に一つ依頼を頼んでも良い?」



 グランくんが私にそう声をかけたのは、私が朝食後の食堂を掃除しているときだった。
 一口に騎空団への依頼と言っても様々で、魔物の討伐に始まり街の治安維持のための警備、果てはお使いと言った細やかなものまで手広くこなすのがグランくんの騎空団だ。病気のおばあさんの代わりに犬の散歩をする、とか、野菜の収穫を手伝う、とか、誰でも出来るような仕事はその時手が空いている団員が引き受けることが多い。
 私がグランサイファーに乗ったばかりの頃、彼は私の居心地が悪くならないようにと、こういった簡単な依頼を私に回してくれることが何度かあったけれど、不在の半年があったせいでそれも随分と久しかった。



「えっ、やりたい!」



 箒を握りしめたままグランくんの傍に駆け寄る。依頼を回してもらえることは、彼が私を認めてくれているようで嬉しい。
 グランくんは食堂のテーブルの上に広げていた何枚かの用紙の中から一枚を指差す。店の倉庫整理。これなら確かに私にもできそうだ。



「カトルと一緒にお願いしても良いかな」



 しかし当たり前のように付け足されたその言葉に、絶句した。
 真顔になった私の横をすり抜けて、グランくんは食堂に掲げられたホワイトボードにペンを走らせる。私の名前のところに「依頼にて外出」なんていう字が並ぶのは何だかくすぐったかったけれど、それ以上に、私は途轍もない緊張感に震えていた。
 カトルくんとはあの指輪の一件以来、まともに顔を合わせていない。
 私が避けているのもそうだったけれど、彼の方が多忙なのだ。グランくんは彼の戦闘技術を非常に頼りにしている。
 ほとんど毎日と言って良い頻度で魔物の討伐依頼に駆り出されるカトルくんの薬指にはあの時の指輪が光っていて、私はそれを視界に入れる度に卒倒しそうになった。あの夜のことを思い出すと身体中の熱が全部頭にいってしまうみたいに熱くなって、眩暈がする。だって薬指に指輪を嵌めさせられて、意識するなって言うほうが無理だ。それで彼を避けていたと言うのに、グランくんはそんな彼と二人で倉庫の整理をやれと言う。



「あ、あの、でもグランくん。今日、カトルくんは久しぶりのお休みでしょ? ちょっとくらい休ませてあげた方が良いんじゃないかなあ……」

「え? でも結構大変みたいだよ、倉庫の整理。男手がないと無理じゃないかな」

「じゃあ別の団員さんで誰かいないかな? 一緒にやってくれそうな男の人」

「僕がやりますけど」



 二人でホワイトボードを見つめているその背後から、不意に声をかけられた。なんだか圧のあるその声は、振り向かなくても誰のものか分かる。私よりも先に声の主を確認してしまったグランくんが、「ああ、丁度良かった。じゃあお願いするね。カトル」なんて言うから、もう決定的だ。
 恐る恐る振り向いたそこに、カトルくんは居た。目を細めて、文句の一つや二つでもありそうな顔で私を見下ろしている彼は、口角を上げて悠々と口を開く。



「ぼくじゃあ不満ですか? さん」



 その言葉に、私は自分が逃げられないことを知る。








 食料品店や雑貨店の類だと思い込んでいたけれど、いざ蓋を開けてみれば、私たちに与えられた依頼は呪術に関するお店の倉庫整理だった。
 店主の女性はどうやら片付けが苦手らしく、売れ残った商品や入荷したばかりの品を、一時保存という形で倉庫に放り投げ続けていたと言う。その結果、気がつけば良くわからない道具類で倉庫は埋め尽くされてしまった。もうこの倉庫に何があるかも分からない。と遠い目をして呟くハーヴィンの女性に、私は「頑張ります……!」とやる気だけは漲らせる。
 が、店の奥に続いていた倉庫(というよりは、それはほとんど物置部屋だった)の扉を開けてみて絶句する。ほんの六畳に満たない広さのそこに、所せましと並んだ箱、箱、箱。私の背よりも高く積み上げられたそれらは、少し突けば崩れてしまいそうなほどの絶妙なバランスでどうにか崩れずにいるらしかった。しかもそのほとんどに何らかの注意書きが書かれた札が貼られている。



「き……けん?」

「ですね。触るなと書いてあります」



 ゆっくりと字を読み上げている私の背後から、カトルくんが口を出す。
 狭いせいで、その唇が耳元付近にくるのは仕方がないことなのかもしれないが、心の準備ができていなかった。びくりと身体を震わせたせいで危うく謎の箱を蹴とばしてしまいそうになる。



「さ、触らないでどうやって整理するんですか……」

「……まあ何とかなるでしょう。店主の女性もそこまで危ないものはないはずだと言っていましたし。とりあえず手前の物から一度出しましょうか。重いものがあれば言ってください」

「だ、大丈夫です……! 重いものを持つのは慣れているので!」



 何とかカトルくんから距離を取りながら、私はほとんど目も合わせずに力強く頷く。こんなに狭いところで二人きりで作業しなくてはいけないという現実に慄くが、弱音を吐いてばかりもいられない。
 だって、久しぶりに与えられた依頼なのだ。しっかりやらなくては。心の中で自分自身を叱咤しながら、私はカトルくんの指示通り、手前の箱から順番に廊下へと運び出す。








 ぼくは少々苛ついていた。
 指輪の一件以来さんに避けられていることもそうだったが、それ以上に、彼女がぼくと仕事をすることを拒否しただけでなく、あろうことか他の男と二人で依頼を受けようとしていたことに。偶然食堂に立ち寄らなければ、あのままさんはぼく以外の誰かを指定していたのだろう。団長さんに依頼が入っていた以上、それが彼であるわけはなかったけれど、他の人間と考えてみると益々舌打ちしたくなる。
 異性と二人で倉庫の整理なんてさせられるわけがない。そうでなくても彼女は警戒心がないのだから。会うのが二度目だったぼくの誘いにほいほいとついていくくらいには。
 懸命に箱を廊下に運び出すさんは、暑くなってきたのか、途中で着ていたカーディガンを脱いだ。今日の彼女は動きやすさを重視したのか、首元が丸く開いた薄い衣類に、ぴったりとした細身のパンツを履いている。いつもワンピースやスカートを身に着けているイメージがあったから、パンツ姿は新鮮だ。
 前のめりになったときに、豊満とは決して言い難い胸が服の隙間から見えた。ため息を吐きながら、ぼくはそれから静かに視線を逸らす。やっぱり他の男に任せなくて良かった。さんの無防備さは、男には毒だ。








 二人で全ての箱を出すまでどれだけ時間がかかっただろう。上の方の箱になればなるほど中身が軽かったのは幸いだった。脚立を持ちこんでどうにか一度全てを外に並べたは良いが、結局廊下もいっぱいになってしまったため、いくつかは倉庫内に置かれたままとなっている。
 あとは中身をチェックして、予め店主からもらっておいた分類表通りに従って仕分けする。そこにない品は処分して良いとは言われているが、どうもこの表と実際の箱の数から考えるに、ほとんどが処分品と言っても問題ないだろう。さんも何となくそれを察しているのか、「勿体ないねえ」と独り言のように呟いた。
 手始めに倉庫内の箱から確認していくことにしたぼく達は、まず布か何かがはみ出ていた箱を開けることにする。呪術品に関しては疎いが、そこに入っていたのはどう見ても洋服の生地か何かにしか見えなかった。



「わあ~、綺麗! これは何でしょうねえ」



 危険と箱に書いてあることを忘れたらしい。さんは無警戒に一番上の布に手を伸ばす。触るなって書いてあるだろうが、とその迂闊さに呆れたが、折りたたまれたそれらは服飾品に使うものにしか見えない。一応分類表に目を通すが、店主が取っておいて欲しいものの欄に布類は記載されていなかった。



「……ただの布じゃないですか? 呪術品には見えませんし」

「そうですね、コルワさんが喜びそう」



 さんは同室のエルーン女性の名前を口にすると、丁寧に布を畳みなおす。危険、とは一体何だったのか。あの店主の雑さに頭が痛む。



「でも一応中も全部確認すべき? ですか?」

「いや、布しかないようですし、まとめて処分で構わないでしょう。細かいところに拘泥していると日が暮れてしまいますし」

「確かに……」



 さんは言いながら、周りの大小様々な大きさの箱を見回す。この部屋の中にあるものだけでなく、倍以上の数の箱が廊下に続いていることを知っているからこその複雑そうな表情だった。



「二人と言わず、もう三人くらい人手が欲しかったですね」

「まあ。……ただ、ここも狭いので、あまり多いと逆に邪魔ですよ」

「う~ん、そっかぁ……じゃあやっぱり二人が良いのかぁ……」



 二人。
 自分で口にしたくせに、彼女はそれではっと目を見開いた。向かい合わせに座ったぼくの顔をじっと見つめてから、分かりやすく顔を赤くして目線を逸らす。
 確かに最初は緊張していた様子だったけれど、途中からは普通に会話をしていたし、動いているうちに慣れたのだと思っていた。なのにまた振り出しに戻っている。本当に、子どもみたいな人だな。思わず小さく笑ってしまうと、さんは自分が笑われていることに気が付いたらしい。小さくその唇を尖らせた。
 ぼくの視線を振り払うように彼女が手を伸ばした次の箱にも、当然のように「危険、触るな」と記されていたが、ぼくもすっかり気を抜いてしまっていた。ここの店主が適当であることなんて、この倉庫を一目見れば分かるようなものだったのに、どうして「危険なものは多分ない」だなんていうあの言葉を鵜呑みにしてしまったのか。
 中身が入っていないのではないかと思えるほどに軽い箱を開けたさんは、次の瞬間、あっという間に飲み込まれてしまうことになる。
 空っぽの箱の中に。








 もう少し慎重になるべきだっただろうか。といくら反省してみたところで時間が巻き戻ることはないのだということを、私は痛いほどに理解している。
 どうやら私は倉庫にあった箱の一つに吸い込まれてしまったらしい。随分と軽いものだと思ったけれど、あの箱そのものが呪術用の道具だったと考えるのが妥当だろうか。
 両手で抱えて丁度良いくらいのサイズだったのに、しかし今私がいるこの空間はそれに比べれば随分と広かった。中に誰かが取り込まれれば、内側の空間が広がるシステムなのだろうか。勿論その広がった空間にも余裕があるわけではないけれど。
 やってしまったなあ、と、どこか冷静に考えられるのは、そこがあまりにも暗かったせいかもしれない。ぼんやりと闇を眺めながら、私は、カトルくんに怒られそうだと反省する。彼のことだから、すぐ外側から助けてくれるだろう。だから、恐怖はそこまで感じていない。それよりも体勢が少し苦しかった。
 お尻と背中は箱の床についているけれど、頭を側面にやや押し付ける形になっている。足の置き場に困るのはどうしてか、分からなかった。これが箱と同じ正立方体であると仮定するならば、真上にも同じくらいの空間が広がっているはずだ。なのに、足を動かそうとすると何かに当たる。何だろう、これは。不思議に思って膝のあたりでまさぐった。ぬくくてやわらかい感触に、首を傾げた時だった。



「……軽率に動かないでもらえませんか」

「ヒッ」



 突然響いたその声に、驚きすぎて身体が動いた。それは、外に居るはずのカトルくんの声だった。ちょっとだけ隙間があった分、私は思い切り後頭部を壁にぶつける。真っ暗で気が付かなかった。確かに少し暖かい気はしたけれど、まさかそれが体温だとは思わなかったのだ。しかもそれが、カトルくんのものだなんて。



「ただでさえ狭いんですから……」

「え、あ、あの、カトルくん、その……」



 暗闇で助かった。至近距離に彼がいると分かると、一気に顔が熱くなる。私は巻きこんでしまったのだろうか。あの状況から考えれば、それ以外の可能性はほとんどない。



「ご、ごめんなさ……」



 姿の見えないカトルくんに、私は慌てて謝る。どこにいるんだろう、この中はそんなに広くないはずなのに。下半身以外、身体がほとんど触れていないのだ。だけど、私が動いたことで、肩のあたりに何かが触れた。カトルくんは私の身体のすぐ真上にいる。ただ、触れないように細心の注意を払ってくれているだけで。そう気が付いたときには、彼は私の耳のあたりで舌打ちをしたのだった。



「この、愚図……」



 反論の余地もない。
 悲しくなって思わず目を覆うと、それだけでカトルくんの肌のどこかに手が触れて心臓が止まった。これじゃあもう、指の一本も動かせやしない。








 さんが箱の中に吸い込まれる瞬間、咄嗟にその手首を掴んだ。結果ぼくまでまとめて箱の中に閉じ込められることになるならば、もう少し冷静になるべきだったのかもしれない。恐らくこの箱は、内側からは開かない。あのずぼらな店主が気付くまで、ぼく達は二人仲良くこのままだ。
 せめてもう少し広ければ我慢のしようもあったのかもしれないが、如何せん窮屈すぎる。ぼくの身体の下で仰向けになったさんの身体に極力触れないようにはしていたのに、ぼくと違って夜目の利かない彼女はぼくが一緒に閉じ込められていることにも気が付かなかったのだろう。彼女の足がぼくの下半身をまさぐるように動くから、ぼくは、ぐ、と堪える。それはもう、色々と。



「……軽率に動かないでもらえませんか」



 低い声で呟いた瞬間、身体の下のさんが殊更に驚いて頭をぶつけた。ぼくが真上にいることに気が付いてみるみる赤くなるその顔は見ていて楽しいものではあるけれど、そこまでぼくも余裕があるわけではない。とにかく、狭いのだ。両手で自分の体重を支え続けることは苦ではないが、その真下に彼女がいるとなると話は変わってくる。
 せめて顔の位置がもう少しずれていれば良かった。頭のすぐ横に彼女の耳朶が見えて、意識的に目を逸らす。シャンプーの香りに眩暈を覚えた。こんな空間で、手を出して良いような関係でないさんと密着して過ごすなんて、生き地獄以外の何物でもない。
 苛立ちを処理しきれずに「愚図」と呟けば、彼女は涙ぐんでぼくに謝る。さんは随分と弱々しい声をしていたけれど、本当に、やめてほしかった。そんな声で謝られたら、頭の芯が痺れてしまうのだ。
 ぼくも男である以上、人と密着してしまえば反応してしまう部分がある。意識的に腰を引きながら、どうにか冷静になれと別のことを考える。瞬間、頭目のとぼけたツラが出てきてくれて助かった。そうでなければ、ぼくの身体の下で小さくなっている彼女にキスの一つくらいしてしまっていたかもしれないから。一度そんなことをしてしまえば、タガが外れることくらい分かっている。自分自身のことだから。
 はあ、と深いため息を吐くと、耳に息がかかってしまったのか、さんが「あぅ」と短い声をあげて身体を震わせる。ああ、勘弁してくれ。無理に首を逆側に向けながら、舌打ちを一つだけした。








 こんなに頭目の存在に感謝した日も、そうないだろう。雑念が浮かぶたびに、ぼくは脳内に頭目を呼び出した。ぼくが男として彼女に酷いことをせずに済んだのは間違いなくあの人のおかげだ。
 ぼく達が様子を見に来た店主によりその箱から出ることができたのは、実に三十分後だったけれど、体感としては半日以上が経っていたんじゃないかと思う。
 外に戻れば互いを意識する余裕もないほどの仕事が残されていて、ぼく達は互いに言葉少なのまま、残りの箱の整理を始めた。その日さんが「危険」と書かれた箱に触れることは、もうなかった。








 店主の女性から助け出された後、カトルくんは私に背を向けて黙々と作業を続けていた。マントを脱いだその背中を見て、息が止まりそうになる。私は彼を意識していたのだ、もう、きっとずっと前から、一人の男性として。
 今更気が付いてしまった。これは恋だ。




リクシチュ「狭いところにとじこめられる」