。



「やべえ、最原ちゃんキモオタだった」

「悲報すぎん? 絶望的なんだよなあ」

「逆に可愛い」

「←こいつはホモ」



 ダンガンロンパと言うコンテンツを全力で消費する視聴者に、嫌悪感にも似た何かを覚える。こんなものを私に見せて、どういうつもりだろう。これを見た後で、V2の、お姉ちゃんの動画でも探せって言ってるのだろうか。趣味が悪い。
 次に現れたのは金髪の女の子だった。お姉ちゃんが「面接の時点で作成したアバターを使うんだよ」と教えてくれたことを思えば、彼女は作り上げられた女の子であることは間違いないけれど、それでもその可愛らしさには目を奪われる。



「多分、私ってコロシアイに向いている性格だと思います。基本的に人のことを信じてないんで」



 その、どこか冷めたような、諦めたような双眸がお姉ちゃんと被って見えて、吐き気がした。お姉ちゃんも、こんな風にオーディションを受けたんだろう。ダンガンロンパをどれだけ愛してるかを語ったんだろう、さっきの男の子みたいに。お母さんが眠っているベッドにスマホを投げる。衝撃で跳ね返って、それは呆気なく床に落ちた。「あ」私が吐き出した声と、その人の声は、そこで一緒になる。



「念願のダンガンロンパに参加するだけじゃねえ!」



 ――ああ。
 丸椅子から立ち上がろうとして、足がもつれる。両足に力が入らない。リノリウムの素っ気ない床に膝をついた。汗ばんだ皮膚が、ぺたりと吸い付く。
 廊下を歩く看護師さんたちの声、食事が終わったばかりの時間帯だったから、トレイと食器がぶつかる音もする。病院食の残り香、見舞客の足音、その中で、床に転がったスマホに映されたその人の、その声が。 



「殺しまくって勝ってやる!」



 百田くんが、そこにいる。
 流れるコメントで彼の顔は呆気なく潰されていく。だけど、あの拳が、見開いた両の目が、教室の中で笑ってたときと同じ、あの唇が、私を高校生に戻してしまう。



「ブラック百田降臨」

「いやいや殺しまくったらダメだろ」

「これが本性か~。ショック……」

「こっちのが良くない?」

「注・ダンガンロンパはそういうゲームじゃありません」

「百田ルール理解してない説」



 溢れかえったコメントを非表示にする。精悍な顔立ち、その背格好も肉付きも姿勢も何もかもが私の知る百田くんだった。顎髭は彼の印象を変えるには至らず、私は、ちょっとだけ笑いたくなる、もうほとんど、呼吸もまともにできてはいなかったのに。「そうすりゃあ、名誉も金もなんでも手に入って」百田くんが続ける。分かりやすい嘘を吐き続ける。だって、分かるのだ。百田くんは何かを誤魔化すとき、拳を握りしめる癖があるから。
 どうして百田くんがダンガンロンパのオーディションに臨んだのか、それを、都合のいい私の脳みそは、思い込んでしまう。私のためではないだろうか。身動きの取れない私の代わりに、復讐をしてくれようとしたのではないか、それは、都合がよすぎるか。
 だけど百田くんは叫んだ。台詞も相まって、見る人が見たらきっと、極悪人みたいに見えるんだろうな。だけど、床に落ちたスマホの中から私を見つめる百田くんは、あの教室にいたときとなんにも変わらない。わたしをきれいにしてくれる。浄化してくれる。空気清浄器みたいに。



「不可能なんてなくなるぜ」



 だったら私も、もうなんにも諦めなくていいのかな。
 答えてくれるひとが、すぐ近くにいてくれたら良かった。
















 ダンガンロンパは終わったらしい。
 病院と家とを往復するだけの日々は変わらない。夏休みが終わったらこれに学校が追加されるけど、それだけだ。
 スマホを開くと明石くんからメールが届いていた。



「今日も病院?」



 動画のURLが送られてから一週間。明石くんとはそういう、どうでもいいことも含めてやりとりをすることが増えていた。人との繋がりは存外気落ちした心を明るくしてくれるらしい。私はすぐに文章を作る。
 今は帰りの電車で、発車待ち。そう打ち込んでから送信する。メッセージアプリはスマホから削除したままだったけれど、また入れてもいいかなと思えるということは、それだけ呪縛から解き放たれつつあると考えてもいいのだろうか。
 電車内にぶらさがった週刊誌の広告に、「ダンガンロンパ突然の終了」という文字を見る。明石くんから聞いただけで詳しくは知らないけれど、ダンガンロンパは本当に終わったのだという。百田くんをはじめとした出演者の行動がきっかけで、視聴者の方が番組に愛想を尽かしたのだと。その流れに乗じて、番組の出演をきっかけに体調を崩したという人の手記も発表されている。こうなったらもう、復活はなかなかできないだろうね、と言うのが明石くんの見解だ。



「ところで百田とは連絡取らないの?」



 スマホを閉じた瞬間に届いたメールに、私は眉根を寄せる。
 地方都市の平日昼間の電車内に乗客は少なかったけれど、二人掛けの椅子に座った私は思わず小さくなってしまった。どう返信したものか考える。今更連絡なんて、迷惑じゃないかな。都合よくないかな。そう思ってしまうのだ。第一、メッセージアプリはともかく、電話番号とメールアドレスは変えていない。百田くんから連絡が取りたければいつだって取れる状態ではあるのに、それがないということは、つまりもう、そういうことなんじゃないだろうか。
 つらつらと書き連ねて送信すれば、「めんど」とたった三文字で返ってきてしまった。めんどくさいとすら打ってもらえないらしい。返信に困って、返すのをやめた。電車の発車時刻まであと一分もない。階段を駆け上って来た男の人の頭が視界に映る。
 間もなく、六番線ホームより○○行きが発車いたします。聞き慣れた抑揚の薄い声が場内アナウンスで伝えられていく。ここから家の最寄駅までは、四駅。それまで少し目を瞑っていよう。その間にもしも勇気が出たら、電車を降りた後で、消してしまった百田くんの連絡先を明石くんに尋ねてもいいのかもしれない。いや、もしも勇気が出たら、なんて消極的なものじゃなくて、もう、絶対に、絶対にだ。ごめんねって言うのだ。たくさん振り回して、わがままばかりで。迷惑ばかりかけて。自分自身が、以前と比べてずっと前向きになっているのを感じている。この背中を押してくれているのは、明石くんで間違いない。辛辣なときもあるけれど、百田くんの友人である彼からプラスの言葉を貰えるのは、心強かった。
 ぷるるるるる、と、発車を知らせる電子音と、扉の閉まる音がする。ああ、間に合ったねえ、なんていう女の子たちの声が聞こえた。田舎の電車は本数が少ないから厄介だ。そういえば、さっき階段を駆け上ってきた男の人は間に合ったのだろうか。は、と目の前で漏れた、私の前に立ったらしい男性の息切れに、目を薄く開ける。
 もうすぐ八月が終わる。私が百田くんを諦めてから、一年が経つ。私はいろんなものを失って、きっともう何も知らなかった高校生には戻れない。だけど、戻れなかったとしても、最初にこの手のひらから抓んで、私とは関係のないテーブルの上に戻したあなたを、私は執念深く捜しつづけていた。
 あなたもそうだったらいいのにと願いながら。



「よう、三浦」



 息を切らした男性が、深呼吸の後に吐き出した、その言葉に顔をあげる。
 半袖から伸びた腕をつり革に伸ばしたその人は、日に焼けた顔をどこか強張らせながらも、ぎこちない笑顔を浮かべていた。一年前よりも、彼は少し大人びていた。身体つきは益々しっかりしていて、なのに、表情だけは柔らかいままで、私のことを優しく見つめていて。そうと認めた瞬間、ああ、と、声とも息ともつかない音が、私の唇から漏れていく。
 言いたいことがたくさんあった。さっきだって、そういうことを考えていたはずだ。なのにそのどれもが全て弾けて霧散してしまった。彼の名前の、最初の一文字すら、喉に張り付いたまま剥がれてくれない。
 入学式の日に電車の中で見かけたこの人を、私はずっと追いかけていた。私の好きな人。いつだって強かった。不可能なんてなくなるぜ。あの日スマホから聴こえたその声を、私は今もずっと耳にこびり付かせたまま。
 知らないうちに流れた涙ごと、不細工なその泣き顔を隠すために両手で顔を覆う。ごめんねって言うのだ。たくさん振り回して、わがままばかりで。迷惑ばかりかけて。だけど、一番伝えたいことは別にある。私は百田くんを自分の都合で突き放しておきながら、まだ、大好きなのだ。傍に居たかったのだ。入学式の日からずっと。



「――百田くん」



 それしか言えない私に、彼は眉を下げて笑った。
 電車の窓の向こうで、見慣れた景色が流れていく。
 私の過ごした田舎町、それを背に、あなたは私を何度でも迎えに来る。