LOOP.001




「チハル、大丈夫かな」



 しんと静まりかえった重苦しい船内の空気に耐えられなくて、誰にともなく呟いた。
 星間航行船D.Q.Oのメインコンソール室、そのやたら白っぽい灯りの下で、全く色の異なる三人分の瞳が私に向けられる。そのどれもがある程度は無遠慮なものだったから、思わず怯んでしまった。
 無機質な部屋だ。前方には操縦席があって、その奥は深海を思わせるような、宇宙の深い闇が広がっている。普段から船の擬知体によるLeViが自動運転を実行してくれているおかげで、その席に座る人は恐らく、長くいない。
 私の発言によって生まれた沈黙を縫うように「んー」と言う、今この場には不釣り合いに思える明るい声が響いた。声の主は、四人で座るには少し大きすぎる円卓の、私の丁度真向かいに座るSQだ。頭頂部で結んだ鮮やかな赤い髪を揺らしながら、彼女は場違いな笑みを浮かべる。



「まあ、セツがついてるんだし、ダイジョーブじゃない?」



 彼女とは先ほども食堂で美味しくはないパスタを向かい合って食べた仲だけど、今は上手く笑みを返せなかった。口元が引き攣ってしまいそうになって、彼女の目を見るふりをしながらその実私はその頬に描かれたハートの印を見つめている。チハルのことを心配する言葉を口にしておきながら、私は、今私たちの中心に存在している大きな問題を、このとき確かに恐れていたのだ。
 どうしよう。胃のあたりが痛くなって、こっそり手を当てた。一つ席を空けて私の隣に座っていたラキオがちらりとこちらに目を向けたのを視界の端で感じ取る。それは心配とか、そういう種類のものではない。単純に、自分の視界で妙な動きをしてみせた私を不審に思っているだけだろう。仕方ない。この状況下では、何もかもが仕方ない。皮膚がぴりぴりとした痒みと痛みの中間のような刺激を覚える。
 だって、まさか、突然こんなことになるなんて思ってもみなかった。これから先のことは確かに不透明だったけれど、それでも私たちを襲った「最低最悪」からは抜け出せたと思っていたから。私たちはまだあの日の延長線上にいる。きっと皆もそれを、察している。
 折角あの騒動の中、ルゥアンを脱出して生き延びたって言うのに。



「チハルが帰ってきたら、そのまま眠ってもらえば良いンじゃない?」



 張り詰めた緊張感の中、呟くと言うよりははっきりとした口調で口にしたのはラキオだった。その場にいる全員の視線が集中しても、私と違って、ラキオは堂々としている。あのグリーゼの出身だって言うし、それなりの場数は潜り抜けているんだろう。ここでの生活でその率直な物言いには随分慣れたけれど、この場においても一切の遠慮がない発言には、思わず言葉を失ってしまった。
 だって、チハルを眠らせるって、それはつまり。



「……ラキオ。それは少し、短絡的」



 ぽかんと口を開けてラキオの横顔を見つめていた私の左手側から、窘めるというよりは抑揚の薄い声音が響いた。
 私を六時方向、SQを十二時方向とするなら、ちょうど九時の方向に座っていたジナだ。言い返される形になったラキオの薄い眉が分かりやすく歪んだのは、わざわざそちらを見なくても分かった。



「……ジナ、君は本気でそう言ってるわけ? 今、この状況で、誰が一番怪しいかなんて明白だろう? それとも君は集団自殺をお望みかい?」

「……違う。本当にそうなったら困るから、せめて決めつけずに話し合いくらいはきちんとすべきって言っているだけ」



 気色ばんだラキオとは対照的に、ジナは目を伏せる。ジナは普段から物静かで、落ち着いた女性だけれど、私みたいにどっちつかずの態度を示すことはない。自分の考えをしっかり持った、意思の強い人なのだ。だけど、この状況だとどうしても対立構造を作らざるを得なくなってしまう。ペインティングの施されたラキオの表情がはっきりと苛立ったように歪んだのを見て、ああ、と思う。ああ、どうしよう。助けてセツ。って。
 そんな二人を取りなすように響いたのは、私が心の中で助けを求めたセツではなく、SQの、ちょっと場違いな明るい声だった。



「まーまー二人とも、怒っちゃいやん!」



 片目を閉じておどけたように笑うSQは、この空気を解すには少し力不足らしい。
 こういうとき、場を収めてくれるのはいつもセツだった。
 これからどうするべきなのか、どこへ向かうのか、明確な指針のないままの宇宙飛行はそれこそ手探りで、それが故にどうしたってぎすぎすした空気になることがある。あの混乱の中、辛くもルゥアンを脱出することができた私たち六人が、全員初対面だったというのも問題なのだと思うけれど。ルゥアンで私たちを先導してくれたセツは軍人で、だからこそセツの言葉にはいつも説得力があった。「そんな風にセツを盲信しているのは、セツ贔屓の君だけだよ。ああ、だけどそういえばチハルも気に入っているんだっけ?」と意地悪なラキオは言うけれど。
 ラキオは分かりやすく眉を顰め、苛立ったようなため息を一つ吐いた。彼の頭の装飾がふわふわと揺れるのを視界の端で追う。



「……SQ。そもそも僕は怒ってなンかないけど?現在得られる情報から考えられる最善を選択しようと提案しただけさ。まあ、君達が愚か者の集団でないならば自ずと僕の選択が正しいことくらいは分かるだろうけれど。ねえ

「はいっ?」



 急に名前を呼ばれて上擦った声をあげてしまった。ラキオの浅黄色の瞳は真っ直ぐ私を見つめているから、どぎまぎする。
 口を開けば文句ばかりだし、オブラートに包むことをしない真っ直ぐな言葉は時折私を殴りつけるくらいの暴力性を持つけれど、それでもやっぱり、私はラキオのことは美しいと思っている。セツやチハルと同じくらいに。
 美しいものは、好きだ。



「いくら君でも、今怪しむべき人間が一体誰なのかは一目瞭然だろう?」



 細められた眼球に、途方に暮れた、迷子になった子供のような顔をした私が映っている。あやしむべきにんげん。口の中で、なるべく時間をかけて呟いた。
 四人分の呼吸音が落ちるだけのメインコンソールで、私が「そう」と言われたわけではないのに、追い詰められたような気になる。



「こんなタイミングで記憶喪失なんて、怪しいことこの上ない」



 でも、だけど、そんなこと言われても、って思うのだ。
 私はまだ何も答えていないのに、まるで念を押すようにラキオは言う。



「決まりだよ。チハルがグノーシアだ」



 そんなことないって言いきるには、だけど、確証がなかった。
 LeViが私たちにグノーシア反応の検出を伝えたのは、今から数刻ほど前のことだ。
 自覚していたにしろ、無自覚にしろ、これまでここにいる全員が口にするのを避けていたその存在が、ラキオの発言により鮮やかに色をついたようになる。
 人間を消してしまうというグノーシア。それがこの星間航行船D.Q.Oに乗船した、私たち六人の中にいる。それだけは、疑いようのない事実だった。
 部屋の外から、二人分の足音がする。「あれっ?」とSQが顔をあげる。「治療、終わったみたいだね」ジナの声に、心臓がどくりと音を立てた気がした。無意識に、身体の前で指を組む。



「ほら、人類の敵のお出ましだ」



 ラキオが言い切るかそうでないかのその瞬間、自動の扉が音を立てて開かれたその先に、その二人は居た。




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