幼いながらに、気持ち悪い色の瞳をした赤子だと思った。
洞窟の奥で陽の光も受けることなく、その花弁をひとりでに開かせた花のような。或いは深海に眠る宝石がぬめりを帯びたような。
それを黙って見ていると、自分自身がその眼球にのみこまれるように思えた。そのまま自分の身体ごと、吸い込まれて跡形もなく自分が消化されてしまいかねないような恐ろしさが、その目には確かにあった。
言葉も理解出来ぬ赤子は、あどけない両の目で「ひ弱そうな赤子だ」「やはり混血だからな」「弟と呼んでも良いものか」と笑う兄達を見上げている。髪の色はほとんど私達の父と同じだったけれど、ふっくらとした頬は兄達が口々に騒ぎ立てるように、私達のものと比べるとやや色が白く、頼りなかった。
赤子の伸ばした腕だけは柔らかそうで、それだけはこの国に生まれる「混血でない赤子たち」とほとんど変わらないようには思えたのだった。それが何だか、幼い私には少しだけ恐ろしかった。
異人の母の腕の中、パルミラの人間の名をつけられた赤子はその名前ばかりがどうにも浮いて見えた。
父が五人目の妻としてその人を娶ったのは、私がまだ五歳の頃だった。
新しい奥方様はパルミラの東にあるフォドラ、そこの何とかという家のご令嬢だったらしいとは聞いたけれど、ぴんとこなかった。パルミラの人間にとっては、侵略の度に立ち塞がるゴネリル家という貴族しか耳馴染みがなかったから。
だけど、美しい人だった。鼻筋が通っていて、恐ろしいほどに姿勢が良かった。目が合うと、必ず微笑んでくれる人だった。頷いたことはなかったけれど、お菓子をあげようかと声をかけられたこともある。そんな人は、この王宮にはいなかった。
私の母(四番目の妻だ)は彼女の出自をこっそり私に聞かせてくれた。五歳の子供であった私はそれをほとんど理解できずにいたけれど、それでも、「フォドラ」が「異国」で、そこに住む人々はここでは「異物」であるということだけは分かったのだ。私に流れるパルミラの血は、はっきりと彼女を警戒していた。それが血肉に刻まれたものなのか、後天的に植え付けられたものによるのかを、私は今もまだ理解できずにいる。
半分しか血の繋がらない兄たちも恐らく似たようなものだったのだろう。彼らは周囲の人間から、己の母親から、新しい奥様の話を聞かされている。あの女はフォドラの「臆病者」の血をその身体に流している。パルミラの王族に相応しいことがあるだろうか、と。
父は、そのような話を耳にしても咎めることをしない。昔からそうだった。お母様が他の奥方様にどんな陰口をたたかれていても、或いはそれを目の当たりにしても、一度も助け船を出してはくださらなかった。お母様は、だから、五番目の奥方さまがやって来て、本当はほっとしたのだろう。
お母様は、女の私を産んで以降、赤子を生めなかった。子を宿しても、何度かだめになったと聞いている。他の奥方様からの嫌がらせに身体が耐えられなかったのかもしれない。母は、パルミラの女らしく豪胆なふりをしているけれど、本当は気弱な面がある人だったから。実際母は、他の奥方様と違ってフォドラからやってきた五番目の奥方様を面と向かって誹ることはしなかった。単純に、できなかったのかもしれない。「臆病者の血をこのパルミラの、しかも王家に入れるなんて」と嘲笑する他の奥方様達と比べれば、母は随分と大人しかったから。ただ、自分に向けられていた悪意の矛先が五番目の奥方様に向かったことには、間違いなく安堵していた。母に笑顔が増えた。
私はそれだけで良かった。
お父様の子供は、私以外が皆、何かに選ばれたみたいに男ばかりだった。パルミラの男らしく、身体は大きくて、声も大きい。力なんかものすごく強くて、馬や飛竜に乗ればどこまでも遠くまで行ってしまえる。私ばかりが一際小さく、病弱だった。馬はほとんどが私を乗せることを嫌がった。
パルミラは、王位を継ぐ者を先代の王が決める。兄弟達の中で最も優秀な人間が、次代の王として選ばれるのだ。先代の匙加減もあるのかもしれないけれど、分かりやすく、若い内に功績を残した子供が王として認められることが多い。だから兄達は躍起になっている。幼い頃から、それぞれの母親にそのための教育を施され、言い聞かされている。お前は王になるのだ、お前こそが王に相応しいのだと。
私は女だから、王位継承権からは最初から外れている。だから兄達は私をほとんどいない者として扱った。彼らのお母様達もそうだ。私はいずれ王宮を出て行く人間だと彼らは思っているし、私もそう思っている。これ以上子供を望めぬ母と、凡庸な女の私を未だ王族として認め王宮においてくれているのは、父の温情だと。
元々変わった人だとは言われていたけれど、でも、フォドラから新しい奥方様を連れてくるなんて思ってもみなかった。五番目の奥方様は、家を捨ててこられたのだという。フォドラの喉元を越えて、彼女は遙々パルミラにやって来た。私達パルミラの人間はフォドラの人間を臆病者と蔑んだけれど、彼女はいつも不思議な笑みを携えているだけだった。はっとするくらいに美しい人だったけれど、パルミラでは見かけない、奇妙な色の瞳をしていた。誰にも知られずに暗いところで咲いている花のような。潮流の力だけで角を取り続けた硝子片のような。その双眸に見つめられると、お腹の中を何もかも見透かされているようで気味が悪かった。それを私は恐怖だと思った。
五番目の奥方様はすぐにご懐妊なさって、翌年の夏、男児を産んだ。
母に連れられてその赤子を見た。フォドラの、臆病者の血が半分流れた、母がついぞ産めなかった男の子。閉じられていた目が開いたとき、ぎょっとした。大きな瞳だった。彼の母と同じ、翡翠の色をしていた。パルミラの人間にはないその色が、私は恐ろしかった。
産まれたときから、私は彼を恐れていた。
赤子はカリードと名付けられた。
それから数年が経って、カリードは少年と呼ばれるに相応しい年になる。
カリードはフォドラの血を継いでいるせいか、他の兄達と比べれば少しだけ線が細かった。年を重ねても、手足ばかりが長くなるばかりで、分かりやすく筋肉がつくようなことはなかったように思う。
兄達はカリードを分かりやすく誹った。カリードと呼ばず、臆病者と蔑んだ。池に突き落とし、体格差を考慮せずに訓練に付き合わせ、カリードの身体には痣が耐えなかった。父も、彼のお母様も、けれどカリードを庇うような真似は一度もしなかった。もしも私が彼だったら、どうだろう。きっと兄達から隠れるように手足を丸めて、薄暗いところに隠れていたかもしれない。
だけどカリードはそうしなかった。池に突き落とされるうちに、水面に叩きつけられるのに丁度良い角度を覚えた。小石を見つければそれを隠し持って、兄達が目を逸らしたときにこっそり投げるようになった。カリードは兄達に比べれば小柄だったけれど、おかげで身のこなしは軽かったから、そのうち池に突き落とそうとする兄達の手を躱すようになっていた。
私はそれをいつも遠目から眺めている。私だったらどうしただろうと、いつも考えている。
私だったら多分、池の近くに寄ることをやめるだけだった。そうして新たな意地悪をされる度、居場所を変えて、変えて、変えて、最後にはきっとどこにもいけなくなって部屋に閉じこもっていた。
女で良かった。あの王位継承に巻き込まれずに済んで良かった。そう考えながら、彼を貶めようとしている兄達と、翡翠の目をして彼らを観察しているカリードを見つめている。彼の両の目は、いつも何かを考えるように細められている。
カリードが十になる頃には、彼は既にある種の才覚を発揮させていた。
彼は、腕力では身体も大きく年も離れた兄達に敵わない。いくら武芸を身につけても、パルミラの血を濃く継いだ兄達には届かない。それを理解し、受容するだけの地頭の良さを彼は持っていた。
兄達の言葉を借りれば、「小賢しい」のだ。その頃には兄達も、カリードにはっきりとした脅威を感じ取っていたのだろう。もしかしたら、彼らも、カリードのあの目が怖かったのかもしれない。カリードは彼らに殴られる前に様々な罠(策だと彼は言うけれど)を設置して、彼らと上手く渡り合った。勿論その罠は不発に終わることもあって、そういうときはカリードは兄達にぼこぼこに殴られる。私はそれを、部屋の窓から見下ろしている。
よってたかって一人の子供が殴られる光景というのは、ここではそれほど珍しいものでもない。カリードの身体は昔から痣だらけだったし、彼は毎日どこからか血を流していた。分かりやすく顔が腫れていることもある。
彼のお母様はよほどのときに限り、笑いながら彼に治療を施した。その時の笑い声というのは、私の母のものと違って、からからに乾いた、なんというか、酷く軽いものだった。
「泣くな、泣くなカリード。あんたは強い」
私は彼らの目が恐ろしかったけれど、その笑い声は好きだった。
あの人は、他の奥方様達のように、己の息子に「王になれ」とは言わなかった。
私が二十歳を過ぎたある日のことだった。カリードと、彼のお母様のところに使者がやって来たのは。
その頃には私は彼らがフォドラにあるリーガンという家の血を継いでいることを耳にしていたし、それがフォドラではそこそこの名家だということも聞いていた。カリードのお母様はそこを捨てて、彼女にとっては異国の地で生きることを決めたのだ。そう思うと、彼女が「臆病者」であるようには到底思えなかった。男児を産めず、部屋から外に出ることがほとんどない母や、こうして遠巻きにカリードや兄達の姿を眺めている私の方が余程「そう」であるようにすら思えたのだった。
噂によると、カリードのお母様にはリーガンの家督を継ぐ予定の兄君がいらっしゃって、だからこそ彼女はこのパルミラに駆け落ち同然でやって来たそうなのだけど、そのお兄様が公務中の事故で亡くなられたらしい。彼には世継ぎがおらず、リーガン家は行方不明となっていたカリードのお母様をずっと捜していたそうだ。
そして異国の地で見つかった彼女には、男児がいた。
カリードには選択肢が与えられた。このままパルミラで王位継承者の一人として兄達と共に切歯扼腕しても良かった。リーガンからの要請を無視することだって彼には出来た。だけど、そうしなかったのはどうしてだろう。私は彼をいつも眺めていたのに、赤子のときからずっと見ていたのに、分からないのだ。
カリードはフォドラに向かうことを決めた。兄や、そのお母様方はそれを大層喜んだ。カリードはやっぱり不思議な力を持った人間で、このままでは王位を彼に奪われることも十二分に考えられたから。カリードのお母様が、父の寵愛を一番に受けていたせいもあったのかもしれない。兄たちも、お母様方も、カリードの存在を酷く恐れていたのだった。
彼がパルミラを出て行くのならばと、その日開かれた宴では彼らは酒を飲み、肩を組んで大声で歌っていた。いつもは輪の外からまるで俯瞰するように宴を眺めていたカリードはその日みんなの真ん中で笑っていた。その美しすぎる笑顔が、時折見せる凪いだような横顔が、まるで同じ人のようには思えなかった。
カリードと私が話をしたのは、その日が初めてだったのかもしれない。
彼がフォドラへと旅立つ日、見送りに立ったのは彼のお母様だけだった。私はその様子を、陰からじっと見つめていたのだ。別に、居合わせるつもりはなかった。日課の散歩の帰りに、運悪く出くわしてしまった。けれど部屋に帰るにはどうしても厩舎の脇を通らなければならなかった。よりにもよって、そこで彼らは最後の別れをしていたのだから、私は物陰から出るに出られず、二の足を踏んでいる。
カリードの声は、私の記憶に色濃く残っているそれよりも低く掠れていた。細められたその双眸の色だけが、彼が赤子のときからのそれと何ら変わらなかった。
カリードはお母様に肩を叩かれ、薄く微笑んでいる。遠くに見えるのは、リーガンからの使者だろう。私達よりも肌の色が白く、髪の色も鮮やかで、線が細くて頼りない。大人達が日々侵略しようと目論んでいるフォドラ人は、遠目から見てもやっぱり弱々しかった。彼らがカリードを連れて行ってしまう。フォドラに行ってしまう。
カリードは本当に旅立つらしい。
その時だった。物陰から様子を窺っていた私に、カリードは目線を寄越した。息が止まったのは、まるで私の内臓ごと腹の中を見透かすようにその瞳が細められたからだ。
彼を見つめ続けて、十五年余りが経っている。私はけれど、彼と目があったことなど一度もなかった。産まれたばかりの彼を見た、あの日以来。
私は無意識のうちにそれを当然だと思っていた。私が部屋の中から、物陰から、カリードを見ていることに、彼は気づいていないのだと。
だけどそうでなかったと言うならば、私は今どんな顔をして彼と向き合うべきなのだろう。
カリードが私の元へ向かってくる。私が恐ろしいと思った、パルミラにはないあの瞳を携えて。カリードが手を上げる。泰然と微笑む。彼が今見ているのは、私だ。
「姉さん」
それは、彼の口から発せられたとは到底思えない響きを持っていた。
カリードのお母様は、新しく弟妹を産むことをしなかった。四番目の妻である私の母は勿論、一番目の奥方様も、二番目の奥方様も、三番目の奥方様も、次の子供を身籠もることはなかった。だから必然的に、私にとっての弟妹はカリードただ一人だった。
姉さん。
そう呼ばれて、息が詰まる。
カリードは私とほとんど変わらない背丈をしていた。この夏で、彼は十六歳になる。彼の背丈は少し前よりも伸びたように思うから、パルミラを発った後も、もう少し成長するのかもしれない。それを私が見届けることは、もうないけれど。
「良かったよ、最後に会えて。姉さんに伝えておきたいことがあったんだ」
僅かに眉を下げた彼は、私のことをじっと見つめている。こんな声をしていただろうかと、私はこんなときに考えている。勿論、数年前に声変わりを済ませる前までとは全く違うものであることは当然なのだけど、私はこうして目の前にカリードに立たれて初めて、それを実感している。
翡翠の色の瞳はその時、陽の光に反射して、僅かに色を変えた。その中に、見慣れた黄金を見る。カリード。あなたはここを出て行く。捨てていくの間違いだろうか。分からないのだ。私はあなたをずっと見ていたのに。
ここにいれば、あなたはいずれパルミラの王にもなれたかもしれない。その知略を武器に、これまでの、力が全てと言われたパルミラの概念を覆す新しい王になれたかもしれない。私はもしかしたら、それを期待していたのだろうか、いや、それすらも実に曖昧だ。異端の子。あなたは産まれるべくして産まれた。私はあなたの成長を、ただただ影から見守るだけでした。決して庇わず、助けず、助言もせず、何重にも防護壁を張り巡らせて、それからまるで、畏怖でもするかのようにあなたを見続けた。
「これぞ天の配剤だな」
カリードは私を見つめている。長い睫毛に縁取られたその双眸を、私は今でも恐ろしく思う。
兄達に殴られ、蹴られ、身を守りながらもじっと耐えていたその双眸は、いつもどこか鈍く光っていた。半分だけ異国の血を引いた男の子、彼を可愛がる人も中にはいたし、実際名の知れた武将の中にはカリードの才覚を評価していた人もいた。だけど、やっぱり彼はどうしたって異人で、異物だ。彼がそこにいるだけで、私達は息がしにくくなる。見透かされているようで恐ろしくなる。
カリードがそうして兄達から蔑まれていたのは、結局の所彼らがカリードを理解できなかったからだ。カリードだってそれを知っていたはずだった。
何も返事をしようとしない私に、カリードはとうとう、その眦を細めた。なあ、姉さんと、まるで虚空に向かって言葉を投げるように。
「あんただけは俺を殴らないでくれたよな」
そしてそんな彼を遠巻きに眺めていただけの私は、本質的には、姉ですらない。
カリードの手が私の、身体の横に力なくぶらさがっているだけだった手を取る。酷くあたたかかった。私はその温度を知らなかった。
「ありがとう」
私はカリードのことを知らない。カリードが本当は何を考えてそれを口にしたのかも、それが本心であるのかどうかも私には分からない。
だって、私はあなたが恐ろしかったのだ。殴らなかったんじゃない、殴れなかった、その目で見つめられることすらも怖かった。今だってそうだ。私はあなたが恐ろしい。私達よりも肌の色が少しだけ薄いあなたが、兄達や、同じ年頃の子供達に比べればずっと華奢なその体躯が、あなたが時折見せる何かを考え込むような表情が、全てをねじ伏せるような笑みが、私は怖くてたまらない。底が知れないと思う。そして、そんな彼を作ったのは、環境であり、父母であり、兄達であり、私だ。
「じゃあ、行ってくるよ」
彼の熱を持った手が、私のそれに力をこめる。
「どうか、元気で」
その時の彼の表情を、なんと形容すべきだったのか。
私はカリードに何も言えなかった。謝罪をすべきだったのかもしれない。だけど、何をどう謝るべきなのかも分からなかった。私はあなたが今でも恐ろしいから。「行ってくるよ」という彼の言葉が、自分の皮膚に染みを作っていくような錯覚に囚われながら、私は彼の細められた眦を、初めて見つめ返す。
それが開かれた瞬間、私は十五年前の夏に戻ったような気がした。量の多い睫毛に縁取られたその瞳はまるで未知の宝石のようだった。あれは誰も手にしたことがないものだった。美しすぎて恐ろしかった。喉の奥がはっきりと痛む。行ってくるよと口にした彼に、何も返事ができぬまま、私はぎゅうと彼の手を握り返した。そうすることしかできなかった。
彼は私の後悔を拭い去ってはくれない。刻みつけるように私に呪いだけを置いていく。一生彼の存在をこびりつかせるための呪いを。離れた手の、その手の平は、痛々しくマメが潰れていた。クロード、そろそろ行きなさい、彼のお母様が、カリードをそう呼ぶ。あなたはもう、カリードという名前すら、このパルミラに、私の脳の奥底に、沈めていく。