2019
 花柄のシーツに包まれていた私は、母の呼ぶ声で目を覚ます。
 六畳の、小さな部屋。ベッドと、今となってはちょっとダサい昔ながらの学習机と、電子ピアノが並べばそれだけでいっぱいの、窮屈な私の王国だ。クローゼットを開ければ、セールで買った春物の服がハンガーにかけられている。
 今日は何を着ようかな。家族とのお出かけくらいで着るものに悩む。人の目が気になるのは女子高生だからだ。ちょっと悩んで白いワンピースを選んだ。今日は間違っても、トマトパスタは頼まないようにしなくちゃいけない。
 髪の毛を梳かして、軽く化粧をして、財布とスマホくらいしか入らない、「それ意味ある? 何も入らなくない?」ってお兄ちゃんにからかわれたことのあるショルダーバックを肩にかける。
 机の上に並んだ写真立ての中から、小学生の私とコンタが一緒に映っているものを撫でて、いってきますと囁いた。これも、コンタが死んでしまってからの習慣だ。
 階段を駆け下りるとき、ちょうどお兄ちゃんが一階のリビングから出てきた。友達と約束があったんじゃなかったっけ? 声をかけると、ドタキャンされたと苦々しそうに答える。
 大学生のお兄ちゃんは、数年前から気取っちゃって、家族での旅行や食事なんてほとんど嫌がって滅多に来てはくれなかったけれど、今日はしょうがないから行ってもいい、なんて口にする。お母さん譲りのたれ目は人好きする印象を他人に与えるけど、身内には、ちょっと偉そうで、良く喧嘩をしてしまう。今も不遜な言い方にちょっとむっとしちゃったけど、でもダメだ。折角の日帰り旅行のスタートは、明るくなくちゃ。
 お母さんが作った目玉焼きにフォークを突き刺して、天気予報を確認しようとリモコンを手に取ったとき、父が、あっと呟いた。どうやらこの後に始まる星占いを待っていたらしい。私は笑いながら、リモコンを戻す。
 今日のいて座は何位だろうね、お父さん。からかうように言うと、父はさも何のことか分からないと言わんばかりに窓の外に目をやった。今日はいい天気だぞ。そうだね、絶好の家族旅行日和だ。私はソフトクリームが食べたいな。白い雲を眺めてそう思う。
 お兄ちゃんが髭を剃る音に紛れて、星占いがはじまる。私のラッキーカラーは薄紫。でも、そんな色の洋服も小物も私は持っていない。いて座さんは、がっかり。体調不良に見舞われるかも。そんなアナウンサーの声に、父の背中は丸くなる。運転中、お腹が痛くなったりしないといいんだけど。
 窓の外に咲いた藤の花を視界に入れたのは、最後に残った目玉焼きの、黄身の部分を食べた時だった。
 あ、薄紫。
 晴れ渡った春の空に、私のラッキーカラーは酷く映えた。
 その花弁が幸せの象徴のように思えたのは、きっと間違いじゃない。








 幸せな日々でした。
 一人生き延びてしまった私は今でも、あの日の夢を見る。
 色鮮やかに、鮮明に、熱も、温度も、光も、音も。何もかもを、ありありと。兄の腕の重みを、恐らく一グラムたりとも違わずに。
 助けてと、私は思うのだ。眼球が焼ききれそうなほどに、目を見開いて。
 グランサイファーの一室で目を覚ました私は、隣で寝息を立てているコルワさんを見つめながら、ああ、と呟く。喉はちゃんと音をたてる。目を瞑れば、この前のカトルくんの寝顔はきちんと焼き付いている。部屋の隅にある私のデスクにはカトルくんがくれたネックレスが片付けられている。コルワさんが作ってくれたたくさんの洋服。貯めたお金で買った赤い財布。グランくんとの交換日記は、昨日書いたばかり。カトルくんと食べたお菓子の味も覚えてる。風邪をひいて寝込んでも、私は一人じゃない。
 グランサイファーは空を飛んでいた。高く高く。見下ろしても何も見えないくらいに。カーテンの隙間から光だけが差し込んでいた。その線をただ見ていた。
 私はちゃんと生きている。
 生きているんだけど、時折どうしようもなく、こわい。