「カトルくんはカジノって知ってる?」
自室のソファに座って、何か書類のようなものを確認していたカトルくんにそんなことを尋ねたのは、ここに来る前、艇内ですれ違ったオイゲンさんたちの会話を聞いてしまったためだ。どうやらポート・ブリーズでは年に一回お祭りがあって、その日はそこに巨大なカジノ艇が訪れるんだって。それがもうすぐ開催される時期なんだとか。カジノって言うと、未成年は入っちゃいけないんじゃないかなって思ってしまうけど、カジノ艇っていう響きがなんだか未知で魅力的なものに思えてドキドキする。空飛ぶカジノなんて、映画みたい。
カトルくんはちらりと目線を私に向けて、「カジノ?」と丁寧な発音で聞き返した。機嫌が悪いわけじゃなさそうだったけれど、私とのテンションの差は歴然としている。彼の意識が半分、見ていた書類の方に行っていたのは明確で、私は急に話しかけてしまったことを申し訳なく思いながらも、カトルくんが膝の上にそれを置いたのを見て、そろりと頷いた。
「さん、カジノなんて興味あるんです?」
「ん、いや、その……ちょっとだけ」
何だか険のあるようにも思えるカトルくんの言い方に慌てるけれど、興味がないって言うと嘘になる。キラキラした、華やかな世界なんだろうなとは思うし、中を覗いてみたいっていうくらいの気持ちはあった。でも、やっぱり楽しいだけじゃないんだろうなあ。私自身、ギャンブルっていうのに少し抵抗があるせいなのかもしれない。漫画とかから得た知識は恐らくそれなりに偏っているだろうけど、実際賭け事に惹かれているわけではないのだ。
「勝てない勝負はしない方が良いですよ、あなた、全部顔に出ますからね。賭け事なんか向いてない」
「ち、違うもん、ギャンブルがやってみたいわけじゃないんだよ。ただ、カジノ艇そのものが単純に気になって」
「……ああ、ポート・ブリーズの」
「うん、そう。キラキラしてそうって思って…………でも、ちょっと怖いところなのかなあって、映画とか本とかだと、大体銃撃戦が始まったりするし」
神妙な顔をしていたカトルくんが、私の言葉でぴくりと耳を動かした。丸くなった目で、カトルくんは「銃撃戦」と繰り返す。そう、銃撃戦。大体主人公たちが何かを探るために乗り込んで、お金以上の何かを賭けて勝負する。すごい情報が詰まったUSBとかね。ゲームの内容は多種多様で、そこで細かくルールを説明されても私はちっともわからないんだけど、ズルだったり強運だったり持ち前の頭脳で、ディーラーに大勝ちしちゃうの。でも目当ての品は、すぐには手に入れられないのだ。奥から強面のお兄さんたちが出てきて、それから戦闘が始まる、みたいな。
戦闘シーンは迫力があって、いつも手に汗を握ってしまう。痛そうなところは目を瞑って、主人公達の劣勢に拳を握って、金曜日の夜とかに、家族で見てたな、懐かしい。週末の夜は、そうやって夜更かしをしても怒られなかった。
思い出してしんみりする前に、わざと明るい声で「あっ! あと」とカトルくんを見つめる。カトルくんは、私の感情の変遷を一つ一つみとめるみたいに真っ直ぐな目をしているから、本当は、少しだけ困った。
「……それ以外だとイメージできるカジノ像って、バニーさんくらいかなあ。あ、バニーさんは一回生で見たいです。衣装、可愛いので」
「バニー…………あれ、可愛いですか?」
「可愛いですよ。一回くらい着てみたいもん」
「はぁ?」
私の言葉にカトルくんは思い切り眉を顰めると、「何バカなこと言ってるんです」ってじとりと私を見る。着てみたい、っていうのは嘘じゃない。駄目かな。まあでも、ああいうのって胸とかお尻が強調されそうだし、私が着たら貧相すぎて見てられないかも。自慢じゃないけれど、胸は騎空艇に乗る同年代の女の子たちと比べても小さいから。
目線を天井にやって、自分の姿で想像してみたけれど、やっぱり胸はスカスカで、メリハリがない。んん、と唸った瞬間、私と同じように想像していたのか、カトルくんと、ぱた、と目が合う。
「…………私みたいなのが着ても、似合わないですかね」
神妙な顔をして自分からそう言ったのに、カトルくんに眉根を寄せたまま、頭のてっぺんから爪先までをまじまじと見つめられて、どうしようもなく居心地が悪くなった。カトルくんによって想像されていることに無性に照れて、緊張してしまったのだ。
カトルくんはだけど、否定も肯定もしないまま、やがて膝の上に一度は置いた書類を手に取って足を組んだ。あまりの似合わなさに、或いは馬鹿馬鹿しい質問に、呆れられちゃったに違いない。そう思うと、さっきまでの緊張やドキドキが私の輪郭から外側に滲み出るような気がした。全てが自分から蒸発したその先で、後悔だけが形になって残る。
ああ、やっちゃった、かも。カジノ、って聞いた時のカトルくんの反応が何だか芳しくないように思えて、ちょっと動揺しちゃったのだ。それで、ちょっとずつ話を変えて、行き着いた先がバニーさんだったのだけど、それでも一連の流れが、あんまり良くなかったなあ。
カトルくんの隣に座ったまま、バレないように緩く手を握って反省会をしていたせいで、私はカトルくんがいつまでも書類を捲ろうとしないことに、全く気がつかなかった。
バニーさん、一回着てみたいんだけどな。もうちょっとスタイルが良くならないことには無理か。
さんの口からカジノだなんてあまりにも彼女らしくない言葉が飛び出してきたから何事かと思ったけれど、どうやら団員の誰かからカジノ艇が訪れる大きな祭りのことを聞いたらしい。細やかな日常会話の延長の一つのようなものだ。本気で彼女がカジノに興味があるわけじゃないのはわかっている。さんは抜けているところがあるけれど、自分の中にある向き不向きっていうのは自分なりに理解している人だから。
だからこそ、バニーの衣装を着てみたい、なんて発言が出てきたことに驚きを隠せなかった。いや、これに関しては向きも不向きもないけれど、そういうものに興味があるだなんて思ってもなくて。何なら、つい彼女をしげしげと観察して想像してしまったくらいだ。
もふもふのうさぎの耳に、胸が大きく開いて、身体のラインがはっきりとわかる、水着とそう大差ない衣装。女性らしいハイヒールやタイツを合わせて、オーソドックスなバニー衣装をさんと掛け合わせたところで、顔に出そうになってしまった。流石にバレたら困る。「似合わないですかね」という彼女の自信なさげな言葉に何か返事をしようものなら、上擦ってしまいそうだった。想像して意識しました、なんて顔、格好悪くて見せられるわけがない。
さんはさんで変な話題を出してしまったと落ち込んでいるようだったし、それがぼくの無反応が原因であることもわかっていたけれど、それでもフォローができなかった。
ぐ、と唇を噛みしめながら、さっきから全く頭に入ってこない書類の文字を視界に収めている。素直に「見てみたい」と、さらっと言えた方が大人っぽくて良いのかもしれないけれど、一度意識してしまった以上はなかなか口には出せない。
だけど何となく重くなった空気だけはどうにかしたくて、隣に座る彼女が緩く握った拳の上に、そろりと自分の手の平を重ねた。びくりと反応するさんが、おずおずとぼくに目線をくれるのを視界の端で感じながら、ぼくよりもひんやりとしたその手を撫でる。
横目で観察していたら、さんはぼくの指をじっと見ていた。獲物を狙う動物みたいに、真剣に。その直後さんが何故かもう片方の手をぼくの手の甲に乗せて両手で挟んだのは、だけど、想定外だったのだ、本当に。
なんだそれ。
つい笑ってしまったぼくに、びっくりした様子でさんはぼくを見上げる。そのときの目が丸くて、従順そうなうさぎそのものに見えた。こんな子がバニーの衣装なんて着たら、取って食ってください、って言ってるようなものだ。もしその時があるのなら、それはぼくの前でだけにしてもらわないと困るな。
顎を持って、咄嗟に目を閉じた彼女の鼻の頭を、軽く噛んだ。戒めのためでもあったけど、多分さんには、何も伝わってないだろう。