記録を開始します。
飯田橋博士の手によってボクは生まれた。学習AIをつまれた人工知能型ロボットだ。生まれ落ちたときの記録を思い返す。ボクの中にある内蔵データを漁ると、それはすぐに出てくる。
「キーボと名付けましょう。みんなの希望となるように」
ボクにそう言ってくれたのは、あの子のお母さんだった。あの子は彼女の手に抱かれ、一心不乱に乳を飲んでいた。寝返りを打つこともなかった頃のあの子の後頭部は、まるで円形脱毛症のようにぽっかりと穴をあけていた。ボクはあの子の頭にあいた穴をじいと眺めていた。飯田橋博士がボクを抱き上げた。ボクがあの子のように後頭部に毛髪を持っていなかったことを、ボクは知らない。
ふぎゃ、ふぎゃ、と、乳から離されたあの子は泣く。「はい、はい、逆のおっぱいも飲むのよ」ボクはあの子の母の乳首を、飯田橋博士の腕の中からぼんやりと眺めている。
ボクたちが二歳になる頃、あの子、は喋りだした。「あっち、いく。テエビ、みる」二語文だ。ボクもそうなるように調整された。あの子はすっかり髪が伸び、それはいつも彼女の母の手によってきれいに二つに結われていた。赤いリボンが気に入っているようだ。ボクはと違って男の子なので、毛髪は適当な長さを保っている。
「キー、キー」
ボクの名を呼ぶあの子は笑ったり怒ったり泣いたり、殴ったり、蹴ったり乗っかったり、天真爛漫に生きている。
三歳の春には幼稚園に通いだした。制服を来てリュックを背負って制帽をかぶる彼女はずいぶんとしっかり話すようになり、自己主張をしだした。幼稚園に通うことのできないボクに、時に得意げに、お姉さんぶって話を聞かせてくれる。
「あのねえ、ゆうくんが、わたしのキーホルダーなおしてくれたんだあ」
リュックにつけた小さなテディベアは足があらぬ方向に曲げられていた。どうやら片足がとれてしまったそうだけど、ゆうくんとやらが力任せにはめてくれたらしい。ボクだったらもっと上手になおせるのに。なんて、言いたいけど現実はそうはいかない。ボクはロボットとは言っても成長するロボットだ。三歳児と同じ体格、同じ知能になるように調整されている。
ボクの知らない幼稚園の話をしては楽しそうに笑うが何だか面白くなくて、ボクは彼女を突き飛ばした。尻餅をついたは驚いたように目を見開いて、やがて大きな声で泣いた。その声を聞きつけたのお母さんが飛んでくる。
「キーボ! もうなにやってるの、突き飛ばしたりしたらだめでしょ!」
ボクは飯田橋夫婦にとってわが子同然に育てられた。むくれるボクをたしなめる彼女の母は懇々と説教したあと、最後にボクの鋼鉄でできた体を抱きしめてくれた。いつもそうだった。
「ねえ、今度、に内緒で動物園にいっちゃおっか」
内緒話をするように耳打ちしてくれる彼女の母は、ボクにとっても母だった。
は小学生になった。学校から帰ってくるとランドセルを放り投げて外に出ていく。ボクたちの家は主にボクと博士のものでごちゃついているせいか、友達を家に連れてくることはあまりなかったけれど、はとても楽しそうだった。ゆうくんと、かなみちゃんと公園に行く。そらくんの家にゲームをしにいく。今日はみんなでドッジボール。そのみんなの中にボクはいない、ボクは今日も飯田橋夫妻と家にいる。
彼女がいない部屋の中、が持って帰ってきたノートと教科書と、飯田橋博士はにらめっこして、ボクに勉強を教えてくれる。
「ロボットも学校に通えるような法律を作ってもらわないとな」
飯田橋博士は冗談混じりに口にするけれど、小学生と同程度の脳しかもたないボクはそれがすぐに現実になると思い込む。それは鮮やかな夢になってボクに希望を抱かせた。の隣で授業を聞いて、休み時間は縄跳びをする。木琴も叩いてみたいし遠足も行ってみたい。のように三百円でいかに満足のいくおやつを選ぶかで頭を悩ませたい。ボクはロボットであることに誇りを持っているけれど、できるなら、の隣で平然と笑っていたかった。ゆうくんのように。
「ゆうくんにチョコレートをあげるの。キーボも食べれたらよかったのにね」
二月のある日、キッチンを占領するあの子はそう言った。でろでろに溶けたチョコレートを味見して「おいしー!」と笑った。当たり前だ。市販のチョコレートを湯煎で溶かしただけなんだから。だけど楽しそうな彼女にそれを言うのは野暮だった。わかっていたけどボクは口にする。だってボクは彼女と同じ、小学生だったから。
「溶かしただけじゃないですか。おいしくて当たり前です」
「ひどい! ママ! キーボがひどいこと言う!」
「あっやめてくださいチクるのは!」
母の元へ走っていくの背中を追いかける。その後ろ姿を見て、ボクは彼女の髪がすっかり伸びて、二つ結びが似合わなくなったことを知る。背も手足も、大人びた。ブラジャーをつけているのを知っている。洗濯物にまぎれていたので。ボクは彼女が大人に近づくたびに、それに合わせるように調整される。だからボクも大人に近づいている。身長は、今は彼女の方が高い。だけどあと何年かしたら、きっと逆転する。博士に頼んでそうしてもらう。ボクは心に決めながら、母に飛びついて訴えるの背中を眺めている。
次の日は酷い顔で帰ってきた。結われていた髪はぼさぼさで、乱れて、泣きはらした目で、母にしがみついて何かを言っていた。その足元に昨日彼女が作っていたチョコレートがラッピングされたまま落ちていた。「ロボット差別だ、絶対ゆるさない」と彼女の掠れた声が言った。ボクは部屋の外からこっそりそれを眺めていた。はそれっきり、ゆうくんの名前を出すことはなかった。
中学生になったはすっかりきれいになっていた。学級委員をつとめ、リレーの選手に抜擢され、部活でレギュラーをもぎ取った。少し周りの人間を見下している感は否めなかったけれど、周囲の人間は誰もそれをとがめなかった。事実、彼女は他の人間よりも優秀だった。当たり前だ、彼女は飯田橋博士の愛娘なのだから。
母がいたら、何か変わっただろうか。あの人ならば、彼女の傲慢さを指摘しただろうか。けれど母はもういない。あっという間だった。病が発見されると、母は半年ももたずに死んでしまった。あれはが小学校を卒業する直前のことだった。
だから、ボクは飯田橋博士と卒業式に行った。来なくていいと言われていたけれど、小学校の卒業式に家の者が誰も行かないわけにはいかないだろうという飯田橋博士の言葉に彼女は詰まった。キーボは来ないでと言われていたけれど、飯田橋博士はボクにスーツを買ってくれた。
行って、彼女の言っていたことの意味がわかった。ボクは酷く目立った。こそこそと周囲の人間がボクを見て耳打ちする。子供はもちろん、その親ですらも。後ろからふくらはぎを蹴られてつんのめった。卒業生の誰かの弟の仕業らしかったが、ボクはそれを糾弾しようとして博士に止められた。いつもは「ロボット差別だ」と言ってくれる博士も、厳粛な式で面倒なことを起こさない方がいいと判断したらしい。ボクは博士に従う。
は頑なにボクたちのほうを振り向こうとしなかった。ボクがそこにいることは分かっていただろうに。式が終わるとさっさと一人で帰ってしまった。彼女はひとりだった。ゆうくんもかなみちゃんもそらくんも彼女を見て笑っていた。「ロボットと帰ればいいのに」そう言ったゆうくんにボクは初めて明確な敵意を持った。学習AIに刻まれた憎悪を、博士は消去しなかった。
は優秀だった。賢くて、孤独で、強かった。そう思っていた。だけど、泣きつく人がいなくなった、そのことを、ボクも博士も、きちんと考えてあげられなかった。
博士は、今思うと、娘のよりもボクのことにかかりっきりだった。そもそも生まれたときからそうだった。を抱いていたのは母で、ボクを抱いていたのは博士だった。そんなボクをはどう思っていたのだろう。母がいなくなって、血のつながった肉親は博士しかいない。ボクを弟だと思っているのか、それもあやしい。だけどは中学校から帰ってくると、勉強をしながらボクに話をしてくれる。
「文明は川の近くで発達したんだよ。なんでかわかる?」
「川? 水があるからでしょう。人間は水がないと生きていけませんからね!」
「あとは川の近くは気候が温暖で、土地も肥えているから。なのでキーボの答えじゃ三角だな」
「ぐっ……なるほど温度のことは盲点でしたね……」
博士は理系の人間だから、理科や数学は問題なくボクに教えてくれる。だけど母の血を濃く受け継いだらしい彼女は、どちらかというと文系の科目を好んでいた。ボクは国語や古典、英語や社会科を彼女から教わった。その頃彼女の身長よりも、ボクは数センチだけ大きかった。
「ねえキーボ」
は目をノートに落としながらボクの名前を呼んだ。生まれた日の母の声に似ていた。「キーボと名付けましょう。みんなの希望となるように」ボクはあれを蓄積された内蔵データの奥から取り出すけれど、もしかしたらそれはそう思い込んでいただけで、本当は記録ではなく、思い出と言う名の記憶だったのかもしれない。だったらいいのに。そうだったら、どんなにか、いいのに。
「卒業式のときは、ごめんね」
投げ捨てられたチョコレートを、ボクはあの日拾った。母は何も言わなかった。食べられなかったから、机の引き出しにしまった。腐る頃、中身は捨ててしまったけれど、ピンクのドット柄の包装紙を、ボクは今もしまっている。
「ロボットも学校に通えたらよかった」
ノートの上に染みが落ちていくことに、ボクは気が付いていて、だけど学習機能が、見ないふりをしろと訴えるので、ボクは目を閉じた。
「そしたら少しは、寂しくなかったかな」
の手が震えていた。葬式で見たきりだった彼女の涙は、酷く美しくみえた。ボクには流せないものだった。だけど、ではこみあげてくるこの気持ちはなんなんだろう。バグでも起きたのか。ボクは彼女の手に自分の鉄でできたそれを重ねる。温度を感知する。ボクは彼女が好きだと思う。
あの子は今なにをしているんだろう。
ボクはどうしてこんなところに閉じ込められているんだろう。きっとボクがいなくなって、泣いている。母が死んだときのように泣いている。寂しいと打ち明けてくれた日のように泣いている。
こんなところにいる場合ではないのに。ボクはあの子の手を握っていなければいけないのに。ボクはあの子と一緒に成長しなければいけない。これから先、あの子が誰かに受け入れられてもらえる日をボクは迎えなくてはならない。いつか、彼女を愛してくれる誰かが現れたそのとき、飯田橋博士と一緒になって、「その男はだめです!」と難癖つけて追い払ってやるのが夢だった。そんなボクたちをキミは怒るだろうけれど、ロボットのボクではキミを幸せにしてあげられないから、ボクはそうしてキミの人生に間違いが起きないように見張っておかなければいけなかったのだ。
だって赤ちゃんのときから、一緒にいたんですよ。ボクは言葉通り、あの子の背中を見て成長してきたんですよ。あの子と同じような成長速度で言葉を覚え、学び、背丈を伸ばされた。飯田橋博士の手によって。あの子が父である博士を奪ったボクのことをどう思っているか、悩んだ時期もあったけれど、でも、あのとき、ボクの前で泣いたキミの温度が、ボクを恨んでないと言ったから、だから、ボクは決めたのだ。。あなたを何者からも守ると。
ボクの身長は百六十で止まった。