わたくしの産まれた国のことを、さんは御存知ですか。
ノヴォセリック王国と言う、ヨーロッパにある小国です。ええ、あまり馴染みはないでしょう? 面積はさほど大きくはありません。世界地図を見たってもしかしたら見つけられないかもしれませんね。人口も僅かですが、金融業で成功しており、さほど貧しくもありません。
緑の多い国です。日本ではまず見ないような動物もいますし、少し標高が高いので空気が澄んでいます。山の斜面を開墾して作った畑からとれるブドウからワインを生産しているのですが、これもまたワイン好きの人からは評判がいい品なんですよ。
ふふ、真剣に聞いていただけるとわたくしも嬉しいです。そうですね、わたくしたちは、あまりこうしてお話したことはありませんでしたから。本当は、わたくしもさんとお話してみたかったんです。まさかこんな形でそれが叶うとは思ってませんでしたけれど。
さんは、わたくしの言葉に、ただただ目を細めるだけです。
あのプログラムから目を覚まして、数日後。わたくしたちの体力の回復を待って、調書が取られることになりました。未来機関十四支部の十神さんが、その役回りを務めるそうです。
十神さんはわたくしたちがあのプログラムの中で親しんだ人と同姓同名でありながらも、彼とは随分タイプの違う方でした。どこか焦燥感に追い立てられているかのような目をする人だと思ったことを、良く覚えています。
「ソニア・ネヴァーマインド」
伸びきった髪の毛をまとめる力はそのときのわたくしにはなく、長く下がった前髪の隙間から、彼の瞳を見るしかありませんでした。
十神白夜さん。彼もまた、わたくしと同じで、一族を背負っていた方です。ただ、ただ一つだけ決定的に違うことがありました。
背筋を伸ばしたまま、揃えた膝に両手を重ねて、わたくしは彼を見据えます。
彼はわたくしの情報が事細かに記載されているのであろうファイルに目を落としたまま、なかなか顔をあげようとはしません。言いにくいのでしょうか、あの、超高校級の御曹司ともあろう彼が。不遜な物言いで敵を作ることの多かったあの王は、あのコロシアイを経て何かが変わったのかもしれません。
「お前の国は」
ええ、ええ、ならば、良いのです。
思っただけのつもりだった言葉は、もしかしたら口にしてしまっていたのかもしれません。
十神さんが顔をあげてわたくしを見据えました。眼鏡の奥の切れ長の瞳は、わたくしの後輩として学園で見かけたときよりは随分と腑抜けた、人間の目をしてらっしゃいました。「お願いがあります」わたくしの瞳は、どうだったのでしょう。
「さんを呼んでください」
十神さんが、彼女の名前を出したわたくしに一気に警戒の色を濃くしたのが、手に取るようにわかりました。ああ、大切に思われていたのですねさん。あなたはわたくしたちとはちがって、絶望を知らぬ人だから。本当は、だから、あなたはそのままでいてほしい。わたくしたちの罪に関わらず、あなたは進んでほしかった。
けれど、そう思うのと同じくらいに強く、わたくしはこの懺悔を、あなたに聞いてほしい。
わたくしの過去を知らないあなたに。
わたくしたちと同じようにプログラムから目を覚ましたばかりのさんは、その頃ご自分の体力の回復に努めておられました。十神さんはそのことを改めてわたくしに告げると、わたくしの希望を一度は断りましたが、それでもわたくしが折れないところを見てようやく受け入れてくださいました。
と言っても、わたくしがそれ以上頑なに何も語ろうとしなかったことで、すっかり呆れてしまわれたのかもしれません。
深いため息を一つ吐いた彼は、「仕方ない」と苛立ちを隠さずにその言葉に込めます。
一度席を外した十神さんは、それから数分後に再び部屋に戻ってこられました。
記録のために監視カメラのあるこの部屋でのやりとり以外は認めない。体調が悪くなればすぐ申し出る様に。お前たちを「絶望の残党」ではなく「七十七期生」として扱っているのは、苗木との要望があってこそだ。俺自身はまだお前たちを信用していないということを忘れるな。
そう釘を刺して席を外した彼と入れ違いで入ってきたさんの顔色は、まだ土の色をしていました。
彼女は部屋に入るや否や内から鍵をかけて、先ほどまで十神さんが座っていた椅子に座ると、それでもわたくしの顔をじっと見て、目を細めました。
懐かしい。そう思います。彼女はあの島に居た頃よりずっと大人びて、女性らしくなっていました。唇の両端が弧を描いて、けれどそれは、全く不自然ではない、美しい笑みでした、それがわたくしはなによりも嬉しいのに、どこかで軋んだ音がしたことに気がついてしまう。
「ソニアさんて、やっぱりすごくきれい」
なんて、場違いなことを仰る方でしょう。この会話もすべて、カメラを通して記録されていると言うのに。
つい先ほどまで目の前にいた十神さんとのあまりの対応の差に、わたくしはつい、笑って、いえ、笑ったつもりだったのに。
は、と吐きだした息が、あれほど上手く浮かべることのできた笑みが、すべて、崩れていくようでした。眠り続けたせいで衰えた筋肉が、上手く動かせない、それだけならばよかった。
「え、あ、そ、ソニアさん?」
わたくしは、安堵していました。
目を覚ましたわたくしに手を差し出してくれたさん、わたくしは、あの日から皆さんの顔をずっと見ていません。それはそうでしょう、わたくしたちは、絶望の残党。多くの人を殺めた罪びとです。結託する恐れがないと判断していただかない限りは、わたくしたちはこの島にいながら、ただ、孤独の水に沈まなければなりません。
わたくしたちは生きています。幸運です。ええ、生きているだけで丸儲けなのです。償うこともできぬまま、自分たちの罪に向き合うことのできぬまま死なずに済んだ、これを天命と言わずどうしましょうか。これが神からわたくしに与えられた罰で、贖罪のための余生だというのならば、わたくしはそれを受け入れます。
そう思っていたのに。
「す、すみません。おかしいですね。こんな」
ぼろぼろと流れる涙をどんなに拭っても、それはまるで止まる気配を見せませんでした。
簡素な、部屋です。真ん中にテーブルが一つ、それを挟んで向かい合うように設置された二つの椅子。地下にあるこの部屋は人口の光に照らされるだけで、壁の四隅に設置された監視カメラがわたくしの進む先をどこまでも見透かそうとするようで、薄ら寒い。
わたくしは覚悟をしたはずでした。贖罪のために生きるという覚悟を。だからこそ懺悔をしなくてはならない。向き合わなくてはならない。狼狽するさんに手を伸ばす。
「ソニアさん」
わたくしの涙で濡れた、震える指先を、さんは躊躇いがちに包みました。
赦されようとは思いません。受け入れ理解してほしいとも思いません。わたくしの犯した罪はわたくしだけのものであり、そこに責任を持つことができるのはわたくしただ一人です。押し付けることはいたしません。ただどうか、どうかこの日がよりよいものであるように。
わたくしが選んで進むこの道の一歩を、どうか見届けてほしい。わたくしが殺した、あまたの命。わたくしのために死に絶えた、わたくしの背負うべき国。
言葉にはしていないのに、見つめた先で、さんは深く頷かれました。
「じゃあ十神くんの代わりに、私が調書を取らせてもらいますね」
彼女が持つペンの先は、力強く、微動だにすらしない。