「ちゃん、丁度良かった!」
この声のトーンは私を喜ばせようと企んでいるときのそれだ。デザイナーの彼女はいつも私にたくさんの洋服を作ってくれる。自分自身も良い気分転換になるし、私が喜んでくれるのが嬉しいからと言うのが彼女の言だけど、私はありがたいと思う反面、恐縮しているところもあった。ろくなお返しができないことが申し訳なかったのだ。
とは言え、やっぱりコルワさんからのプレゼントは胸が躍る。
「ちゃんにね、ワンピースを作ったのよ」
「わあ~! いつもありがとう、コルワさん。明日街に行くつもりだったから、お土産買ってきますね!」
「そんな、気にしなくていいわよ。それより出かけるなんて珍しいわね。……もしかして、デート?」
「デッ」
そこを突っ込まれるとは思わなかった。私は期待の眼差しから逃げる様に顔を背け、「うん、えっと、そう……デート、です……」としどろもどろになりながら呟く。
コルワさんにはカトルくんとお付き合いすることになったその日に全てバレた。きちんとした形で伝えようと思ったのに、あの後部屋に戻った私があまりにもへらへらしていたせいで、一発で勘付かれてしまったのだ。
コルワさんは私に様々なことを聞いてくる。やれ手は繋いだか、やれキスはしたか、その度に私は言葉を濁して逃げようとするのだけれど、彼女の方が上手だ。と言うより私が表情に出やすいのが問題なのかもしれない。コルワさんは、私より私のことを理解しているんじゃないだろうか。カトルくんとの関係に関しては、彼女に筒抜けになってしまっていた。
付き合って二週間。キスは一度だけ。あのときの感触は未だ鮮明で、思い出すだけでベッドに転がってじたばたしてしまいたくなる。カトルくんのきれいな顔が目の前にあって、伏せられた睫毛が長くて、私は身動きもできなかった。驚いて思わず目を閉じれば、彼は容赦なく、深く唇を重ねてきたから、私はもうすっかり混乱していたのだ。
だって、好きだと言われたことですら、夢であるように思っていたのだから。
ぶわ、と勝手に頬を熱くする私に、コルワさんは笑みを深めてうんうんと頷く。
「デートならぴったりだわ! これ、明日着て行けばいいじゃない」
目の前でふわりと空気を孕んで広がったワンピースに、羞恥心が一瞬で吹き飛んだような気がした。コルワさんが手にして見せてくれたのは、黒いワンピースだ。フリルがあしらわれた裾は膝丈で、肩部分はノースリーブになっている。
「わ、かわいい!」
「でしょう? たまにはこういう色も良いかなって思って。ちょっと大人っぽくて大胆なデザインにしてみたの」
「え?」
大人っぽくて大胆なデザイン。そう言われてもピンとこないのは、私にファッションセンスがないからだろうか。胸の辺りからすとんと落ちるそのラインは、大人っぽいと言うよりも少女らしさが勝っている気がするけれど、と思ったのも束の間、コルワさんの手によってそれが裏返された瞬間、私は文字通り言葉を失うことになる。正面から見たときと、印象がまるきり違ったのだ。
ワンピースの奥で、コルワさんの笑みはいっそ残酷なほどに美しい。
「これを着て、そろそろ次のステップに進むべきじゃないかしら?」
その意味を何となく察して、私はどんな顔をすればいいのか分からなくなる。
この騎空団に於けるぼくの役割というのは、外部から引き受けた依頼の遂行任務がほとんどだ。要するに魔物の討伐や街の警備と言った戦闘経験を生かしたようなものばかりで、戦闘以外の様々な雑務を引き受けるさんとは対極にあった。
さんは買い出し以外の理由で騎空艇から降りることは滅多にないが、ぼくはどうしてもほとんどの時間を艇の外で過ごすことになる。すれ違いが多いのは仕方ない。特にここ最近は星屑の街へ帰っていたことによる一週間の不在があったせいか、やけにぼくに回される依頼が多かった。
団長さんには申し訳ないと言われたけれど、仕事が多いこと自体は別に苦ではない。そう思っていたのに、いざぽっかりと予定が空くと、さんの顔が頭に浮かぶのだからぼくも大概だ。
夕飯の片付けを終えると、彼女は時折ではあるけれど、ぼくの部屋を訪れる。眠るまでの時間を、二人で他愛もない話をして過ごすのだ。
「明日、予定がないんです」
「えっ! おやすみ?」
ぼくの一言に目を輝かせた彼女に、思わず笑ってしまいそうになるのを堪えた。
彼女は感情を表に出すことを躊躇わない。かつてのぼくはそういうところを煩わしく思っていたはずだったのに、今は素直に羨ましく思う。口にはしないけれど、可愛いとも。
「はい。なので、良かったら一緒に食事でも」
「行く! 行きます! やったー!」
ソファに置いたクッションを抱きしめながら喜びを露わにするさんは、相変わらず無防備だ。ワンピースから出た足は無意識にかパタパタと動いているし、肉付きの薄い二の腕は剥き出しになっている。
二人きり。夜。ぼくの部屋。現在の条件を並べれば、自ずと期待せざるを得ないのはぼくが男で、若いせいだろうか。
手を伸ばせばすぐにでも組み敷けるような距離にいるのに、彼女はよほどぼくを信頼しているのか、それとも馬鹿なのか、わざとなのか、ぐ、とぼくに顔を近づけるとあどけなく顔を綻ばせて「じゃあめいっぱいおしゃれしていきますね!」と宣言した。
その笑顔に一瞬腹が立って、いっそキスしてやろうかと思ったのに、さんはクッションを放り出すと勢いよく立ちあがった。ほとんど至近距離にあったおかげで危うく鼻を擦らせるところだったけれど、彼女の方はそれに気が付いていないらしい。
「ちょっと準備してきます!」
「は? 今から?」
「今から!」
馬鹿か。と言いかけた言葉を飲み込む。さんが普段の五倍は俊敏な動作で「ではおやすみなさい!」と部屋を出て行ってしまったからだ。
一人残されたぼくは、彼女が放り投げていったクッションを足蹴にして、舌打ちをすることしかできなかった。
彼女と恋人同士になってから二週間。ぼくは未だに、彼女にまともに触れていない。
と言っても、今日は本当に食事だけをするつもりだった。彼女は良く食べるし、美味しいものを口にしたときの反応も面白いから、ぼくの性欲が満たされなくても充分満足できる。そう思っていたのに、翌日騎空艇の外に現れた彼女を見て、それがただの自己欺瞞であったことを思い知る。
「あの……お、おはようございます」
緊張しているのか、そわそわと落ち着かない様子の彼女は、珍しく黒いノースリーブのワンピースを着ていた。胸のあたりからすとんと落ちる形の少女らしいシルエットは、さんに良く似合っている。丈はこの前と違ってきちんと腿を隠していて、少し落胆したような気持ちにならなかったわけではないけれど。
その時点でもう昼前だったけれど、今日彼女の姿を見るのはこれが初めてだったから、ぼくも素直に「おはようございます」と返す。そして、服を褒めた方が良いのだろうかと、ふと気が付いた。
以前食事をしたときは恋人同士ではなかったし、露わになった足をじろじろ見るのは失礼だと思って言及を控えたけれど、今のぼくはさんの恋人だ。素直な感想を口にするくらいは許されるだろう。「可愛らしいですね」くらい、さらっと言ってのけるくらいの度量がなければ。そう思ったのに、ぼくは横に並んだ彼女を見て思わず「は?」と言ってしまった。「可愛らしいですね」とはまるで真逆の、威圧的な響きになってしまったそれを、けれどぼくは反省しようとは思わない。
さんはびくりと肩を震わせて、ぼくにおずおずと向き直った。叱られた子犬のような上目使いでぼくを見上げてくる彼女に、ぼくは芽生えた感情がほとんど苛立ちに近かったことを自覚する。
さすがにこれを着てデートには行けない、とは言った。言ったけれど、コルワさんは「何言ってるの」と私の訴えを一蹴したのだ。
正面から見たワンピースは、非常に私の好みの形をしていたし、丈だって短くなかった。だけど問題は背中側だ。コルワさんは、私をエルーンと勘違いしているのだろうか、それともこれは元々コルワさんが自分のために作ったものなんじゃないか。様々な憶測が脳裏を過ぎって、私は素直にそれを全部口にした。だけどコルワさんは首を振る。背中が大きく開いたワンピースを片手に「たまには良いでしょ?」と自信ありげに微笑んでいるから、私は初めて、常日頃から尊敬し信頼している彼女の言葉を疑った。
「や、たまにはっていうか、ちょっと大胆すぎません? ブラジャー見えちゃう……」
「つけないわよ」
「はっ?」
「だから内側にちゃんとカップが入ってるのよ。ほらこんなかんじで」
「ほんとだ胸の形がきれいに見えそう――じゃなくて背中丸出しじゃないですか!」
「まあまあとりあえず一回着てみてくれる? ほら、折角作ったんだし」
そこを強調されてしまうと私は弱い。抵抗感を覚えながらも、コルワさんからそのワンピースを受け取る。袖を通してみるとコルワさんは私が鏡を見るよりも早く「似合うわよ、黒も良いわね! すっきりして見えるわ」と畳み掛けてくるものだから、単純な私はちょっとだけまんざらでもない気持ちになってしまった。
実際全身鏡に映った私は、いつもよりスタイルが良く見えた。それこそ本当に、内側に縫い付けられたカップが良いのかもしれない。ぴったりと肌に吸い付いて、胸元に関しては思ったほど心許ないことはない。だけど、問題は背中なのだ。肩甲骨よりももっと下の方、腰のあたりまで開いているせいで、スースーする。エルーンの皆さんは普段こんな感覚なのか。くるりと鏡に背を向けてみると、普段気にもしない部分が丸見えになっていて「ひえ・・・・・・」と声が漏れた。骨の形まで丸わかりだ。
「背中きれいじゃない~! 大丈夫よ、デートなんだからこれくらい大胆でも!」
「ええ……ほ、本当ですか?」
「本当よ! ていうか、気にする必要ないわよ、背中の露出くらい。彼だって見慣れてるでしょ? エルーンは皆、元から背中を出しているわけだし」
「た、確かに……」
「大丈夫! ちょっとくらい攻めても問題ないわ。むしろ喜んでくれるかもしれないし」
「喜ぶ……?」
コルワさんの言葉に思わず顔をあげる。彼女の瞳はいつだって自信に満ちていた。
「そうよ、男の子なんだもの! 好きな子がお洒落してきたら誰だって喜ぶわ!」
「おとこのこ……好きな子……」
「むしろ意外な一面に惚れ直すわよ、私なら絶対ドキドキするもの」
「惚れ直す……! ドキドキ……!!」
そして私はあっさり丸め込まれたのだ。
とは言え実際に当日改めてワンピースを着てみると、やっぱり普段隠している背中が大きく開いてしまっているのが気になる。ぐるぐると鏡の前で回りながら、コルワさんに「カーディガンとか着たらだめですかね……」と弱気な発言をしてしまい、あえなく却下されたのは言うまでもない。
やっぱり恥ずかしい、恥ずかしいけど、これがコルワさんの言うハッピーエンドへの正規ルートであるならば、私は勇気を出して彼女に従う他ない。
そう思ったのに、待ち合わせ場所で私を一目見たカトルくんは「は?」と短い声を出した。私の背中を見ての発言であることは間違いない。だって、その前に普通に挨拶をしたわけだし。挙動不審の私に訝しげな目線を送ってはいたけれど。
やっぱり駄目だったのだろうか、おかしかったのだろうか。
選択を間違えてしまったことはひしひしと伝わってきて、だけどカトルくんは眉根を寄せたまま、自分が纏っていたマントをおもむろに脱ぎ捨てて私に被せた。ばさ、と音がして、涼しかった背中が包まれる。見苦しいとでも言われるのかと思ったけれど、顔をあげた私に彼は「忘れ物をしたので一度戻ります」と、その件には一切触れずに言い切ったのだった。
「わ、忘れ物?」
「はい。ついてきてください」
「へっ」
待っていろ、という意味だと思ったのに、何故か私は彼に腕を掴まれた。ぐい、とほとんど無理矢理引っ張られて悲鳴が漏れる。今しがた降りてきたばかりのタラップを再び戻り、騎空艇内を大股で歩くカトルくんの後ろ姿を視界に入れながら、私は既視感を覚えていた。
これは、カトルくんが星屑の街から戻ってきた二週間前とほとんど同じ状況ではないだろうか。何だか怒っているような気がするところまで一緒だ。肩にかけられただけのマントを右手で押さえながら声をかけたけれど、カトルくんは全く反応を示さない。
部屋に押し込まれて、後ろ手にカトルくんが扉を閉めた。ずっと繋がれていた手首が離される。忘れ物、と言っていたくせに、彼は部屋の中のものに一切触れないまま、ぽかんと立ち尽くす私を置いて何故かソファに腰掛けた。全く意図が掴めず彼の様子を凝視していると、「何してるんですか」とカトルくんは目を細める。
「こっちに来てください」
「……忘れ物は?」
「は? あるわけないでしょう」
「えっ……あれ、食事、行くんでしたよね?」
もしかしたらカトルくんは何かを勘違いしているのかもしれない。食事に行くのではなく、部屋で過ごす予定だと。
確認するようにじっと目を見て尋ねると、はあ、とため息を吐かれてしまった。苛立ちを隠そうともしないその表情に、私の方が怯えてしまう。
「こっちに来いと言ったんですけど」
「……は、はい……!」
その圧に漏れかけた悲鳴を飲み込んで、私は言われるがまま彼の傍に歩み寄った。二人で座っても幾分か余裕があるソファは、肘起き部分まで柔らかな素材でできていてお昼寝には最適だ。一度グランサイファーを降りる前まで私が使っていたものだから分かる。だけど今この部屋を使っているのはカトルくんで、そう言う意味での所有者は彼だ。
そのソファのど真ん中に座った彼は「座ってください」と私に命じる。のだけれど、丁度中心部分にカトルくんが座っているせいで自分がどこに座るべきかが分からない。
困っているととうとう舌打ちが飛んできた。彼は私の腕を掴むと、私の背中から器用にマントを取り去ってから私を座らせてしまった。後ろから抱きしめる形で、彼自身の上に。
向き合う形ではなかったのが、幸いと言えば幸いだったのかもしれない。背中をじっと見られているような視線を感じはするけれど。
「えっ? ちょ、カ、カトルく」
「さん、この服はどうしたんです?」
お腹に腕を回されて、びくりと身体が震えた。カトルくんの膝の上、背中を向ける形で座らされたせいで、彼の表情が一切読めないのが恐ろしくてたまらない。
「いや、いやちょっと待って、くださ、その前にこの体勢は、ちょっと」
「ぼくの質問にまずは答えましょうか」
「す、すいません、見苦しくて申し訳ないです、ちょ、ちょっと調子にのってしまって」
「見苦しい? どこが」
ぐい、と腹に回されていた手に力を入れられて悲鳴をあげる。やっぱり見られてる。そう思うと羞恥心で消えてしまいたくなる。身体を離そうとしても、腰に腕が回されているせいでびくともしない。鍛えておけばこの腕を振りほどくことが出来ただろうか。だけど振りほどいたところで逃げ場はきっとどこにもなかった。
「み、見ないで、くださいぃ……」
「はあ? さんが見せてるんでしょう?」
見せてない、見せてないもん。だけどそんなつもりはなかったって言ったって無駄なのだろう。言うだけ言うけど。
「あ、ちが、コルワさんが、準備してくれたやつ、だからぁ……!」
「へえ、いい仕事しますね、彼女」
背中を指でなぞられて、「ひあっ」と甲高い声が漏れる。ぞわぞわと悪寒に似た感覚が全身を痺れさせて、ますます逃げ出したくてたまらない。のに、このお腹に回った腕は全く微動だにしない。がっしりと掴まれて、指の一本すらもその隙間にねじ込ませてはくれなかった。
「この前は足を出してきたかと思えば、今度は背中ですか。見かけに寄らず、大胆というかなんというか……」
「は、ちょ、み、耳元でしゃべんないで、くださ」
「ああすみません、あなたの耳はここにありましたね」
「んぎゃっ」
肩に顎を乗せたカトルくんが背後から私の耳朶にがぶりと噛みつく。甘噛みされて、吸われて、耳元で響く水音に首を振っても彼は決して私を逃がしてはくれない。カトルくんの低くて掠れた声や、私の耳を舌で弄ぶ音が直に脳に響いてくらくらする。どうしよう、どうしようと思っているのに、身体に力が入らない。
剥き出しになった背中に、彼の身体が押しつけられる。肌に直接彼の熱が触れて、それだけで息が止まった。私の目に映るのはいつものカトルくんの部屋なのに、与えられる刺激のせいでまるで別のところにいるようにすら思えた。耳元で低く囁かれる。
「エルーン族なら兎も角、普段隠している人が、こんなに肌を見せてはいけませんよね」
あ、どうしよう。
本当に、本当にこのままステップアップしてしまうのかもしれない。
唇を重ねられて、力が抜けた。カトルくんはそんな私に、喉だけで笑っている。
