「ほ~う。なるほどなるほど。それで噂を聞いて同盟に……ってわけか」
「…………う、ま、まぁ、大体そういう感じです、大体……」
「いやぁ、健気だねえ」
誤魔化しながら話したはずなのに、目の前の彼は呆気なく本質を見抜いたらしい。あっさりと「健気」だなんて口にされて言葉に詰まる。
顔に出ないようにしたけれど、でも無理だったかも。先輩からだって、よく「お前はすぐに顔に出るよな」って注意されていたし、一年とか二年で直る癖でもない。それにそうじゃなくてもこの人相手じゃ、私の演技はきっと通用しなかったと思う。だってなんだか、纏った空気が違うのだ。
「や、やっぱり信用に足りないでしょうか、そういう事情だと……」
レスター諸侯同盟、その領主たるリーガン家の嫡子クロード=フォン=リーガンは、その口角を緩く上げて私のことを見つめていた。――相手が相手である以上、萎縮するなって言う方が無理な話だ。私もここに来るまでは、猪みたいな勢いを持っていたはずなのに。
小さくなる私に、クロードさんは「いや?」って首を傾げる。
「まぁ、珍しいとは思うがね。だって傭兵ってのは、情だけで動くことはないだろ」
情だけで動くことはない傭兵。クロードさんは恐らく、「彼」のことを言っている。あの人は傭兵らしい、合理的なところがある人だから。だけどクロードさんはそんなあの人を、本来なら到底ありえない地位につかせ、自分の傍に置いているのだ。
クロードさんは、どこか胡乱な雰囲気を持った人だった。
表情は穏やかでありながら、目が全然笑っていない。日に焼けた褐色の肌に、深い翡翠の色の瞳は、探るように私を見ている。私の知る「貴族」の枠からちょっとはみ出ているように思えるのは、彼が同盟を背負う立場にある人間だからだろうか。
年は私や先輩と同じくらい。だけど、そこには年齢から推し量ることのできない何かが堆積しているように思えた。手の平に、じわりと汗が滲む。クロードさんは私の顔をまじまじと見つめる。帝国領に程近い同盟フレゲトン領北部、その駐屯地にある作戦室は今、私と彼以外に人の姿がない。
天井と壁の一部を覆った布の隙間から、微かな日差しが差し込んでいた。同盟領の中では温暖な気候に属するはずのフレゲトン領であっても、石作りの室内はどこかひんやりとしていた。外から、誰かが咳き込む音がする。馬の嘶き。訓練中の兵士の怒声に似たそれ。戦は近い。まだ新人の括りには入るけれど、それでも傭兵としていくつもの戦場を渡り歩いた私には、それを肌で感じることができる。
「ふ、不純な動機でも、少しはお役に立てると思います。先輩ほどの力はないですが……!」
「不純な動機って」
沈黙に堪えかねて、身体の横で手を握りしめながらそう口にした私に、クロードさんは微かに目を瞠らせて、ほとんど同時に笑った。その睫毛に、光の粒がある。唇からふはって息が漏れた瞬間、彼が纏っていた空気が一枚剥がれた気がした。それに、胸が音を立てる。瞬きをした直後、その目が少しだけ、穏やかになっているのに気がつく。
「――動機に純も不純ないだろ。……むしろそれで言うなら、あいつが軍にいる限りは金の多寡じゃ動かないって信があって良いと思うがね」
思わず「そ、そうでしょうか」と返す私に、クロードさんはそっと首肯した。「それに、流石にあいつくらいの力なんか求めないさ」彼は先輩を正しく評価していた。胸を打たれた気がしたのだ。私たち傭兵はいつも、そういう正しさから弾かれるような場所にいたから。
「…………ま、そうだな」
クロードさんは小さく息を吐くと、長机についていた手をこちらに差し出す。
弓が作る特徴的な肉刺のある、大きな手の平だった。少なくとも彼は本陣にどっしり居座って、お飾りの指揮官として存在するような人間ではないらしい。
「帝国との戦いを控えている今、戦力は少しでも欲しい状況だ。シェズを慕って――だとしても、力になってくれるのは助かるよ」
契約成立だ。
細められた翡翠の目に、警戒の色はもうなかった。
先輩の姿を談話室にみとめたとき、本当は走ってその背に飛びついて、「雇ってもらえることになりました!」って真っ先に報告したかった。でも、できなかったのだ。先輩は、誰かとお話をしているところだったから。
街中ではあまり見かけない、紫色の濃い髪。顔の右半分は長い前髪で隠れているけれど、精悍な面立ちをしていることが分かる。その眼差しは今、明るい色の髪をした、愛らしい顔立ちをした女性に向けられていた。
――恋人かな。ちがうよね。ちがうとおもう。というか、思いたい。
すごくきれいな人だ。所作も風貌も洗練されているから、傭兵なんかじゃなくてどこかの名家の方なのかも。どんな会話をしているのかは分からないけれど、でも、先輩の雰囲気はまるっこくて、ちょっと焦ってしまう。
三年と少し前、同じ傭兵団に所属して、いっときだけ一緒に戦ったシェズ先輩。
独特な雰囲気を持った人だった。強くて、格好良くて、たまに無謀なときもあるけれど、戦況を見る目のある人。戦場で何度助けてもらったか知れない。怪我を負った私が部隊に見捨てられたとき、先輩だけが戻って私を救出してくれた。血の匂いの充満する街道の外れに転がる私を、先輩は「生きてるな」って額を軽く撫でて確かめた。俵みたいに先輩の肩に担がれながら、ひゅうひゅうと呼吸をした。冷たい風が頬を撫でる夜だった。身体の外も中もあちこち痛んだ。泣きそうだったのは、こんなときにこの人が好きだと思ってしまったから。埃と汗と血、それから濡れた草木の匂いがした。「いつかご恩をかえします」って、どうにか呟いた私に、先輩は喉の奥だけで笑って、「いつかな」って言った。
まさかその数節後に、先輩が戦場から戻ってこないなんて、思ってもいなかったのだ。
最後に先輩を見た傭兵仲間の一人の言葉を信じるなら、先輩はとある戦のさなかの退却時、本陣とは全く別の方向に向かって駆けていったという。方向感覚のない人だから、きっとそのまま迷子になってしまったんだ。死んだわけじゃない。きっと今もどこかの傭兵団に雇われて、戦っているはず。だって紫色の髪の傭兵の話は、よく聞くもの。傭兵稼業の傍らで捜し続けて、それでようやく先輩が今も変わらず同盟領にいるらしいって話を聞いたのが、ついこの間。先輩は今、同盟軍で将となっている。何がどうしてそうなったのか、リーガン公爵家のクロードさんから直々に命じられて。
先輩は、同盟軍の拠点にまで駆けつけた私のことをすぐには分からなかったみたいだった。何年前、どこどこの、あの傭兵団で一緒だった、何度も助けてもらった、ってたくさんたくさん説明して、消えないお腹の傷痕も見せて、それでようやく「ああ、あの時の」って頷いたくらいだった。私もここで雇われますからね、また先輩と一緒に戦いますからね、ってお話しして、それからクロードさんのところに直談判に行って、それで今に至る。ちゃんと覚えてもらえてなかったって、いいのだ、別に。だってこれからは一緒だもん。
頑張って捜し続けて良かった。これでまた先輩と一緒に戦えるんだ。背中を守れるんだ。そう思うと、お腹の底から力が湧き上がる。相手が帝国だろうと、パルミラの軍勢だろうと、勝てる気がしてくる。なんだってできる。――そう、今ここで先輩に声をかけること以外は、なんだって。
戸口のところから、先輩の後ろ姿をこっそり窺う。ああ、やっぱりかっこいいなあ、好きだなあ、って、あんまりにも念を飛ばしすぎていたせいかもしれない。先輩と話をしていた女性と目が合いそうになって、慌てて身を隠した。
ばくばくと音を立てる胸を押さえる。なんで隠れちゃったんだろう。先輩に気がついてもらえそうだったのに。でもやっぱり、三年も熟成させた年季の入った片思いは、先輩の前に差し出すには重すぎる。さっきは会えた嬉しさで勢いのままに話しかけてしまったけれど、冷静になったら、ちょっとおかしい人って思われてもおかしくなかった。私は、このままひっそりこっそり、先輩を視界の端で追いながら、傭兵らしく戦うべきなんだろう。それがきっと、正しい。
一人反省しながら、外壁に背を預けてその場に座り込む。長閑な日差しが頭に温く降り注いでいた。光線の温度を感じながら、小さくため息を吐くか吐かないかの瞬間だ。「」って、低い声が私の足元に落ちたのは。
顔を上げた私の視界に、紫色の髪が入る。「はぇ」と返事なのか悲鳴なのかも分からない声が漏れたのは、私と視線を合わせようと僅かに屈んだ先輩が、私の名前を呼んだからだ。
覚えてなんかないだろうって思った、私の名前を。
でも先輩は、私の動揺なんか悟ることもしない。三年前のように平然とした顔で、私の前に立っている。その隣に、御令嬢然としたさっきの女性はもういない。
「随分戻ってくるのが早いな。……もうクロードと話はついたのか?」
「は、はい、つきました。無事雇ってもらえることになりました!」
「そうか。こういう状況だしクロードも断ることはないだろうとは思っていたが……まあ、だったら良かった。今は場数を踏んだ人間が一人でも欲しいところだからな」
「場数だったらめちゃくちゃ踏んでます、任せてください!」
「――ああ」
立ち上がる時機を逸してしまって、しゃがみこんだまま握りこぶしを作った私の頭を、先輩はそうとわからないくらいに触れる。
「任せた」
――情で動くなんて、きっと私は傭兵失格だ。
命を預けるなら、お金をきちんと払ってくれる人、できれば惜しみなく払ってくれるような人だったらなお良い。ついでに私たちを使い捨てたりしないでいてくれるならもう言うことはないけれど、このご時世ではそれはきっと望みすぎだ。そういうのを全部捨てて、主君でもない特定の傭兵仲間を追いかけて自分の居所を決める、なんて、馬鹿みたいって、同じ立場の人は笑うだろう。
でも、仕方ないじゃない、って思うのだ。
三年前に命を助けられた私は、雛の刷り込みみたいに先輩を慕っている。先輩のためだったらなんだってできるし、どんな相手とも戦える。背中を守らせてほしいし、傍にいさせてほしい。三年も捜し続けていたのだ。相棒として、できたら恋人として隣にいたい。そう思ってしまうくらい、だからどうか許して。
先輩は「じゃ、またな」と短く言うと、天幕へと向かって行く。そのしっかりした足取りを見送りながら、私は一人、先輩に触れられた額の感触を噛みしめるように、強く目を閉じて、わあって叫びたいのを懸命に堪えている。
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