今日停泊したこの島は天候が変わりやすいから甲板に干した洗濯物はしまっておいた方がいいって言われていたのに、他の仕事を一つ頼まれたらそんなことはすっかり失念してしまっていた。だけど、晴れ渡っていた青空には積乱雲が発生し、さらに短時間で元の快晴に戻っていたなんて、倉庫に籠っていた私には知りようがなかったのだ。








 今日は朝からずっと頑張ってたみたいだから、皆には内緒だぜ、なんて言われて、お手製のマドレーヌをヴェインさんから二つも貰ってしまった私は、悪天候につき洗濯物が飛ばされていたことなんてつゆ知らず、鼻歌交じりに部屋に戻る。
 ヴェインさんってすごいのだ。強いだけじゃなくてお料理もお菓子作りも上手で、たまにこうしてプロ顔負けのおやつを作ってくれる。この前のプリンなんか最高だった。甘いけれど、そこまでくどくないプリンに、ほろ苦いカラメルが信じられないくらいにぴったりで、食べながら感極まってちょっと泣いてしまった。カトルくんはそんな私に嫌悪ともつかない何かが滲んだような目を向けたけれど、一口食べたら納得してくれたらしい。「美味しいのは認めます。泣きはしませんけど」と言いながら、反論しようとした私の口にもう一口詰め込んでくれたから、私はすっかり絆されてしまったのだった。
 部屋に戻ってお茶の支度をしながら、可愛らしい紙袋に入っているマドレーヌに視線をやる。コルワさんは今日は確か依頼があるらしくて、昼前からグランくんたちと外出をしていた。一人きりのティータイムは何だか味気ないけれど、新しい島に着いたばかりっていうのは得てして騎空艇の中が静かになるものだ。私も余裕があったら街の散策に行きたかったんだけど、もうすぐ夕方になってしまうし、最初の予定通り、散歩は明日以降にしよう。今日はマドレーヌの日だ。ティーポットに茶葉を入れながら窓の外を見る。その窓の奥に、私は真っ黒な積乱雲と、それに伴う突然の雨を見た。



「あ」



 そこで私は雨曝しになっているであろう洗濯物の存在に思い至ったのだった。
 ティーポットの蓋を開けっ放しにしたまま、私は部屋を飛び出す。団員の増加に伴い、洗濯物の取り込みは各自で、ということになっていたのが救いだ。いくらなんでも干しっぱなしの人なんて私の他にはそうそういないだろう。甲板に続く階段を駆け上るその道中、しかし私は「!」と声をかけられて立ち止まった。騎空艇を打ちつける雨音が強くなっていく。振り向いたけれど、ちょうど踊り場を過ぎてしまったところだった。どんなに急いだってもう干しっぱなしのワンピースが濡れてしまっているのは避けられないから、私は多少後ろ髪を引かれつつも階段の手すりから身を乗り出して声の主を確認して、「あっ」と声をあげる。見覚えのあるワンピースを、その人は腕に持っていたのだ。



「飛んでいきそうだったから取り込んでおいたわ。午前中に突風があったの、気づかなかった?」

「アンスリアさん~! ありがとう~!」



 階下に居たアンスリアさん目がけて、今昇ったばかりのそれを駆け下りる。そしてアンスリアさんの腕の中に折りたたまれた一張羅ごと彼女を抱きしめてしまった。「きゃ!」と悲鳴をあげたアンスリアさんは細身で、だけどやっぱりエルーンだから、私よりもずっと体温が高い。



「うれしい~! もうびしょ濡れになってると思った~!」

「あ、あの、ちょっと」

「これ特に私のお気に入りで! 飛んでいきそうだったんですね! 良かった~飛んで行かなくて!」

「か、甲板の手すりに引っかかってたの、偶々見かけたから、その、あなたのだって分かったし」

「優しい、アンスリアさんありがとう、ありがとう~!」

「ん、ちが、だって、前にあなた、私の服、取り込んでくれたし、その、だから」



 ぎゅう、と勢いのまま抱きしめると、アンスリアさんの白い肌が赤く、熱くなっていく。力任せにしすぎただろうか、顔を見ると、その双眸が熱っぽく潤んでいた。「わー! ごめんなさい、つい、すみません!」と慌てて離れたけれど、アンスリアさんはどうしてこんな、その、いやらしいことでもしているような顔をしているんだろう。アンスリアさんが惚けたような、焦点の合わないような瞳で私のことを言葉もなく見つめてくるから、何だか私までドキドキして、頭がぐるぐるしてしまう。
 もしもこの時にたまたま通りかかったカトルくんが私たちに「何してるんですか」と声をかけてくれなければ、私たちはきっとお互いぎくしゃくしたまま無理に別れることになっていただろう。そしてそのあとも、今まで通りに接することができたかどうかは甚だ疑問だ。
 我に返ったアンスリアさんは、逃げるように「わ、私は部屋に戻るわ」と背中を向けてしまった。再度お礼を告げれば、彼女はちらりとこちらを振り返って、ぎこちなく微笑みを浮かべる。私はそんな表情にすら眩暈を覚えていた。
 アンスリアさん、めちゃくちゃ良い匂いだったな。なんて思い出して、胸がいっぱいになってしまう。



「カトルくん」

「はい?」



 私の隣でアンスリアさんが立ち去るのを見守っていたカトルくんに、ぽつりと呟く。



「……私が男の子だったらアンスリアさんみたいな子と付き合いたかったかも……」

「はあ?」



 私の言葉に、カトルくんは眉を寄せた。
 何か考え込むような仕草をしてから、首を傾げ、それから「さんが男だったら、ぼくが困ってしまうので駄目です」と吐き出したから、私はそのまま息を飲み込む。
 彼の顔を見つめているとじわじわと体中が熱くなってきてしまって、困った。これじゃあさっきのアンスリアさんと同じだ。思わず両頬を抑えて表情が変にならないように固定してしまうと、彼は小さく笑った。







アルプヤルナ / 「甘い」「突風」「飲み込む」