驚きながらも感心する私を、カトルくんはなんていうか、ちょっと信じられないものでも見るみたいな目で見る。
「……あなたはもう少し警戒心を持つべきではないですか?」
同じ騎空艇に乗る仲間であっても、やっぱり色んなタイプの人がいる。利己主義であったり、変わった趣味を持っていたり、そういう人たちと一切関わるな、とは言わないけれど、少しは疑ってかかることも必要だ、と。この世の全ての人間が善人であるわけではないのだと、カトルくんは懇々と私に説いた。
「少なくとも、カリオストロとか言う人物にはもう関わらない方がいいとは思いますが」
「ええ、そうかなあ……。良い子なんだよ、明るくて、可愛くて元気で」
「でも薬を盛る、と」
「う…………」
「……今回は催淫剤でしたが、毒だったらどうします?」
「毒?」
「ぼくなら毒に耐性はありますが、さんが食べていたら大変なことになったかもしれませんよ」
カトルくんの言葉に私は思わず唸る。クッキーに混入させられた薬は強力で、カトルくんがいつものカトルくんに戻るまで随分と時間がかかってしまったことを思い出した(思い出したついでに、ちょっと顔が熱くなったのは言うまでもない)。なるほど確かに生命を脅かされるようなものが混ざっていたら笑い話では済まされない。勿論、今回のこれだって私としては全く笑えなかったのだけど。
でも、関わらない、と言うのも何だか嫌なのだ。カリオストロちゃんはにこにこしていて、可愛くて、意気地のない私のことを応援してくれた。そんな彼女の言動を全て否定することはしたくはない。――なんて、私を心配してくれるカトルくんには到底言えないけれど。
「……うん、わかった、気をつけます」
そう言った私に、カトルくんは見透かしたように、小さなため息を一つだけ吐いた。
カトルくんに、余ったクッキーは処分しておくようにと言われたけれど、そうするには忍びないほどの量が残ってしまっている。机の引き出しに入れたままのそれらを見て、現実逃避してしまいたくなったくらいには。
あの出来事から実に数日、今まで見て見ぬふりをしてきたけれど、今日はローアインさんたちにお休みを言い渡されたおかげで夕食後の時間が取れた。その結果、後回しにしていたクッキーの処分に重い腰をあげることにしたのだ。
小分けにしてラッピングしたそれらは数にして実に十はあり、いくら催淫剤が入っているとは言え捨てると思うと気が引ける。食べ物を捨てるって、やっぱりちょっと抵抗がある。
味は美味しかったとカトルくんも言ってくれたし、本当だったら余った分も二人で食べることだってできたはずで、そう思ったとき私は初めてカリオストロちゃんを恨めしく思っていることに気が付いた。食べ物の恨みは大きいというのは本当だ。
久しぶりに焼いたにしては上手く作れたとは思うのだ。割れなかったし、つまみ食いしたときは味だって均等だった。今思えばこのときつまみ食いしたものが催淫剤入りのクッキーでなかったことは幸運だったのかもしれない。ちょっと砂糖の分量を少なめにしたから甘さも控えめにできたし、ラッピングだって可愛い。これを、捨てる? 自問する。
もしも今夜コルワさんが部屋にいてくれたら、私は恥も外聞も捨てて相談してしまっていただろう。これこれこういう理由でお菓子を処分しなくてはいけないんですが、気が引けます、どうしましょう、と。
もしもそれでコルワさんにも捨てるよう言われたら、私は後ろ髪を引かれながらもゴミ箱に放り込んだはずだ。
なのに、今ここにコルワさんはいない。三日ほどの予定ではあったけれど、本職の依頼で艇を降りているのだ。
「勿体ない……」
誰もいない自室で丁寧にラッピングされたクッキーを並べながら、私は頭を抱えた。食べ物を捨てるなんて、言語道断だ。そういう家庭で育てられた。しかも、お菓子だ、クッキーだ。薬が入っているらしいけれど。
でも、だけど、だ。カトルくんは「薬が混ざっているものとそうでないものがあった」と言っていた。ならばここにある何枚かは明らかに正常なものでもあるらしい。そう思うと余計に捨てにくい。もっと目に見えて分かるなら良かったのに。危険かそうでないかが、見た目に出てくれていれば。
ラッピングのリボンを解いて、封を開ける。クッキーの甘い香りが広がって、私はうっとりしてしまう。一枚くらいなら大丈夫じゃない? なんていう感情が頭をもたげて、私はそろそろと指先でクッキーを抓んだ。ココアパウダーの練り込まれた、甘さ控えめの、さくさく食感のクッキー。それが途轍もなく美味しいことを私は知っている。知っているから、だから余計に我慢できない。
一枚だけ、一枚だけなら、カトルくんも平気だったみたいだし。もし当たりだったとしても、多分私でも大丈夫な気がする。多分。
そう思ってそろそろと口に運んだその瞬間だった。
「おいおい……いくらなんでもチャレンジャーすぎるだろ……」
呆れたような声が、私の背後から聴こえたのは。
自分がしていたことがどこか後ろめたいことだと思っていたからこそ、私はびくりと身体を震わせる。振り向けば、そこに居たのはバレンタインを台無しにしてくれたカリオストロちゃん、その人だったのだ。
「カリオストロちゃん!」
「よ、邪魔するぜ」
前に話したときと随分口調が違う気がする。カリオストロちゃんは私の机の上に、珈琲の入ったマグカップを一つ置いた。疑心が顔に出てしまっていたらしい私に、「詫びだよ」とカリオストロちゃんは小さく笑った。
「で、どうだった? あれ。結構楽しめただろ?」
「や、やっぱりカリオストロちゃんだったんだ……!」
「他に誰がいるんだよ。……で、どの程度効いた? 即効性があったと思うんだが、十天衆にどれくらい効果があったか教えてくれ」
この騎空団には色んなタイプの人間がいる、とカトルくんが言っていたことを思い出す。それに加えて、研究肌の人間は総じて利己的であると何かの本で読んだ気がするが、なるほど彼女はまさしくそれらしい。可愛らしい少女の風貌にすっかり惑わされてしまった。
じとりと見つめれば、カリオストロちゃんは小首を傾げて「怖ぁい……」と目を潤ませるので、私はつい絆されてしまいそうになる。狡い。こんな風に震えられたら、誰だって負けてしまう。
「ど、どうもこうもないよ、酷いよ、あんな薬混ぜちゃうなんて」
「でもでもぉ、毒でもないし、いっぱい楽しめたでしょ?」
「楽しめないよ、だって、全然終わんないんだもん。もう一回、もう一回、が何回もあって、死んじゃうかとおもった……!」
「何回あった?」
「数えてない……」
「チッ」
舌打ちされたことで我に返った。私は怒りに任せて何を赤裸々に話しているのだろう。いくらあの薬を混入させた犯人だからって、カリオストロちゃんは私よりも小さいのに。「ご、ごめんこんな話しちゃって!」って狼狽える私に、だけどカリオストロちゃんは「はあ?」って胡乱げに眉を寄せるだけだった。
赤くなる頬を自覚しながらも、カリオストロちゃんが持ってきてくれたマグカップに手を添えたら、熱すぎて思わず手を引っ込めてしまった。「あ、ごめんね。カリオストロ、熱くしすぎちゃったかも……」小首を傾げて謝られると、弱い。
「――でも、そんだけ酷い目にあったって思ってるくせに食おうとしてるんだな。それ」
カリオストロちゃんの言葉に目線だけを向ければ、その指先は机の上に広げたクッキーたちに向けられていた。羞恥が勝ったせいで、食欲に対する揶揄程度では何も堪えない。
「だ、だって、腐ってるわけでもない食べ物を捨てるのってちょっと勇気がいるっていうか……」
「別に食っても大丈夫だし、食えばいいんじゃねえの?」
「え? 大丈夫なの?」
思いもよらぬ言葉に思わず聞き返すと、カリオストロちゃんは何てことない風に続けた。
「それは猫に効果のあるマタタタブっていう材料をベースにしているからな。エルーンにしか効かねえんだよ」
「えっ!」
つまり、私が食べても問題ないということだ。これは良いことを聞いてしまった。
「わ~、本当に? じゃあ食べちゃう!」
「あー、そうしろそうしろ。じゃ、オレ様は部屋に戻るからな」
「えっもう行っちゃうの? 一緒に食べない?」
「ありがと~さん! でも、いらなぁい☆ カリオストロは、夜の七時を過ぎたら何も食べないようにしてるんだっ☆」
「そっかあ。じゃあ一人で食べちゃお」
もう彼女のころころ変わる態度には、すっかり慣れてしまった。私が知らなかっただけで、きっと元々こういう子なのだ。
軽い足取りで扉に向かうカリオストロちゃんを見送るために立ちあがる。廊下に出て、くるりと振り向いたカリオストロちゃんは「ほんとにほんとに、ごめんね?」と上目使いで私を見つめるから、私はもう完璧に絆されてしまった。カリオストロちゃんの愛らしさに毒気を抜かれたのもそうだけど、クッキーを食べても大丈夫、と言う確証が、私の心を空よりも広くしていたのだった。
「ううん、カリオストロちゃんも、珈琲ありがとう! クッキーと一緒にいただくね!」
「えへっ! どういたしまして☆ じゃあ、おやすみなさい☆」
「おやすみなさい!」
カリオストロちゃんに手を振ってから部屋に戻ると、カリオストロちゃんの淹れてくれた珈琲が適温になって机に鎮座している。マグカップの上でふわふわ消えて行く湯気と、大好きなクッキーは、それだけで私の機嫌を上向きにさせてくれる。
「いただきま~す!」
椅子に座った私がそう言ったちょうどその頃、廊下を歩くカリオストロちゃんが、「やっぱアイツ、アホだな」と呟いていたことを、私は知らない。
