お使いの帰りに行きとは違う道を通ったら、こじんまりとした雑貨屋さんを見つけた。大きな通りから外れたところにあるそのお店はお客さんもいなくて、お世辞にも繁盛しているようには見えなかったけれど、インテリアにもなっているライトから漏れるオレンジの色味が強い電球色の光が温かい雰囲気を醸し出していて、私はすっかり惹かれてしまったのだ。
通りに面したガラスの一枚窓から見える店内には、アクセサリーや細々とした雑貨が並んでいる。思わず歩く足を止めてしまったのは、女の子の性ってやつだ。
頼まれた買い物は既に終わっていたし、荷物も多くない。予定の時間よりも大分早く用事が済んでいるから、ちょっと覗いてみても問題ないだろう。
深いオリーブ色の扉をそっと押せば、裏側についていたらしいベルが低い音でがらんと鳴った。髪にフリルでできた飾りをつけた、店主らしきハーヴィンの女の人がこちらを見て、「こんにちは」と微笑むから、私もつられて「こんにちは」と会釈する。
外観からも見て取れるように、ほんの数畳にも満たない小さなお店だった。元いた世界の私の部屋の広さと遜色ないかもしれない。店内には会話があれば消えてしまいそうなくらい微かな音量で音楽が流れている。吊るされたペンダントライトよりも、ガラス窓から取り込まれる太陽光を光源にしているらしい。外から見るよりも、店内はずっと明るかった。
壁には薄いミントグリーンの壁紙のところどころに小さなタイルが散りばめられていて、それが宝石のように可愛らしい。店内の中央に置かれた古めかしいテーブルには、様々な種類のネックレスやピアスに、動物を模した置物や繊細なガラス細工が並べられていて、私は店内の雰囲気にすっかり飲まれてしまった。可愛いものに囲まれると、心拍数が上がってしまうのはどこの世界にいても変わらない。
もしも隣に誰かがいたら、この高揚を躊躇わずに口に出していただろう。何だか異世界に紛れ込んでしまったみたいだ。
わくわくした心地のまま、並べられたアクセサリーを一つ一つ眺めていく。白いビーズを編んで作ったネックレスや、天然石の埋め込まれた指輪、どれも手を触れることすら躊躇われたけれど、その中でも一際目を引くものがあった。
あ、カトルくんの色だ。
そう思った瞬間、「ふふ」と、カウンターの向こう側にいたハーヴィンの店主が柔らかに笑ったから、思わず伸ばしかけていた手を引っ込めて顔をあげる。
彼女の背後には大きな振り子式の壁掛け時計、壁に引っかけられた、一見チョコレートのように見える、ドライフラワーやハーブで飾られたワックスサシェ。髪飾りと揃いのフリルがあしらわれたワンピースに身を包んだ女性は、眦を細めて私を見た。
「初めてのお客さんかな」
ハーヴィン族は押し並べて小柄だ。老若男女、身長は私の胸程度しかなく、初めて騎空艇に乗ったときは成人したハーヴィン族すらも子どもだと思い込んでしまっていた。今でも私は、ハーヴィン族に関しては声のトーンくらいでしか年齢を判断できずにいる。だけど、低くも高くもない優しい声音の店主の女性が一体いくつなのか、私には分からなかった。
こういう雰囲気の人に会ったことがあるなと、思い出そうとしながら頷く。
「はい、その、素敵なお店ですね」
「ありがとう。気に入ったものがあると良いんだけど」
「全部可愛いです、特に、これが」
「ああ……イヤリングね?」
声をかけられる直前に見ていたイヤリングを指差せば、僅かに身を乗り出した女性が顔を綻ばせる。
花の飾りがついたネジバネ式のものだ。金具の部分はシルバーでシンプルな分、小ぶりの花が強調される。青とも紫とも取れぬ小さな花が合わさって楕円の形になっているそれは、紫陽花に似ていた。それがカトルくんの髪の色のように思えたのだ。
藤の花の色をしているとばかり思っていたけれど、そう言えば彼の髪は紫陽花の花弁にも近い。新しい発見をしたように思えて、つい口元が緩んでしまう。
その時、ぼん、ぼん、と壁の時計が音をたてた。そろそろ騎空艇に戻った方がいいかもしれない。私は少し悩んで、そのイヤリングを買って帰ることにした。レジカウンターに持って行って「これください」と言えば、ハーヴィンの女性は「ありがとう。きっと似合うわ」と微笑んでくれるから、お世辞でも嬉しくなる。
「耳飾りにはね、魔除けの効果があるって言われてるの」
「え?」
お金を払い終えると同時に思いもよらぬ言葉をかけられて、私は思わず彼女の顔を凝視する。細められた目は、まるで恋愛の話でもしているかのように穏やかだ。
「悪魔の侵入から身を守るために、穴の傍に光物をつけておくことで魔除けとしたんですって」
「へぇ、そうなんですか?」
「そう、だから、きっとあなたも守ってもらえる」
店主の女性は、サービスだと言って、壁にぶらさがっていたサシェを一つくれた。そこに飾られていたドライフラワーも、名前は分からないけれど、青い色の花弁をしていた。「また来てね」手を振ってくれた女性に会釈を返して、私は店を出る。がらん、入ってきたときと同じベルの音がした。お店を出てから数歩歩いたところで、彼女が高校のときの古典の先生に似ていたことに気が付いた。
「あれ」
その日の夕方、依頼に出ていたカトルくんが戻ってきたところに出くわした。
カトルくんは大股で私に近づくと、じっと私の顔を見下ろす。今は他に人がいないとは言え、誰が通りかかってもおかしくない廊下だ。思わず背中を逸らして距離を取ったけれど、カトルくんは構わず私の耳朶に指を伸ばす。
「これ、どうしたんです?」
「ひぎゃっ」
遠慮なく触れられて、くすぐったさに身を捩った。グランサイファーに戻ってからすぐにつけたイヤリングのことを言っているんだろう。髪を結んでいるわけでもないし、他の団員には気づかれなかったからカトルくんに指摘されるとは思わなかった。だけど、気付いてもらえたことの嬉しさよりも、今は気恥ずかしさの方が強い。
「きょ、今日買ってきたの」
「へえ。……これは、穴は開いてないんですよね?」
「開いてない、です、イヤリングだから……」
へえ。もう一度そう言って、カトルくんは疲労の滲んだ瞳をそっと細めた。
なんだろう、似合ってないか、もしくは気に入らないのだろうか。普段の彼だったら「良いじゃないですか」くらい言ってくれそうなものなのに。不安になって窺うような目線を送ったら、カトルくんも察してくれたらしい。ぐ、と何かを飲み込むような表情をした後、「……似合ってなくはないですよ」と言って、私から離れてしまった。
「似合ってなくはないですよ?」
彼の言葉にびっくりして、思わず復唱してしまう。カトルくんは既に私に背を向けて自室の方へと向かっていたから、私は慌てて追いかけた。
「だ、だめかなこれ、似合わない?」
「似合ってなくはないって言ったでしょう」
「え、なに、なんで怒ってるの? わかんない」
「怒ってないです」
「ええ、うそだあ、気に入らないって顔してますもん」
すれ違う団員の人たちに不思議そうな目を向けられていることを知りながらも、私は早足で歩くカトルくんに並走した。
こんなにはっきりしないカトルくんは初めてで、私は何だか不安になってしまっていたのだ。気に入らないことがあるならそう言ってほしいのに、カトルくんは私に目も合わせようとしない。
そのうちカトルくんの部屋の前に着いてしまって、私はもしかしたらそこで扉を閉められてしまうのではないかと危惧していたけれど、カトルくんは扉を開けたままにしておいてくれたから、招き入れてくれたものと解釈してお邪魔した。扉を閉じれば、カトルくんは壁にマントをかけているところだった。露わになった背中を直視できなくて、思わず目を逸らしてしまいそうになるけれど、ぐっと堪えて「イヤリング、だめですか」ともう一度だけ尋ねた。
「かわいいなって、思ったんです、私は」
言葉を選んで重ねていくけれど、カトルくんは壁の方を向いたままこちらを見ようともしない。それがなんだか途轍もなく悲しくて、私は言うつもりのなかったことまで口にしてしまった。
「色が、カトルくんの髪の毛みたいだったから」
言いながら、とうとう視線を落とした。私の言葉にカトルくんが振り向いたのがわかる。彼の靴の爪先が、視界の端っこの方に映った。
紫陽花の花みたいで、可愛いと思った。カトルくんの髪の色が好きだから、身に着けてみたかった。洋服だとちょっと似合わないかもしれないと思っていたから、アクセサリーだったらいいかもしれないって。そんなことをぽつぽつと話していたら、カトルくんが長いため息を吐いたのが分かった。
「……違うんですよ」
違う。
彼の言葉が理解できなくて顔をあげる。壁際に立っていた私の顔の真横に、彼は手をついた。私の髪を耳にかけて、彼は耳朶ごとイヤリングに触れる。
心臓がどくりと音を立てた。カトルくんの整った顔が、すぐ目の前にある。
「こういうのを付けられると、耳に触りにくいなって思っただけです」
「え?」
困惑する私に構わず、カトルくんは口を開けた。そのまま、イヤリングのついている耳たぶのあたりではなくて、耳の上の方をがぶりと甘噛みされる。「ひゃ」思わず口から声を漏らせば、カトルくんが喉の奥で笑ったのがわかった。
「まあ、どっちでもいいのかもしれませんね。これはこれで」
確かめるように舌で舐められて、背筋が粟立った。
心の中で、ハーヴィンの店主を思い浮かべる。イヤリングは魔除けになるって言ったけど、そんなの構わずに侵入しようとしてくる悪魔もいるのかもしれない。カトルくんみたいに。
散々私の耳を弄り倒すカトルくんに翻弄されながら、私は変な声が出てしまわないように、うぐ、と唇を噛みしめる。何かもっと大きな問題があるのかもしれないと心配していたけれど、そんな理由なんだったら良かった。力が抜けそうになる私の腰をカトルくんが引き寄せる。紫陽花を模したイヤリングは、カトルくんの歯とぶつかってかちりと音をたてた。

トリクル・トリクル / 「紫陽花」「宝石」「歩く」