グランくんから長期の休暇を貰ったとき、アウギュステにあるって言うスパをお勧めしてくれたのはカリオストロちゃんだった。私と同じタイミングでお休みできることになったカトルくんは、「カリオストロちゃんにお勧めされてね」とパンフレットを持って来た私にちょっと複雑そうな顔をしてみせたけれど。
 カリオストロちゃんについて、また何か変なことでも企んでるんじゃないだろうな、ってカトルくんが考えているのは手に取るように分かる。彼がカリオストロちゃんにそういう警戒心を抱くのはほとんど私に責任があるわけだからその点は少し責任感を覚えるけれど、でもその時同席していたグランくんも「ああ、あそこはすごく良かったよね」って同意していたから、そこは心配しなくても良いはずだ。ルリアちゃんや他の団員さんも口々に良い場所だって言ってたし。
 カトルくんの部屋でソファに並んで座りながら、もらったパンフレットを太股の上に広げる。スパ・ザ・ブルー。極上の癒やしと安らぎをあなたに。小さいときに連れて行ってもらった大きなプールのあるスパリゾートを思い出して、懐かしさとわくわくでいっぱいになる。このスパ・ザ・ブルーにも広いプールがあるらしい。水は怖いけれど、でも海と違ってプールはいきなり足がつかなくなるようなことも潮に飲まれるようなこともないし、よっぽど恐怖心は芽生えないはずだ。



「プールもサウナもあって、リラックスエリアって言ってのんびり本を読んだり仮眠が取れたりするスペースがあるんだって。ね、見て見て、ほら、図書館みたいに本がいっぱいある。マッサージチェアも最新型ですんごい気持ちいいって聞いたの。へえ~、お泊まりもできるんだあ。すごいねえ……あ! ジャグジーもあるの? わ~」

「…………」



 私の隣で目線だけをパンフレットに落としているカトルくんは、口数が少ない。
 あんまり乗り気じゃない、のかな? 贅沢な場所って、そもそもカトルくんはあんまり行きたがらないし。窺うようにちらりと彼の顔を見上げれば、カトルくんはその長い睫毛で縁取られた瞳を一度瞬かせて、私に目を合わせた。



「……行きたいんですか?」

「……行きたいんです……」



 折角だし、できれば、二人で。「……だめ?」と見つめ返すと、カトルくんは分かりやすく眉根を寄せた。「だめってことはないですけど」って、割と柔らかい言葉を選んでくれることが嬉しい。



「えっ! ほんと!? だめじゃない?」



 カトルくんの赤みがかった瞳の中に、自分の顔が映っている。それを直視しないようにするためにか、カトルくんは私の手からパンフレットを取った。



さんが行きたいなら。……折角一緒に休みをもらったわけですし」



 その言葉に、思わず「いいの!?」って身を乗り出した。カトルくんがちょっと間を置いてから頷いたのを見て、思わず飛び跳ねてしまう。



「たまには良いんじゃないですか。さんもたまには羽根を伸ばした方が良いですしね」

「やったー!」



 スパ! プール! サウナはあんまり経験がないからぴんとこないけど、折角だから挑戦してみたいし、ぼこぼこの泡が出るジャグジーも久しぶりに入りたい。マッサージチェアも良いなあ。絵物語っていう、要するに漫画みたいなやつもいっぱいあるって聞いたから、色々見てみたいし。カトルくんと一緒だって言うなら尚更楽しみだ。



「やったあ、ふふ、嬉しいなぁ、時間足りるかなあ?」

「どうでしょうね。結構広いみたいですし」



 感情をそのまま表に出して喜ぶ私は、恋人っていうよりも子供っぽすぎたのかもしれない。大いにはしゃぐ私の隣で、カトルくんは暗記でもするみたいに館内マップを眺めている。この時カトルくんが、いつ何が起きるか分からないからと実際に地図を覚え込んでいたことを知るのは、もう少し先の話だ。
 ふと目を合わせるように私の顔を見たカトルくんは、特に表情も変えずに尋ねる。



「でも、大丈夫なんですか? あんまり得意じゃないでしょう、水」



 さらりと言ってのけられて、びっくりした。隠していたはずの事実がすっかりバレてしまっていたなんて思わなかったのだ。「バレてる……」と思わず零してしまった私に、カトルくんはちょっとだけ笑いを堪えるような顔になった。








 さんとアウギュステの海で過ごしたのは去年のことだったけれど、あれはグランサイファーに乗るぼくら全員に与えられた一日の休暇の中でのことだった。結果全く二人きりだったわけではなかったし、デートとは言えなかったと思う。
 ぼく達はパラソルの下で二人並んで砂浜に座り、騎空団の仲間らが遊んでいるのを眺めていた。さんは最初、グランさんたちとビーチバレーをしていたけれど、それ以前も、ぼくと一緒に居ても、ついぞ「海に入りたい」とは口にしなかったから、多分泳げないんだろう。下に水着を着ていたことは分かったけれど、彼女は身につけていたワンピースを脱ごうともしなかった。例え不可抗力であっても他の男に身体を見せるのはあまり好ましくなかったから、それはそれで別に構わなかったのだけど。
 一年越しではあるが、暗に泳げないのだろうとぼくに確認されたさんは、その瞳を大きく瞬かせて僕を凝視している。さっきまでこのスパ・ザ・ブルーとやらに行けることを大仰に喜んでいた人とは思えないくらいの表情の変化に、つい笑ってしまいそうになるが、さんが「バレてる……」と口にする方が早かった。



「わ、私、泳げないって話したっけ」

「してませんけど。去年海で随分大人しくしていたので、そう思い込んでいました。違いました?」

「いや、違くないです……泳げないです……」



 でも、プールだったら沖に流されることもないし、海月もいないし、肌もヒリヒリしないし、足も急につかなくなるとかないし。ごにょごにょと口の中で呟くさんは、あまり海に良い思い出があるわけではないらしい。それを思えば、去年ああして海に付き合っただけでも彼女の中では勇気のいることだったのかもしれない。でも、水が怖いならプールだって無理をして行く必要はないのではないだろうか。



「本当にここで良いんですか? ゆっくり過ごすだけだったら他にも……」

「やっ! ここがいいです!」

「……はあ」



 一体何がそれほどさんを駆り立てているのかは定かではないが、よっぽどこのスパに行きたいらしい。プール以外にも、サウナやらリラックスルームやら色々あるようだし、さんがどうしてもここが良いと言うなら付き合うが、それでもやっぱりぼくは去年のあの日と同じことを思ってしまうのだ。
 さんの水着姿を他の男に見せるのは面白くないな、と。
 去年のようにずっとワンピースを羽織っているわけにもいかないだろうし、その辺はある程度仕方ないと割り切らなければならないのかもしれないが。
 宿泊の手配をしなくてはとパンフレットを眺めながら、不安と、ぼくらしくない期待とが混ざり合っていくのを感じる。できればお腹が出ない水着を着てほしいけれど、と隣に座るさんの薄い腹に視線を落とした。水着について言及しかけた、開きかけた唇を噛む。彼女の楽しそうな表情を見ていたら、自分の心配事が随分野暮なものであるように思えたのだった。


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