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「お、アレはイグナーツだな」



 西の砦を制圧した後、そう言ってクロードが北東の空を見上げた。つられてそちらに目線をやれば、なるほど帝国兵に奪われていたはずの弓砲台から弧を描いて放たれる矢が見える。「無事に奪い返せたか。良かった良かった」クロードの独り言は大きく、僕に聞かせるためのものであることは明白だった。安堵した顔を見られるのが煩わしくて、怪我の治療をしてくれているマリアンヌさんの手元に目線を落とす。
 僕は戦場にその身を置くことは兎も角として、を弓砲台の奪取に向かわせるのは反対だった。戦場慣れしていない彼女だ。帝国軍との戦闘において臨機応変に対応できるとは思えないし、いざとなったときに訓練通りに剣を振れるかも分からない。ならば共に行こうと主張した僕をクロードは引きずってこちらの隊に入れたのだから、怒りたくもなる。クロードから言わせれば、あれ以上弓砲台の奪取に人数は割けないとのことだったが、分からないでもないから余計にこの焦燥感の落としどころを失ってしまうのだ。
 しかし、だからといってをこちらに連れてこなくて良かった。砦付近に居た魔獣の相手も骨が折れたが、それ以上にあの男が厄介だった。ヒューベルト=フォン=ベストラ。あの男が西側の砦を守っていたのだ。あの強大な魔法にはなかなか苦戦はしたが、どうにか撤退に追い込めたのだからヒルシュクラッセとしても最低限の仕事はできただろう。おかげで援軍も上手く呼び寄せることができそうだ。ならば僕の負った多少の傷など安いものか。今更伏兵など残っては居ないだろうが、注意深く周囲を観察した後、クロードは僕に目線を向けた。



「この辺の敵は一掃した、と言っても東の砦まで向かうのは現実的じゃあない。と合流したければ、あの弓砲台目がけて行けば良いが……どうする?」

「……どうする、とは何だ。が今もまだあそこに留まっている保証はないだろう」

「いや、それがあるんだよ。俺はイグナーツにを弓砲台に留めておくように頼んだからな」



 留めておくように頼んだ、そう彼は言うが実際はその指示通りになっているかどうかは分からない。それこそ、無謀ながらにベレト先生の元へ向かっているかもしれないのだ。先生のところにはヒルダさんも、確かドロテアさんもいたはずだ。仲の良い二人の身を心配して合流しようと彼女が思いつく可能性は十分に考えられる。
 だが、それもないなとクロードは首を振る。



「取り戻す過程、或いはその後においてもし何か問題が起きていたら、弓砲台を取り戻し次第こっちの森目がけて矢を撃ってくれと頼んでおいたんだ。だがあれは真っ直ぐ前線の方を狙っている」



 ということは、もイグナーツも無事だし、俺の指示通りにいっている、と考えて良いだろう。そう続けた彼に、僕は不本意ながらも安堵してしまう。時折生来の無鉄砲さを覗かせるが前線に出ていたとしたら。その不安の芽を呆気なくむしり取っていくのだから、良く計算している男だと思う。



「二人が無事であることに確信があるならば、余計に今下がる必要はないのではないか? 我々の力が必要なのは前線だろう」

「……あの、治療、終わりました……」



 囁くような声音で呟かれ、は、と目線を戻す。「ああ、すまない。助かったよ、マリアンヌさん」相変わらず手際が良いものだ。
 すっかり傷痕をなくした腕を確かめるように撫でる。先刻、怪我をするなとに釘を刺されてしまったが、ここまできれいになれば怪我などしなかったと言い切ってもばれることはないだろう。負った裂傷も火傷も浅かったらしく、あっという間に消えてしまった。もそうであるべきだったのに。そんな無為なことを、今でも考えてしまう。あれから、もう一年が経とうとしていた。
 前線、ねえ、と歯切れ悪く口にしたクロードは、不意に僕の名を呼んだ。



「俺は戻るべきだと思う」

「は?」



 彼の言葉にそう声を出したのは、僕ではなく、今まで僕達の話を黙って傍で聞いていたレオニーさんだった。
 当然彼女は体勢を立て直した後はベレト先生の元へ向かうつもりだったのだろう。馬を扱うレオニーさんは機動力もあり、今の戦いを終えた後も余力が残っている。すぐにでも合流することは可能なはずだった。その目が何かを訴えるようにクロードを見つめるが、彼女もこの一年で成長している。自分の意にそぐわぬとも、その場における指揮官の話を聞くことの冷静さを彼女は身につけていた。表情には「どうして」と思い切り出ていたけれど。



「読めないんだよ」



 低い声で吐き出したクロードの瞳は、遠く、前線の方角へと向けられる。



「ヒューベルトがあっさり撤退したのはなぜだ? 一度はほとんど二重城壁の内側にまで侵入してあの弓砲台を奪うにまで至った帝国兵が、この程度の兵力しか持たない俺達を相手にわざわざ引いた理由は? 兵力差を考えた場合、本当に消耗したのはどちらの方だ? 皇帝であるエーデルガルトが前線に出て戦う意味は? 士気の向上のためか?」



 それはほとんど独り言のようだった。答えの出ない問答を整理するために、ただ並べただけのような。だけどそれは間違いなく僕達に、いや、僕に向けられていたのだ。



「寡戦を余儀なくされている俺達の士気を削ぐのに一番効率が良い方法は、一つだろう」



 僕は、その一つ一つに彼の満足する答えを出すことがきっとできない。
 段々と低く、捲し立てるようにはやくなっていく言葉の最後に紛れるように吐き出されたその言葉が。「なあ、ローレンツ」僕の名を、彼は呼ぶ。



「エーデルガルトが囮だとしたらどうする」



 クロードがその言葉を吐き出し終えたその瞬間。
 地鳴りのような轟音が、ガルグ=マクを包んだ。








「……もうこっちには敵は来ないかなあ」



 フェルディナントくんと別れてから、大分時間が経っていた。その間もイグナーツくんは定期的に弓砲台から前線を狙って攻撃しているようだけど、段々と敵兵も射程外へと外れて行っているらしい。敵が引いているということだろうか。このままいなくなってくれればいいんだけど。希望に満ちたことを考えてしまう。実際、もう城壁に迫ってくるような天馬騎士もいなかった。



「来なかったとしても、さんにはここに居てくださいね」

「う、いるよ、ちゃんと。そりゃあ皆は心配だけど、前線にはベレト先生もクロードくんもいるし、きっと大丈夫」

「あはは、そうですね。皆無事ですよ。きっと」



 イグナーツくんの笑顔に頷き返しながら、何とはなしにずっと握っていた剣の柄から手を離す。張り詰めていた緊張感が緩んだわけではないけれど、先程まで確かに自分の中に根付いていた動揺は、多少は落ち着いたようだった。
 弓砲台の傍にあった二人分の遺体は、イグナーツくんが少し離れた城壁付近に運んでくれた。もしもこのまま帝国軍の攻勢が落ち着くようであれば、彼らを弔うことはしてもいいだろうか。そう呟いた私に、イグナーツくんは「そうですね」と微笑んで頷いてくれたから、少しは救われたような気持ちになる。救われて良いことなんて、本当は何一つないのに。
 左の手首を不意に回した瞬間、ヒルダちゃんが作ってくれた腕輪がかしゃりと音をたてて、その存在を思い出した。戦闘の最中でも切れなくて良かった。お守りだってヒルダちゃんは言ってくれたから、やっぱり大切にしたい。



「イグナーツ、



 その時、不意に呼びかけられた。顔をあげれば、同じように二重城壁の間の魔道砲台から帝国兵を攻撃していたリシテアちゃんがこちらに向かって駆けてくるところだった。恐らく彼女の方も帝国兵の姿を射程内に収められなくなったのだろう。このあたりは随分と静かになってしまった。



「二人とも、無事なようで何よりです」

「うん、リシテアちゃんも怪我がないみたいで良かった」

「……いや、のそれは大丈夫なんですか?」



 べとりと髪についた返り血を見て、リシテアちゃんは怯んだように一歩後ずさる。「私の血じゃないから」と慌てて答えたけれど、だから大丈夫、というのもおかしな話かも知れない。リシテアちゃんは視界の端に帝国兵の死体を見つけたのか、得心がいったように「ああ……」と小さく頷いた。明るい色の大きな瞳はそれ以上この件について尋ねることをしないままにきょろりと動いて、前線の方へと向けられる。
 リシテアちゃんがやって来たことで、イグナーツくんも弓砲台から離れて城門までやって来た。遠くで歓声のような声を拾うことはできるけれど、前線がどうなっているかはここからでは分からない。それでも目を凝らそうとしたとき、城郭都市を真っ直ぐ走る大通りのそこかしこに遺体があったことに気がついて、思わずどきりとしてしまった。その中に学生とおぼしきものが認められなかっただけ、ましだったのかもしれない。



「しかし前線は随分遠のいたようですね。帝国軍はこのまま一度撤退するつもりでしょうか」

「うーん……まだ油断をしてはいけないとは思いますけど……」

「ええ、帝国の軍勢が強大である以上それは当然でしょうね。だけど……ん?」



 イグナーツくんと話をしていたリシテアちゃんが、その整った眉を不意に寄せる。



「妙な音がしませんか」



 それがガルグ=マクに押し寄せた魔獣の鳴き声であることを、この時の私たちはまだ知らない。
 だけど、何か嫌な予感だけはしていた。これが勝利の前兆であるとは到底思えなかった。
 私たちは思い知ることになる。
 何もかもがアドラステア帝国の手の平の上だったと。








 クロードの危惧していた通り、アドラステアの新皇帝はとんだ食わせ物だった。
 ベレト先生がエーデルガルトさんの首を取りかけたその時に、それまで潜ませていた全ての兵を動かすための合図はなされたのだと言う。温存していた兵を自身の伯父に率いさせ、圧倒的な兵力をもってガルグ=マクを攻囲せしめれば、我々の士気を削ぐのには十分だった。その直前までベレト先生率いるルーヴェンクラッセの攻勢は凄まじく、そのまま帝国の軍勢を撤退に追い込めるのではないかと希望を抱かせるほどであったから、尚更。
 夥しい数の魔獣を放たれ、直前の戦いでガルグ=マクを襲った兵力の数十倍の数の兵士が城郭内になだれ込んだ。抵抗は無意味だった。籠城するだけの装備も、食糧も、抵抗するための兵力も、最早我々にはなかったのだ。








 陽が沈み、残った騎士団の奮闘虚しく、ガルグ=マクは陥落する。帝国によりその宣言が大々的になされたのは、翌朝のことだった。
 混乱のさなか、どうにか達と合流し、僕達ヒルシュクラッセが帝国兵の目を掻い潜りながら山を下りるのにどれだけの労力を要したか。誰も死なずに逃げ切れたのは奇跡的だ。敗残兵として同盟領に逃げ帰った僕達は、あの直後にレア様とベレト先生の行方が分からなくなっているらしいことを、同じく逃げ出してきたと言う王国からの援兵に聞かされる。



「……情報が錯綜しているだけかもしれないが……参ったな」



 フォドラはこれから、混迷の世になるだろう。
 アドラステア帝国は、恐らくファーガス神聖王国ならびにレスター諸侯同盟領への侵攻を宣言するはずだ。グロスタールの嫡子として、どう動くのが賢明か。クロードの瞳が珍しく苦々しげに歪むのを見ながら、どこか冷静にそんなことを考える。
 その時クロードの隣で、青白い顔をして、それでも毅然と立とうとしている幼馴染みの姿を見た。ほとんど癖のように組まれたその指先も、伏せられたその睫毛も細かく震えている。彼女の毛髪にこびりついた血は既に固まっていた。何もかもが痛々しかった。生きていてくれて良かったとその肩を抱き寄せたくとも、できるわけがない。これからも戦は続くのだ。
 君はもう少し、平和な時代に産まれるべきだったよ。どうしようもならないことを思いながら、それでも僕は君の幸福をひたに願う。君の笑顔を、いつまでも記憶に焼き付けている。






 レア様とベレト先生は、結局見つかることはなかった。
 僕達を取り巻く環境は、そうして一つ一つ、大きく変わっていくことになる。


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