ボクの後から従士になったは、びっくりするくらい変な女の子だった。レアさまに直接おねがいされなければ、一緒に仕事するのも面倒だったくらいには。
 どこの出身なのか知らないけれど、まず、物の名前を知らない。知らない、っていうか、ボクたちの使うそれらと彼女が使う言葉とが一致してない、って捉える方が正しいと思う。例えば掃除をするのに使う木桶を指差して、彼女はそれを木桶ではなく、なんとか、って言う。何だっけ。バ、バ……。もう忘れちゃったけど。
 そういうのは何も木桶に限った話じゃない。ええと、でも今すぐには例が出てこないな。ボクはの言う謎の言葉を少しも理解できないんだけど、でも、彼女自身はボクが言い直した言葉については、分からないでもないみたいだった。木桶をじっと見つめてからちょっと考えて「あ、うん、そう、木桶」って滑らかな発音で言い直すから。
 彼女の言葉が分からないのは、ボクがパルミラの人間だからかな、って思ったけれど、そういうわけでもないらしい。士官学校の生徒が落としたらしいものを拾った彼女は先生を見つけ出すと、それを彼に差し出してこう言った。



「これ、誰の落とし物かわからないんですけど、ベレト先生に預けてもいいですか? なんか封筒の感じがラブレターっぽいし、勝手に見るのも良くないかなって思っちゃって」



 先生が「ラ……?」と聞き返したのを、ボクは見逃さなかった。先生の顔色ではっとしたらしく、「ラ……ラブいや……こい……恋文?」と言い直していたところを見るに、彼女が使う謎の言葉は、彼女の生まれた地方限定で使われるものなのかもしれない。尋ねてみても、彼女は自分の出身を曖昧に濁す。答えたくないことを無理に聞き出すのは良くないから、それからボクは、そのことには触れないようにしているけれど。
 そういうのが何度かあって、聞き返されるのが嫌になったのか、はたまた言い直すことが煩わしくなったのか、彼女は途中から、大抵のものについては指をさして「あれ」「それ」「これ」って言うようになった。そういう大人達って、パルミラにもゴネリルにもいたものだから、別にボクは気にしない。突然「ツィリルくん、あれってどこにある?」って言われたところで瞬時に答えを出してあげられるほど、ボクたちは息が合っているわけじゃなかった、っていうのが、唯一の問題だったかもしれないな。
 物事を指す言葉は大抵指示語で補えたけれど、彼女との会話には結構「え?」って聞き返さざるを得ないことが多かった。ええと、そうだな。これはさっき彼女が言った言葉なんだけど「テンション下がる」も「士官学校の制服のスカート、マジ可愛いよね」も「ベッドの硬さに慣れてきた」も語。「とても悲しいってこと」「女の子達が下に穿いてるやつ、下衣? って言えば良いの? 可愛い」「ベッドはベッドだよ、寝るときの!」だそうだけど、こっちも覚える気がなければ覚えられないのだ。木桶が語でなんだったかを覚えられないように。



「寝るときのって、まさか寝台のこと?」

「ああ、そう寝台。寝台ね。寝台列車っていうもんね……」



 ブツブツ言うは、そういうところは勉強熱心だったのかもしれない。何を言っているのか全然理解してあげられないのが、ちょっと悪く思えるくらい。士官学校の生徒からもらった古紙をまとめた物に文字を書き付けるを見たけれど、なんていうか、彼女の書くそれは変にのたくって、呪いの呪文みたいだった。隅に描かれた猫の絵は、上手かったのにな。








 は竜や天馬は勿論、馬を怖がる。厩舎の掃除も、慣れるまでは大変だった。ちょっと馬が嘶いただけで身を竦ませるんだから。最近はようやく馬に触れられるようにはなったけど、彼女一人じゃあまだ任せられないから、ボクがついてないといけない。非力で不器用で体力がないからすぐ疲れるし、水を零すし、飼い葉も一人じゃ運べないんだよね。代わりに持ってあげたら、きらきらした目で見つめられてしまった。



「ツィリルくんってすごい!」



 毎日のように向けられる賛辞の言葉が、ボクの角を丸くしていることに、彼女は気がついているんだろうか。気付くはずないか。ボクだってずっとわからなかったんだから。
 彼女は色んな事に慣れていなかった。肌はボクと違って雪みたいに白いのに、どこの国の歴史にも詳しくない。喋るのにもいちいち言葉が詰まる。だけど出自で人を区別したりはしなかった。ほとんど使用人の立場でありながら――一応従士としていたけれど、彼女はセイロス騎士になんかなる気はないのだ。だってそもそも、武器も魔法も使えないし、本人にやる気がない――たまに発作でも起こすように「甘い物が食べたい」と譫言のように繰り返すのが不思議だったけど。
 そういうときは、決まって「チョコが足りない」って言う。チョコ。彼女の生まれた地方の伝統菓子かな。ファーガスでいう……ええと、ブルゼン、だっけ。そういう感じの。そうは思ってもどういうもののことを指しているのかちっとも想像がつかないから、食堂に行って、こっそり焼菓子を作ってもらえないか、尋ねた。厨房にはボクにも優しい料理人さんがいて、その人が休みじゃなければ、たまの頼みは聞いてもらえるのだ。



「これ、食べる? の言う、チョコ……? じゃないけど」



 そうしてボクが渡した焼菓子を、彼女は飛び上がるくらいに喜んで、半分こしてくれた。定期的に甘い物を食べなくちゃ動けなくなるくらいに好きなんだったら、ボクに構わず全部食べたら良いのに。まあ、くれるって言うなら、もらうけどさ。
 は一口焼菓子を頬張ると、背筋をぴんと伸ばし、夢中で咀嚼する。飲み込んでから、感極まったような声で「美味しい」と呟く彼女は、やっぱり変な女の子だ。


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