2019
 賑やかな街中の一角にあるショーウィンドウをぼんやりと眺めていると、ガラス越しに見知った顔が見えた。
 行き交う人々はほとんどが若い女性だったから、こんなところで立ち止まっているぼくは、彼女の目に留まりやすかったのだろう。「あっ!」と言うその声がぼくに向けられたとき、これは逃げられないな、と咄嗟に思ったことは否定しない。
 色素の薄い長い髪、それと同じ色の獣の耳をぴくぴくと動かして、その人は明らかににやついた笑顔を浮かべながら「『カトルくん』よね」とぼくの名前を呼んだ。もう少し、躊躇いというものがないのだろうか、この人は。



「こんなところで何してるの?」

「……ええと、コルワさん、でしたっけ?」



 振り返って、わざと距離を取るような言い方で尋ねれば、しかし彼女は相好を崩して「ええ」と頷く。
 コルワさんはさんと相部屋の女性だ。勿論艇内でも何度か見かけたことはあるけれど、個人的に会話をすることはこれまでなかった。そもそも、恋人の友人、というポジションの相手と敢えて親交を深める必要はないと思うし、さんが話すコルワさんの話を聞くだけでも十分だったと思う。
 恋愛に関する話が大好きで、何かとお節介を焼くことを好む。それがぼくの彼女に対する印象だ。正直、個人的に好んで関わる気はない。
 勿論彼女がさんにしてくれている数々の気遣いを思えば、それだけで彼女を悪く思うことがあるはずはない。むしろ、さんが着ている洋服はほぼすべてがコルワさんのお手製のものだというし、よくもまああれだけの衣類を見返りもないままにプレゼントしてくれるものだと感服する。しかも、そのどれもがさんに良く似合っているのだ。特にエルーン風の黒いワンピースはぼく好みで良かった。とある一件以来、それとなく頼んでも着てもらえないけれど。
 ちらりとあのときのことを思いだしてしまった瞬間、思わず顔に出そうになったので、敢えて頭目の顔を思い浮かべて自分の中に浮かび上がった熱を殺す。



「いつもさんがお世話になっているようで」



 なるべく穏やかに微笑んでそう告げれば、コルワさんはどこか緩慢に首を振った。



「こっちこそ、ちゃんにはいつもモデルになってもらってるから助かってるの」



 細めた瞳は穏やかで、彼女が一切の嘘を吐いていないことがそれだけで分かる。



「私に来る依頼ってやっぱりエルーンからのものが多いんだけど、あの子の体型、割と細身っていうか、一般的なエルーンに近いじゃない?」

「はあ……まあ、そうですね」

「最近は前よりも表情が明るいから助かっちゃう。グランサイファーに彼女が乗ってからもうずっとお願いしてるんだけどね、最初の頃はどうしても表情に影がある感じだったの。空元気っていうか。でも、本当に良く笑うようになったわ。幸せそうって言うか」

「……へえ、そうでしたか」



 コルワさんの本職はデザイナー、それも作っているのはドレスだと聞く。つまり、さんがモデルとして着ているのは、ウェディングドレスなのではないだろうか。いくらモデルと言っても、ぼく以外の人間の前で着ていると思うとちょっと面白くない。勿論、ぼくと出会ってからの彼女の表情が柔らかくなったと暗に言われていることは嬉しくないわけがないけれど。



「で、それよりもカトルくんはここで何してたの? 買い物? 一人? デートじゃないの?」



 ぼくが感情の整理をつけているその真横で、コルワさんは目を輝かせながら顔を覗き込んでくるものだから、正直言って辟易した。彼女が投げかけた質問に答えるなら、全てイエスと言ったところだが、ぼくが返事をするよりも先に、彼女はうんうんと小さく頷きながら納得したような素振りを見せる。



「やっぱりホワイトデーの贈り物選びよね?」



 その一言に返事をするか否か逡巡したぼくに構わず、コルワさんはすっと息を吸った。



「わかるわ、この時期一人でこんな女の子向けのお店が並ぶ界隈にいる男子って、絶対それ以外考えられないわよ! ね、どうするの? 何をあげるか決めた? ちゃんのことだから何をあげても喜びそうだけど、折角だからとびきりのものをプレゼントしたいわよね。それが彼氏の心意気だもの。鉄板はやっぱりお菓子だけど、芸がない気もするのよね。それになんか、お菓子って義理って感じがしない? やっぱりここはきちんと愛を返さないといけないわけ。だから、そう、三倍返し、いえ、十倍返しよ。勿論値段の話じゃないのよ ?そうじゃなくて、愛情、愛情の話なのよ。もらった愛を十倍にして返す、それが本来のホワイトデーだと思わない?」



 ぼくはとんでもない人に捕まってしまったのかもしれない。
 熱弁を振るうコルワさんの双眸を、目を細めながら見つめる。邪険に扱っても良いところだが、彼女はさんの恩人と言っても過言ではないわけだから、難しい。
 さんがこの世界に馴染めたのは、勿論彼女を気にかけてくれていた団長さんの存在が大きく占めているだろう。しかしこのコルワさんもまた、さんにとって大切な人であることに間違いなかった。
 後ずさりしたいのを堪えながら、ぼくはそれでも、ため息だけは我慢できない。はあ、と短い息を吐いてから「そうですね」と答えると、コルワさんは目を輝かせてぼくに詰め寄った。距離感が近すぎやしないだろうか。



「なら一緒に探しに行きましょう! ちゃんのための、至高のプレゼントを!」



 ぼくはこんなに賑やかで強引な女性と話したことは、これまでに一度だってない。








 とは言え、実際にお返しについて考えあぐねていたことは確かだ。
 参考にしてみようかと、さん含め他の女性団員から数多くのチョコレートをバレンタインに受け取っていた団長さんにそれとなく尋ねてみたところ、彼は特に相手によって変化をつけず、一律でキャンディーをあげるつもりだと言っていた。まあ、彼の場合はそれで問題ないだろう。お返しだけでとんでもない数になるのは目に見えているわけだから。うち何人かは彼に本気でチョコレートをあげた女性もいるだろうけれど、本人にその気がないのならば仕方がない。



「カトルは? に何かきちんとしたお返しをするつもりなんだろう?」



 穏やかな瞳に見透かされるように見つめられるのは正直言って気に食わない。軽く舌打ちして目を逸らしたら、団長さんは「あはは」と声をあげて笑った。
 そもそも本命のプレゼント、とやらをもらった経験はこれまでのぼくにはない。今までのホワイトデーと言えば、姉さんや星屑の街に住む女の子たちへの、所謂義理というもので、ぼくは彼女たちに甘いお菓子を返すだけだった。
 だけど今回は違う。さんはぼくの恋人で、しかも妙な薬を混入させられたとは言え、手作りのクッキーをプレゼントしてくれた。ならばきちんとしたお返しをしなければならないのは自明の理で、だからこそぼくは悩んでいる。どうせだったら彼女の喜ぶ顔が見たいのだ。
 だから今日、本当は午前だけは予定が空いていたにも関わらず、急な依頼が入ってしまったと嘯いてぼくは騎空艇を降りて街へ出た。
 ある店のショーウィンドウの前で立ち止まって、そこに飾られた服を眺めては見たものの、正直ピンとこなかった。彼女は何を着てもある程度は似合いそうな気がするし、そもそもあの子が着ている服はほとんどコルワさんが作ってくれたものだ。プレゼントしたところで喜んでもらえるものだろうか、とぼんやり思っていたところに、当のコルワさんに声をかけられたのだから、考えようによっては渡りに船ではあったが、ぼくは彼女の高いテンションについていくことができない。



「一緒にって言ったけど、私の意見は参考にする程度にしてね。結局カトルくんが選んでくれたものがちゃんにとって最高のプレゼントになるわけなんだから、私のことはアドバイザーか何かだと思って」

「じゃあついて来なくてもいいんじゃないですか?」

「そこにハッピーエンドの気配があるのに見届けないわけにいかないでしょ? それに、カトルくんが困らないとも限らないわけだし。……まあ、キミが女性向けのお店に入るのに躊躇するようにも見えないけど」

「そうですね。その点は、まあ別に」



 彼女と一緒に歩いていると、大してぼくと目線が変わらないどころかぼくよりも彼女の方が背が高いことに気が付く。ヒールのせいか。コルワさんは見た目も洗練されているし、姿勢も良いから一緒にいるとどうしても目立ってしまうが、彼女の方はそういうことに慣れているのだろう。周囲の視線を当然のように受け止めながら、「アクセサリーなんかも良いんじゃない?」と小ぢんまりとした雑貨屋にぼくを手招いた。
 店の外側に向けられて並べられたアクセサリーは、どれも同じように見える。が、コルワさんは「あ、これ好きだわ」とそのうちの一つを指差した。他と違いがあまり分からない。



ちゃんって確かピアスは開けてないものね。イヤリングとかどう?」

「……ですが、耳に飾りがついていたら邪魔では?」

「そう? 可愛いと思うけど」



 耳に余計なモンがブラブラしてたら触りにくい、と思わず口をついて出そうになった言葉を飲み込む。ぼくの主観だと気がついたからだ。実際並んだそれらを良く観察してみると、さんに似会いそうな小ぶりのものもいくつかあった。だけど駄目だ。ぼくは隙があれば彼女の耳に触りたい。あの、エルーンのものとは全く違うふにふにとした肉の、他よりも温度の低い耳朶の感触が、ぼくは結構好きなのだ。
 店内に目をやれば、数人の女性が様々なアクセサリーを手に取って眺めていた。こういう装飾品は、姉ならば別にいらないと言うだろうが、さんは、ぱっと顔を輝かせてくれそうな気がした。頬を赤らめて、キラキラした瞳で感嘆の声をあげる彼女を想像して、悪くないな、と思う。



「……まあ、アクセサリー類なら確かに喜んでくれるかもしれませんね」

「そう、そうでしょ? 身に着けることができるっていうのは一番良いわよね。女子目線から言っても彼を感じることができるっていうか……そういう意味ではファッションリングもアリだと思うのよ」

「ファッションリング?」

「指輪よ指輪」



 指輪。と聞いてぼくが瞬時に思い出すことは一つしかない。
 無意識に、自分の薬指にはまったそれの存在を確認するように親指の爪で弾く。以前彼女がぼくに無理矢理はめたことで、抜けなくなってしまった代物だ。本当は力任せにすればすぐに抜ける程度のものだったのに、慌てた彼女が可愛くて助けを出さずにいたわけだが、考えなしに改めてはめてもらおうとしたときに、ぼくはあろうことか左手の薬指を示してしまったのだった。
 ぼくが羞恥で苦い思いをしていることにコルワさんが気付かないのは、彼女が指輪を吟味していてぼくに目線を向けていないせいだったわけだが、正直助かった。手の甲で口元を隠しながら、コルワさんの溌剌とした声に耳を傾ける。



「指輪って大切なものじゃない? そりゃ結婚する時に渡すそれが一番重要なものだとは思うんだけど、お付き合いしている男女間での指輪っていうのもアリだと思うのよ。約束っていうのかしら? いつかあなたを幸せにしますっていう意思表示のように思えるのよね。右手の薬指に指輪をはめてる女子なんか見ると、ものすごく創作意欲が湧くのよ。ハッピーエンドはすぐ目の前っていう感じ、本当にたまらないわ……」

「……確かに指輪をしていればそれだけで他の男への抑止にはなりそうですね」



 とは言え、今の段階で指輪をあげるのはさすがに気恥ずかしい気もする。もう少し落ち着いたら、ホワイトデーのお礼とかそう言うものと関係なく、それこそコルワさんの言う通りの意味を持って贈りたいとは思うけれど。
 コルワさんはぼくの「抑止」と言う言葉にうんうんと頷いてみせた。



「そうね、大袈裟だけど、それもあるわよね。ちゃんって抜けてるところがあるし根本的に優しいから、他の男子が勘違いしちゃうこともあると思うのよ。まあそれがあの子の良い所なんだけど……。でも結局カトルくんに一途だし口を開けば惚気るような子だから、そう言う点ではあまり心配しなくてもいいんじゃないかしら」

「惚気る?」



 思わず眉を寄せてコルワさんの横顔をじっと見れば、彼女ははっとしたような面持ちになって、「そういえば内緒だったわ」と口を閉ざした。
 仔細を聞くのは野暮というものだから、わざわざ追及するようなことはしないけれど、そう悪い気はしないのだから恋とは盲目的なものだ。彼女が他人にぼくの話をしている。その事実は、存外ぼくの心をぬるくする。



「まあ、エルーンとヒューマンで色々大変だと思うけど、私は応援してるわよ」



 彼女言葉にちらりと目線をやる。その意味を理解できないほど、ぼくは子どもではない。彼女もそう言った経験があるのかは知らないが、その言葉には重みがあるように感じられた。あえて触れはしないけれど。
 目線を逸らしたその先で、小さなキューブ状の飾りがついたネックレスが目に入る。光に反射してきらきらと輝くそれが、何だかあの子そのもののようで、ぼくは考えるよりも早く「ネックレスでもいいと思いますか?」と口にしていた。
 結局、何だかんだ言って自信がないのだ。女性が喜ぶものを考えるとか、プレゼントを贈るとか言う行為と、ぼくは一切無縁の世界で生きていたから。
 コルワさんはぼくの視線の先に目をやって、それから「勿論。素敵じゃない」と頷いた。お節介な人だとばかり思っていたけれど、やっぱりこういうことに関して彼女以上に心強い存在はいないなと彼女への認識を改めて、そのネックレスを手に取る。








 彼女を部屋に呼び出したのは、その次の日のことだった。
 ホワイトデーのお返しです、とさんにそれを差し出せば、彼女は目をきらきらさせてすぐに開けて良いかとぼくに尋ねる。その姿が本当に小さな子供のようで、ぼくは何だか微笑ましく思えて、笑ってしまった。
 包みを丁寧に剥いで、宝物でも取り出すような仕草でそれを手にした彼女は「わあ」と感嘆の声をあげた。



「か、かわいい! わ~! かわいい! ありがとうございます、ネックレスだぁ……!」



 さんの手の中で、ネックレスのキューブ部分が灯りを受けて輝いている。彼女の瞳のようだと考えると、口が緩みそうになって困った。
 彼女を手招いて、背中を向かせてから自分の足の間に座らせる。「貸してください」と囁けば、分かりやすくびくりと肩が震えた。
 華奢な首だな、と思う。白くて、傷がなくて、圧倒的に脆い。チェーンを回して長さを調整しながら首の後ろで止めると、くすぐったいのか、さんは身体を竦めた。



「できました」



 そう言えば、さんは身を捩ってゆっくりとぼくの方に首を向ける。その鎖骨の辺りで輝くキューブをなぞって「良く似合ってます」と呟いたぼくに、彼女は露骨に顔を赤くしてくれる。
 いつもコルワさんにぼくの話をしているそうですね、と続けたかったけれど、それはまた次の機会にしよう。つい最近シスさんとの件に関して醜い嫉妬をしていた自分の内面が、コルワさんの話で多少は和らいだのを自覚しながら、ぼくは彼女の首筋にそっと唇をを押しつけて、小さく笑う。