カトルくんが私に弱いところを見せたのはあれきりで、彼は、翌日にはけろりとした顔で食堂に現れた。
 今日は今日で別の依頼に向かうらしい。ちょっと心配だったけれど、顔に出てしまっていたようで、そんな私を見たカトルくんは困ったような顔で笑った。心配させまいとしたのだろうか、厨房のカウンター越しに私の手からサラダを受け取りながら、周囲には聞こえないような声音で呟く。



「……そんなに心配しないでください、と言うのは少し自分勝手かなとも思いますので、言いませんけど」



 カトルくんはいつも、人があまりいないような時間帯を見計らって食堂にやって来ることが多くて、実際今日もそうだった。食事中に誰かに話しかけられることがあまり好きじゃないんだって、ちょっと前に聞いたことがある。
 準備が整ってすぐの、まだポツポツとしか席が埋まっていない食堂は、人の声よりも食器の音の方が響く。人の大勢いる賑々しい食堂も活気があって好きだけど、こういう、皮膚の表面を撫でていくだけのような穏やかな空気の食堂も私は同じくらい好きだ。
 こうしてカトルくんとゆっくりお話ができるから、というのもあるんだと思う。混雑時は料理を受け取るために団員さんたちが列を成すカウンター脇も、今カトルくんの後ろには誰もいない。忙しい時間帯だと、もう目を合わせるだけでやっとなときもあるくらいだから、こんな風にのんびりお話ができるのは嬉しかった。もしかしたらカトルくんもそれを分かっていて人の少ない時間を選んでいるのかもしれない、なんて、都合の良い思い込みだろうか。
 以前と比べて随分柔らかくなったカトルくんの眼差しに、安堵のような気持ちを覚える。表情だけじゃなくて、今のカトルくんはこれまで尖っていた色んな部分が削れたように思う。



さんは、今日は何か予定があるんですか?」

「今日?」



 カトルくんの言葉にぱっと顔をあげて「どうして?」と目だけで尋ねる。咄嗟に今日の予定が出てこなかったのだ。出てこない、ということは大抵、その日は特別な用事がない、ということだから、カトルくんが次の言葉を口にするときにはもう午後が空いていることを思い出していたけれど。



「今日は楽な依頼なので、昼過ぎには戻る予定で」

「そうなんですね。大変な依頼じゃないなら良かったです」

「はい。なのでさんさえ良ければ、午後に一緒に過ごしたいなと」

「えっ!」

「あなたが忙しくなければ、なので」




 無理でしたら断ってください。そう続けるカトルくんの耳の先っぽが、注視していなければ気がつかない程度に下がる。カトルくんはあまり顔に考えていることが出ないタイプだけれど、時折こうして隙のようなものが顔を出すときがあった。
 そういうとき、私はいつも胸の内側がむずむずするような感覚に襲われる。私の前でだけだったら嬉しいな、っていう独善的な思いと、照れのようなものが交互に顔を出すのだ。



「えっと、今日は何の予定もないです。あ、でも」

「何か都合が悪いですか?」

「ううん。朝のうちにシーツを干そうと思ってたのを思い出しました。午後はそれを取り込まなきゃいけないくらい」

「ああ、そうでしたか」



 用事という用事でもない。折角今日はすっきりとした晴天だったから、コルワさんの分と一緒にシーツを洗ってしまおうと思っていたのだ。「そうだ。折角だしカトルくんのも一緒に干しておきましょうか? 」と思いつきで口にすれば、カトルくんは一瞬考え込むように視線を落とした。だから、ちょっとどきっとしてしまう。
 いくら恋人同士って言っても、踏み込みすぎちゃいけない部分ってあると思う。いや、私の方はないし、何なら私の場合は色々質問をされたりお節介を焼かれたりっていうのは嬉しくなってしまうタイプだけど。でも全員が全員そうではないわけだし、カトルくんって干渉されるのを嫌うから、どちらかと言うとありがた迷惑なのかなって思ってしまった。
 失言だったかも、とびくびくする私を前に、だけどカトルくんはそっと息を吐いて、「あなたが大変でないなら、甘えても良いですか」と呟くように言った。その目は柔らかくて、くすぐったそうで、カトルくんにそんな風に甘えてもらえる自分が、少し誇らしくすらあった。








 カトルくんの部屋に入るときって、例え彼本人が不在だと分かっていても何だか妙に緊張する。
 部屋の鍵は依頼に出かける直前に手渡してもらった。一度騎空艇を降りるまで私が使っていた部屋だから、その鍵は元々は私が持ち歩いていたものであるはずなのに、その存在自体が何だか妙に余所余所しい。握っている皮膚からじわじわと熱のようなものに浸食されていくみたいな感覚だ。放っておくと、じんじんとした痛みに変わってしまうような類の。
 部屋って、使っている人が変わるだけで空気そのものが入れ替わるみたいだ。星屑の街の彼の部屋と違って私物はほとんど無いのに、その殺風景さは妙にカトルくんらしい。
 シーツを外すためにベッドの上を見れば、出かける前にわざわざ外しておいてくれたのか、きれいに折りたたまれたシーツが置いてあってびっくりした。気を遣わなくて良いのにと思う反面、そういうところにカトルくんの優しさが見えて嬉しくなる。両手でそれを抱えた瞬間、だけど、ふわ、と香ったそれに、私は身体中の血が一気に熱を持ったように思えた。洗剤とか、お日様のにおいとは違うその香りは、間違いなくカトルくんのにおいだ。



「わー……」



 無意識に顔を寄せようとしている自分に気がついて、慌ててシーツを持つ腕を伸ばした。まずい、ちょっと変態っぽい。いくら恋人とは言え、踏み込みすぎてはいけない部分があるって言ってたのは誰だ。「だめだめだめ」首を振りながら、あまり息をしないようにして部屋を出る。意識的に口呼吸にしないと、匂いにつられてシーツに顔を埋めかねないことは分かっていたから。
 早く洗い場に持っていてしまわないと。ほとんど小走りで歩いていた私の表情はよっぽど鬼気迫っていたらしい。廊下を歩いているさなか、「おい、何してんだ?」と横から声をかけられるまで、私はそこに彼女がいることに気がつかなかった。シーツを抱えていたから、視界が狭まっていたというのもあったのだけど。
 爪先に力を入れて振り向けば、そこにいたのはカリオストロちゃんだった。



「あっ、カリオストロちゃん」



 明るいうちに彼女に会うのは久しぶりだ。目が合うと、第一声からがらりと変わった声音で「はぁい☆こんにちはぁ☆カリオストロだよ~」と顔の横で手を振ってくれるから、その可愛らしさに頬が緩んでしまう。例え二面性があっても、彼女に何度か騙されていても、その愛らしさに絆されてしまうのだ。そういうところをカトルくんは危なっかしいと諫めるのだけど。



さん、シーツ洗うの?」

「うん! カリオストロちゃんのシーツも一緒に洗おうか?」

「あは☆ カリオストロは遠慮しまぁす。それより、どうしてそんなこわぁい顔でシーツを抱いてるの?」

「えっこわい?」

「うん。こわ~いお顔~」



 無邪気に口にされて愕然としてしまった。「こ、こわいかなあ」しどろもどろになって、思わずシーツを抱きしめそうになったけれど、慌ててぎゅうと唇を閉じる。気を抜くとシーツの匂いでどきどきというか、ぞわぞわしてしまう。
 罪悪感と羞恥心でいっぱいになる。恋人のシーツの匂いに落ち着かない気持ちになっているだなんて知られたら、もうカリオストロちゃんの前では上手く笑えなくなるに違いないのだ。



「なぁに? シーツに何かあるの?」



 こんなに可憐な少女でありながら、高名な錬金術師と名高いカリオストロちゃんの目は、けれどどうしたって誤魔化せないらしい。少し言葉に詰まって視線を逸らすけれど、カリオストロちゃんは私の目線の先にわざわざひょいと顔を傾けるから、まるで逃げ場を塞がれているみたいだった。
 まんまるい瞳にじいと見つめられ、苦しくなる。多分、酸素が足りないのもあったんだと思うけれど、それ以上に上手く思考が回らない。カリオストロちゃんの双眸って、どうしてか、私に有無を言わせないような力があるのだ。



「何も、ない、けれど」

「けれど?」



 観念して「このシーツすっごくいいにおいで」と呟いたそのとき、カリオストロちゃんの目が一気に興味を失ったように色を変えたことは、鈍感な私でも分かった。多分、何か面白いことがあるんじゃないかと期待されていたのだろう。「暇つぶしにもならねぇな」とトーンを変えて言われてしまった。



「カリオストロね、今暇なんだぁ。それ洗ったらぁ、カリオストロと一緒にデザートでも食べない?」

「デザート?」



 カリオストロちゃんは私に色々とちょっかいをかけてくることがあるから、カトルくんは妙に警戒して見せる節があるけれど、こうして普通のお誘いしてくれることも多々あった。だから私はカリオストロちゃんのことを嫌いになれないし、きつい言葉を投げかけられても落ち込んだりしないのだ。
 カトルくんが帰ってくるのは午後からだし、シーツが乾くまでは時間がある。「食べたい! 」と頷けば、カリオストロちゃんは小首を傾げて「やったぁ」と笑った。アイドルとかそういう感じの、軽率には直視できないくらいの愛らしさだった。








「あ~っ! おかえりなさい、カトルさん☆」



 予定通りの時刻に依頼を終えて騎空艇に戻ったとき、艇内ですれ違ったカリオストロさんにわざわざそう声をかけられた。「……ああ、はい」そう答えながら眉根を寄せてしまったのは、この人にそんな風に出迎えられることがこれまでただの一度も無かったからだ。この人は合理主義だから、自分の利にならないことはしない節がある。ぼくに直接的な興味を持たないのはそのためで、その分さんに皺寄せがいっているのは気のせいではないはずだ。
 カリオストロさんはけれどそれきり何も言わず、鼻歌交じりに甲板の方へと向かって行った。その華奢な背中を見送ることもなく、ぼくはすぐさま歩き出す。
 あの人は以前からさんにちょっかいをかけることがあった。その都度人を疑うことを知らないさんは振り回されているものだから、まさかまた何か面倒なことに巻き込まれているんじゃないかと嫌な予感が芽生えたのだ。
 さんのあの危機感の無さはちょっとした才能だ。クッキー作りのときの一件だけでなく、その後にもまたカリオストロさんの口車に乗せられて自分が実験台にされたことをもう忘れたのだろうか。彼女のそういうところに付け込んだぼくが言うことではないのかもしれないけれど、少しは警戒心というものを持って貰わないと困る。ぼくだって、四六時中傍で見守り続けるわけにもいかないのだから。
 自分の部屋までの道のりを大股で歩く。部屋の扉は開いていて、ノックも声をかけることもせずに部屋に入ったぼくを、「うひゃっ」と言う悲鳴と共に出迎えたさんは、ちょうど取り込んだばかりらしいシーツを整えているところだった。



「びっくりしたぁ……! 今心臓がヒュってなりました」

「……すみません、急いでいて」



 平生だ。
 見た目に変化があるわけでもなければ、何か体調に異変があるわけでもないらしい。顔色も良好。ぼくが驚かせたせいで脈拍は速そうだけど。「急ぐって、急ぐような用事ありました? 」と不思議そうに首を傾げるさんは、シーツを整え終えると「できた~」と満足げに笑った。カリオストロさんのことを聞きたかったのに、切り出し方がわからない。



「ありがとうございます。助かります」

「いいえ、これくらいだったらいつでもするので。ほら、お日様のにおいしますよ」



 マントを脱いで椅子にかけるぼくにそう言うから、鼻を利かせる。今日の依頼は賊の討伐だったけれど、団長さんが対話で解決してしまったおかげで血を見ることはなかった。相変わらずお人好しというか、なんというか。そんな風に斜に構えたぼくは思ってしまったけれど、おかげで今、さんの言う混ざり気のない「お日様のにおい」が分かるのだ。「本当ですね」と口にすれば、だけど、さんがぽかんと口を開けてぼくを見上げているから、どうしたのかと怪訝な表情を浮かべてしまった。
 我に返ったさんの頬が、何故か一気に赤くなる。益々意味が分からなくて、今度ははっきりと眉根を寄せた。においがする、と言うから嗅いだだけなのに、どうして赤くなる必要があるのだろう。



「……なんです?」

「う、いえ、なんでも」

「なんでもなくはないでしょう。何を考えてるんですか?」

「何にも考えてないです」

「…………」



 ここまで頑ななさんも珍しい。問い詰めれば問い詰めるほど大きく首を振る彼女は何かを隠していることは明白なのに、決して口を割ろうとしないのだ。先のカリオストロさんの表情が蘇って、「……カリオストロさんと何かありました?」と半ばカマをかけつつその名前を口に出せば、しかしさんは両手を口に当てて後ずさった。



「……今度は何をされたんですか?」

「い、いや、べ、別にカリオストロちゃんとなんて何もないです」

「そこまで反応しといて何もないは通じませんよ」



 さんの腕を掴んだ瞬間、びくりとその身体が跳ねた。引き寄せれば、よろけつつもぼくの身体に寄り掛かる。その腰に手を添えると、「だめ!」と些か本気とも思える制止が飛んできたけれど、構わない。
 ぼくはさんを心配しているのだ。また妙なことに関わっているんじゃないか、と。そういう意味での信頼はほとんどゼロに等しいからこそ。抱き寄せたさんの首筋に鼻を埋める。恐らくシーツを取り替えるのに動いたせいで汗をかいたのだろう。シャンプーの匂いと混じり合って、妙に落ち着く。抱き寄せたときにいつもそうして彼女の香りを堪能していることはほとんど無自覚だったけれど、さんは今日に限ってそれを察したのか、「汗、かいてるの……今、くさい、から」と弱々しく呟いた。



「……どこが? 良い匂いですよ」

「いっ?」



 掴みっぱなしの手首に力が込められて、ぼくはさんが動揺していることを知る。「いいにおい? 」ぼくの言葉を反芻させるだけのさんは、それでもまだ細やかな抵抗を続けていた。のけぞるように身を捩るのだ。
 段々面倒臭くなってきてしまった。小さくため息を吐いて、手首を掴んでいた手を彼女の肩に添えてその身体を押せば、バランスを崩したさんはベッドに座る形になる。彼女の身体の脇に膝をついて、押し倒すついでに軽く唇を奪えば、「ん」とさんから力が抜けたのが分かった。



「で、一体何が?」



 ベッドに倒れ込んだせいで、さんの暗い色の髪の毛は洗濯してもらったばかりのシーツに散らばっている。その毛をそっと撫でるぼくにさんは困惑したように目線を彷徨わせた。天井にある星の形をした染みのあたりを視界の中央に据えているから、面白くなくてその首筋を軽く吸う。「いっ」痛くないだろうが。放り投げられていた手に指を絡めて、緩く握る。首元で笑ったぼくの息がくすぐったいらしい。喘ぎ声と笑い声の中間くらいの音で息を漏らす彼女に、反応しそうになって腰を引いた。今はそういうことをする気は無い。彼女の方も、てこでも口を開く気はないらしいけれど。
 だったらこっちにも考えがある。
 逃げられないように押し倒した彼女の下半身を両足で挟んで固定する。



「……言わないならくすぐりますよ」

「ひえっ? あひゃ」

「ほら、どうします?」

「うひ、や、っひひ、お、おなか、だめ、だめっ」



 服の上から腹の脇をくすぐると、ぼくの身体の下でさんはけたけたと笑いながら暴れる。どうにか抜け出そうとしているけれど、ぼくが逃がす気が無いと察したのだろう。「わ、わかった、言います、言いますから、も、や、やめ」と観念するまでどれくらい時間がかかったか。今日のさんは、普段よりも強情だった。
 息を整えながら目尻に浮かんだ涙をその手首で拭う。「ずるいです」と言わんばかりの目で見つめられたけれど、気付かないふりをして、そっと笑みを向けた。
 ぼくは何も、意地悪をしているわけではない。心配しているのだ。カリオストロさんにまた何か妙なものを渡されたんじゃないかとか、変なものを口にしてはいないかとか、妙な入れ知恵をされているのではないかとか。命の危険があるようなことはさすがのあの人もしないだろうと思うし、その点は信用している。だけどやっぱり、それが例え恋愛感情以外のものだったとしても、自分の恋人にちょっかいをかけられて面白いわけがない。
 無言で見下ろすぼくに屈したらしいさんは、けれど「シーツが」と口火を切った。シーツ? さっき整えてもらったばかりのシーツは、ぼくたちがじゃれ合っていたせいでもう皺が寄っている。これが一体何だって言うんだろう。



「あ、洗う前のカトルくんのシーツが、良い匂いで、ドキドキしたの」

「は?」

「や、ま、まって、ちがうんです、そんなわざと嗅いだわけじゃなくて、あるじゃないですか、こう、持ちあげたときにふわっと香る感じ……? それがすっごく良い匂いで、あ、あの、でもちょっと変態ぽいな、って自分でも思ったし、なるべく息を止めて持って行ったんだよ?」



 ぼくの身体の下で身振り手振りを交えながら一生懸命話すさんは、狼狽しているのかぽろぽろと敬語が抜け落ちている。元々たまにこういう口調になることはあったけれど、慌てているのも相まって、素の感じが出ていて面白い。唇を噛んで浮かびそうになる笑みを殺しながら、曖昧に頷く。ぼくに対してそういう口調で話すのは癖なのかもしれないけれど、それが抜けるときとのギャップも味わえるなら、悪いものでもない。
 だけど、シーツが良い匂いだったと言われてもぴんとこない。洗い立てでないなら無臭か、汗の臭いじゃないか? 



「どんな匂いなんです?」

「えっ? え~……落ち着く……? ふわ~ってなる……みたいな……」

「…………」

「そんな顔しないで!」



 引いたわけではなく納得したが故の沈黙だったのに、伝わっていないらしい。目尻に涙を浮かべて慌てふためくさんには返事をしなかったけれど、その感覚は分からないでもなかった。ぼくの場合はシーツと言うよりも彼女本人に対してだけど、さんの匂いは好きだ。
 しかしこれではカリオストロさんは関係ないのだろうか。だけどさんは続けた。「そ、それでドキドキしてるのを、カリオストロちゃんに見抜かれてしまって」と。



「そ、そしたらね、良い匂いするっていうのは、遺伝子が遠いことの証拠で、相性が良いんだって、デザート食べながら聞いたの。そ、それで、うれしくなっちゃって、お日様の匂いの話したら、それを思い出しちゃって……」



 言いながら羞恥で真っ赤になった顔を隠すように両腕を交差させる。言いかけた言葉は、それで喉の辺りに引っかかってしまった。
 デザートを食べたって、それは平気なんですか、とか。遺伝子も何もエルーンとヒューマンである以上それが近しいわけがないし、そもそもあなた、別の世界から来てるじゃないですか、とか、そういう当たり前の感想も、飲み込まざるを得なくなる。
 片腕を取って顔の横で固定すれば、片方だけ、涙で濡れて潤んだ、物言いたげな瞳が覗く。おかげで少しだけ嗜虐心を刺激されてしまって、参った。
 ぼくもあなたの匂い、好きですけど、と言ってやるべきか、敢えて黙っておくべきか。目尻に浮かんだ涙を舌で舐め取れば、ぼくの身体の下でさんは「ひゃ」と漏らして、びくりとその身体を震わせる。



「可愛い人ですね」



 何も言うつもりはなかったのに、そんな言葉が口をついて出ていた。ぼくの言葉に、さんは目を見開いて固まっている。じわじわと熱を持つ頬の柔らかさを、ぼくだけが知っている。
 シーツからは、陽の光の匂いがした。本来のぼくとは縁遠い、あたたかな匂いだ。さんはいつもこんな風にぼくを陽だまりに連れていく。ぼくはそれが案外悪いものではないと、ようやく思えるようになっている。






リクシチュ「カトルくんが夢主を心配する」