act01.天海蘭太郎
最後の一歩を踏み出す瞬間、千切れそうな声を聴いた。
耳の傍をけたたましく鳥が鳴き、飛び去る。その羽音に紛れる様に俺の名を叫ぶその声の主は、どんなに説得に時間を割いたところで俺の決断を受け入れてくれることはないだろう。大人しいその容姿に反して、頑固な女の子だったから。
まさかこんなことになるとは思わなかった。ここまで仲間を犠牲にして、それでもまだ誰かを見捨てる必要があるだなんて。
「やっぱり天海だった」
俺を迎え入れるように微笑んだ「黒幕」の彼女は、それから俺の肩越しの少女を見た。彼女はまだ何かを叫んでいたようだったけれど、俺の耳はどうやらそれを遮断しようとしているらしい。未練を残すまいと。
「……まあ、仕方ないんで」
彼女の言葉にそう答えた俺に、白い手のひらが向けられる。わざとらしいくらいに恭しく差し出されたそれに、自分の手を差し出す。その瞬間、だめ、と、背後の少女が強く叫んだ。そこだけが、酷く鮮明だった。切り離すことなんてできないくらいに。
ごめんと言えたら良かった。でも、どれだけ時間を巻き戻したとしても、俺は自分の意志で、この女の手を取るだろう。
これは、俺のエゴだ。
手のひらの感触を知る瞬間、俺の意識は凶暴な嵐に飲み込まれたかの様に、一瞬で途絶えた。
「お疲れ様です」
目を開けるや否や、女性のものを模した機械音声が耳に直接響いた。
視界に映る薄い緑色の膜は見るからに硬質で、けれど薄らと透けて見える向こう側の景色に見覚えがないとは言えない。頭が重い。空気が抜けるような音と共に目の前の膜が中央で二つに分かれて開かれる。その間も、人のものではない声は耳の中で止もうとはしなかった。
「カプセルから出てください」
そう命じられたところで、思考もまとまらなければ手足に力が入ることもない。どうして俺はこんなカプセルの中にいたのだったか。視界の隅に映る巨大なマザーコンピュータは、母親が胎児に栄養を送るかのように俺の眠っていたカプセルまでその太く長い管を伸ばしている。
あれはイミテーションです。雰囲気が出るでしょう。あれは誰の言葉だったか。混濁した記憶の中で、口元を歪める様にして微笑んだ人が浮かんで消える。
「お疲れ様です。カプセルから出てください。お疲れ様です」
痛む頭にいつまでも延々と繰り返されるその音が煩わしくて、しっかりと被されていた機械を外そうと手をやる。しかしそれは自分が触れるよりも先に他人の手によって取り外された。不意に軽くなった頭蓋、耳障りな機械音声が遠くなる。
長い夢を見ていた。それは酷い悪夢だった。
「お疲れ様でした」
折角聞こえなくなったあの音と、似たような声質で、その人は言う。
「ご気分はいかがですか。天海蘭太郎さん」
俺の被っていた機械を手にしたまま、彼女は目を細める。フレームレスの眼鏡をかけた理知的な顔つきをしたその女性の胸元には、「チームダンガンロンパ」と書かれたネームプレートがぶら下がっていた。
ダンガンロンパとは、一部からの人気が根強いネット配信番組である。
仮想空間内で出演者を閉じ込めてコロシアイを強要させると言えば聞こえは悪いが、それが持つ残虐性よりも彼らが織りなす人間ドラマの方に惹かれる者も多くない。結束する者、裏切り出し抜く者、愛欲に逃げる者、自ら死を選ぶ者。絶望エンターテイメントという謳い文句に恥じないだけの愛憎劇がそこにある。
出演者自らがオーディションを受けてこの番組に参加を希望したという事実は、最新の技術が詰まっているとされるヘルメット型の機械を被った瞬間彼らの記憶からすっかり抜け落ち、彼らは「超高校級」の才能を持った何者かになる。ここから出たければ殺しあえという理不尽な命令に、誰もが顔を青ざめさせる。ダンガンロンパの世界の中で「死」とは単なるゲームオーバーだ。その瞬間に仮想空間から目覚め、現実世界での生活に戻るだけ。ゲームと何ら変わりない。
とは言え出演者に閉鎖空間でのコロシアイを強要するというその過激性から、あくまでサブカルチャーとしての色合いが強い。世界的に表現の自由が見直され始めた昨今、一時期よりは報道や番組に対する規制は緩まったが、このダンガンロンパシリーズは倫理委員会に引っかかる。五十作以上も続くダンガンロンパはテレビ番組としての放映はされておらず、専らインターネット配信に限定されていた。
無論番組の性質上、十八歳未満はサイトにアクセスすることができない。所謂登録制が導入されているおかげで、健全な青少年はダンガンロンパを視聴する権限を持たないのだ。
――しかし、それは表向きの話である。抜け道はどこにでもあるもので、中高生たちは違法サイトや不正にアップロードされたダンガンロンパを観ることに命を賭けていると言っても過言ではなかった。
働き盛りの大人たちは、そんな娯楽に目を向ける余裕も暇もない。結局ダンガンロンパがうけるのは、いつだって仄暗いものに惹かれる若い世代だ。
電車でも、街中でも、子供たちの口から飛び出すのはダンガンロンパの出演人物たちの名前であった。あの子が可愛い、でもあの死にざまはナイ、あのトリックは痺れたね。けらけらと笑う子供たちのその目は興奮のせいか僅かに血走っていて、世も終わりっすね、と、世間一般で言う「大人」の俺は思う。
無論、俺も自分が高校生だった時分は友人が違法サイトからダウンロードしたダンガンロンパを観て楽しんだものだ。自分が出演することになったらというありえない仮定の話を持ち出して、冷静に考えれば無理のある荒唐無稽のトリックを作り上げて満足して笑った。出演者募集のページを見ては「お前、いつか出てみれば」と仲間内で冗談を言い合ったのは、もう何年前のことだったか。
あの頃の俺は、本当に自分がこちら側に立つことになるなど想像していただろうか。
「こちらが生存特典のトロフィーになります。このトロフィー、なんと本物のクリスタルでできているんですよ。玄関なんかに飾って置いたらとっても素敵じゃないですか?」
まだ体が上手く動かせないというのに無理に別室に案内され、有無も言わせずに渡された「戦利品」たちにため息の一つも吐きたい心地に襲われる。
眼鏡の女性は、白銀と名乗った。年は俺と同い年ほどだろうか。もう嫌というほど相手にしてきたモノクマを模したクリスタルのトロフィーをうっとりした目で眺める白銀さんから視線を逸らして、そういえば似たようなもので人を殴り殺したやつがいたと思い出す。あの悪夢の中で。
随分頭がはっきりとしてきた。そう、自分は確かに、ついさっきまでダンガンロンパの世界にいたのだ。
記憶を奪われ見知らぬ学校に閉じ込められ、超高校級の才能を与えられ、理不尽なルールを背負わされ、コロシアイを強要された。疑心暗鬼の果てに何があったのか。俺たちはやがて自らが作られた舞台の上にいたことに気が付く。その時には頭の数は、首謀者を含めた四人だけになっていた。
しかし校則にある通り、あの世界から「卒業」できるのは二人だけだ。誰か一人が首謀者と共におしおきされなければ、誰一人としてこの世界からは出られない。そう言われ、何か考えるよりも早くに手をあげた。あの時俺を見ていた彼女の顔は、あの中で起きたあらゆる出来事がフィクションだったと知った今も、いやにはっきりとこびりついている。
「……生存特典って言っても、俺は最後までは」
「まあまあ、細かいことは気にせずに。あそこまで首謀者を追いつめた記念だと思ってください。世界に三つしかないんですよ」
三つ。そう言われて、最後まで共に生き抜いた二人を思い出す。いや、厳密に言えば、そうではない。俺がこの脳裏に強く描いたのは、彼女の方だ。
「それにしても、最後の判断は潔かったですね! わたし達チームダンガンロンパも息を呑んで見守っていました。御存知ないでしょうが、天海さんは視聴者からもとても人気がありまして……」
「……白銀さん」
「はい?」
話の腰を折られた白銀さんは少し不服そうな表情を浮かべたが、すぐに柔和な笑みで感情を殺す。気分を害したらしいことは透けて見えたが、だからと言って気を遣う気にはならない。
疲れていた。だけど、それでも自分の決断の先を見届けたかった。俺は彼女の背後に広がるこの部屋を、視界の端で、どこか漫然と眺めている。こんな時ですら、俺は自分のいる場所を把握しておきたいと考えているらしい。あの殺伐とした世界に身を置いていたせいだろうか、全ての物が、敵に見える。
地下にあるらしく、窓のない個室。壁一面に貼られた「ダンガンロンパシリーズ」のポスターに見覚えのないものなどほとんどない。「ダンガンロンパV3、出演者大募集! キミもヤってみないか!」御馴染みのマスコットキャラクターであるモノクマが、宇宙を背景に飛び上がっているもの以外は。
俺はコロシアイの世界に身を置いていた。自らが望んでオーディションを受けた。あそこにいる全員が、そうだったはずだ。俺と一緒に最後の裁判を生き抜いた、あの少女だって。
彼女の悲鳴は、まだ耳にこびりついている。
「……さんは」
白銀さんは俺の発した彼女の名前に、浮かべた笑顔を、僅かにすらも崩さなかった。
天海蘭太郎。
そう検索欄に入れてしまえば、ダンガンロンパV2の記事やファンによる個人の考察ブログが何千何万とヒットする。
天海蘭太郎。「超高校級の冒険家」として五十二作目となるダンガンロンパを終盤まで生き抜いた人物。最後に自らが犠牲になる道を選んだその決断力や、外見の良さから女性ファンが多い。最後の裁判では共に生き残った「超高校級の図書委員」と共に見事な推理をしてみせた。なお、シーズン開始直後から彼の人気が爆発したために運営側が天海蘭太郎を最後までリタイアすることがない様に調整したという「やらせ疑惑」も囁かれているが、真偽のほどは定かではない。
ブラウザバックして検索画面に戻ると、再び自分の名前を入力する。「天海蘭太郎 かっこいい」「天海蘭太郎 生死」「天海蘭太郎 やらせ」「天海蘭太郎 」予測欄の後半にようやく現れた「役者」という字は、まるでちょっとした添え物にしか見えない。
所詮、その程度ということか。現実を目の前に、口元に自嘲気味な笑みが浮かぶ。
ダンガンロンパシリーズは、インターネット配信限定とは言え超人気番組だ。
成人した健康な男女、たったそれだけで誰もが出演できる可能性を秘めている。仮想空間なればこその強みで、ダンガンロンパシリーズが二桁に突入したあたりから導入された「アバター制」なるものが存在することも、このオーディションに応募が殺到する理由だろう。
「顔や名前を表には出したくないけれど出演してみたい、そんなあなたもこのアバター制なら大丈夫! 自分好みのアバターになって、ダンガンロンパに出演しよう!」
そんな謳い文句につられて出演を望むものは少なくない。何せ、番組出演後の人生に於いてデメリットがなくなるのだ。誰を殺そうと、どんな間抜けな死に方をしようと、現実世界に戻ればそれはただのゲーム内の出来事として処理される。もしかしたら、同じ電車に乗り合わせたそこの地味な男性が、昨日殺された超高校級の誰かかもしれない。だからこそそれは、現代の若者のニーズに応えた画期的なシステムとも言えるだろう。
中にはそれを利用しない人間も、いるにはいるけれど。
書類審査で相当数を落とすと噂のダンガンロンパだが、書類審査を通ったオレが面接をした日、会場に居たのは百人かそこらだった。それが多いのか、少ないのかは分からない。様々なタイプの人間がいるものだ。控室の隅に座りながら漫然とそこにいる一人ひとりを眺め、考える。
明らかに根暗そうな男女が数人、大きな声をあげて笑う派手な男に怯えているのが良くわかる。自分以外の人間に興味ありません、という顔でスマホをいじる小柄な男性は、しかし視界の端で周囲を見ているのがバレバレだ。緊張しているのかそわそわと室内を歩き回る女性に、先日放送されたばかりのダンガンロンパの話で盛り上がるグループ。ここではパッとしない彼らも、ダンガンロンパの世界に足を踏み入れれば鮮やかに変貌する。
書類審査に通った後の二次試験として与えられるのはアバター作成だ。書類が通った人は実際に自らが作成したアバターを使い、仮想空間で面接を受ける。これもまあ、ダンガンロンパに出たいと一度でも考えたことがある人間なら誰でも知っているだろう。最終的には受からなくてもいいから、アバターでの面接はやってみたいというミーハーな層だって多くいると聞く。いまいちテレビ映えすることが難しそうな面々も、面接が始まって専用の機器を頭に被ってしまえば、各々の理想を詰め込んだキャラクターに姿を変え、ダンガンロンパ世界に溶け込む容姿を手に入れられるだろう。だから控室にいる彼らも、数分後、ないしは数十分後には、自分の望んだ姿になることができるのだ。
しかし、成人した健康な男女、と銘打ってはいるが、実際集まっているのは二十代前半の若者くらいしかいない。結局この番組がうけるのは若い世代だ。悪趣味な娯楽は年を重ねるごとに嫌悪の対象へと変わる。ここにいる彼らだって、いつかは今日のことを後悔する日が来るだろう。そしてそれは勿論、俺にも同じことが言えるはずだった。
このゲームに参加することで今後の人生に影響を与えたくないと思う人間がいれば、逆の思惑を持った人間も、少数ではあるが確かに存在する。要するに、ダンガンロンパを足掛かりに名や顔を売ることを狙う層だ。売れない歌手、モデル、行き場のない自己顕示欲を持て余した人間、そういえば昔、「生き別れた双子の姉に見つけてほしくて」なんていう理由で本名のままに参加した女の子もいた。
なんて、他人事のように言ってはいるが、俺も同じ穴の狢だ。天海蘭太郎、職業は売れない役者。ぶっちゃけた話、仕事が欲しくて、名前を売りたいんす。オーディションで素直にそう言った俺に、チームダンガンロンパの面接官は笑った。
「いいんじゃない? 今のキミ、アバターじゃなくて地でしょ? アバターを作らないで出演したいなんて言ってくれる子、最近ではあんまりいなくてさ」
「ありがとうございます」
「才能の希望はある? 絶対は無理だけど、多少の融通なら聞くよ」
面接での反応に、手ごたえはあった。薄く微笑みながら、準備していた言葉を返す。
「使ってもらえるなら、何でも」
本当は、役者として出たかった。その方が、名が売れる。だけど、あまり我儘を通すのも気が引けたのだ。
結果俺に与えられた才能は「超高校級の役者」ではなく、「超高校級の冒険家」という、何だか馴染みのないものだった。
ダンガンロンパV2を終えた直後、俺の仕事は増えた。
そもそも、最終的には自分で望んだこととは言え、ダンガンロンパへの出演を俺に勧めたのは事務所だ。エキストラの役どころしかなかった俺を、金をかけずに売り出すという事務所の目論見は当たり、俺は台詞の一つ二つがある端役を与えられるくらいにはなった。しかし、最終的には才能が物を言う世界だ。あのダンガンロンパに出た俳優として雑誌などに露出したのは一瞬だけで、既に取材の申し込みは減り始めている。作り物ではない、本物の輝かしい経歴と才能を持った役者たちに埋もれていくのは時間の問題だった。こうなってくると、「超高校級の役者」として番組に出なくて正解だったと思う。もしもそれを選択していたら、俺は現実と仮想空間での天海蘭太郎とのギャップに打ちひしがれて絶望していたかもしれない。
いや、そもそも、もうしているのだ。
ダンガンロンパ効果は俺や事務所が思っていたよりも遥かに短かった。あの天海蘭太郎は現実では大根役者、そんな書き込みをネットで見つけるたびに自分が削られていく。
他の出演者たちは、こんな苦悩を味わうことなどないのだろう。今やほとんどの出演者がアバターを使ってあの番組に出ることを当然としている。文字通り人生を賭けて危険を冒す人物など多くない。彼女だって。
。そう検索しかけて、やめた。彼女は今、何をしているのだろう。「ダンガンロンパ」のブランドを持ってしても売れなかった俺を、彼女はどう思っているだろう。
「ダンガンロンパV2」から目を覚ましたあの日、彼女のことを教えて欲しいと言った俺に、白銀さんは笑顔を作りこう言った。
「申し訳ありません。個人情報なので、さんは勿論他の共演者の方に関する情報はお教えすることはできないんです」
あの日渡されたクリスタルのトロフィーは、今も梱包されたままの状態で部屋の隅に転がっている。