(今際の二人です)




「――だから、あなたはどうしてああいう輩の話を最後まで聞こうとするんです」



 ぼくの用事が済むまでの間あたりの店を見てまわっていていいかと言われたので了承したが、まさかその「店」に、誰がどう見たって怪しいことこの上ない路地裏の露店まで含まれているだなんて想像していなかった。
 店主に捕まって商品を売りつけられそうになっていたさんは、余程困っていたのだろう。ぼくの姿を見て明らかにほっとした顔をしたが、一方でそんな彼女と対称的に怒りの色を見せたのは店主の方だ。さんにぼくが恋人かどうかを尋ねた店主は、「男がいるんなら早く言えよ、時間を無駄にさせやがって」とほとんど吐き捨てるように口にして彼女を追い払う仕草をしてみせたものだから、危うく手が出るところだった。――条件反射で「あぁ!?」とは言ってしまったが(さんが「わー、カトルくん、行こ!」と腕を引っ張ってくれなければ、本当に余計な騒ぎを起こしてしまっていたかもしれない)。
 市場への道すがら、ぼくの隣を俯きがちに歩くさんは、「ごめんなさい……。大丈夫です、って言ったんだけど、離してもらえなくて」と申し訳なさそうに口にする。コルワさんから譲り受けたコートを羽織って、柔らかい素材の白いマフラーを巻いたさんは惚れた欲目を抜きにしても可愛らしく、お嬢さん然としていて――換言すれば、カモられたって仕方ない見た目をしていた。一人にしたぼくが悪い。悪い話を聞いたことのない街だったから、気を抜いていた。



「はぁ、ドキドキした。助けてくれてありがとう……」



 冬にしては比較的あたたかい日だった。時折吹く風が冷たくはあったが日差しは穏やかで、活気があり、子供たちの笑い声もする。島の気候もあるのだろうが、先日まで寄港していた街は雪まじりの雨が降り続いていてどこもかしこもぐしゃぐしゃだったから、休暇を過ごすには良いタイミングだったと思う。
 「まあ、何もなくて良かったですけど」と口にするぼくに、さんはそっと顔を上げる。



「ああいうときは、連れが待っている、とでも言えば良いんです。そうじゃなくても無視して立ち去ったって追いかけてはきませんよ」

「そ、そうですかね……? おらー! って追いかけてこないかな?」

「よっぽどこちらに非がなければ。……まあ、でもあなたを一人にしたぼくも悪かったので、これ以上は責めません。――ところでアレ、なんの店だったんです?」



 路地裏を抜けて大通りに出た今、来た道を振り向いたって先の露店は視界に入らない。しつこくさんを引き止めていた店だ。碌なものを扱ってはいないだろうが、店主の吐いた「男がいるなら早く言え」という言葉が引っかかっていた。一体何を売りつけられそうになっていたんだろう、と、軽い気持ちで聞いたのに、しかしさんはぐっと言葉に詰まって答えない。それどころかふいと視線を逸らされて、思わず目を細めてしまった。



「…………なんですか、その反応」

「べ、別に」

「別に、なんですか?」

「別に……です」



 珍しく強情なさんの隣で足を止める。口を割る気はない、というよりも、言いにくいものであることは窺えた。そんな態度を取られて、気にならないわけがない。「じゃあさっきの店、もう一回見てきますね」と口にして踵を返せば、さんは「わー! まってまって!」とぼくの服の裾を引くから、振り向いて、改めて彼女を見下ろした。
 武器などまともに握ったこともない、ぼくの恋人。素直で、馬鹿みたいに真面目で、嘘を嘘と見抜けない。警戒心がいつまでもない分放っておけなくて、だけどそういうところが好きだった。
 さんの視線は何か言いたげにぼくの周囲を彷徨うが、じっと見つめていると、観念したようにぼくの目を見る。丸くて、大きな目。なんでも真っ直ぐ映すから、彼女からぼくが一体どういう風に見えているのか、ずっと気になっていた。今も。唇が何度か躊躇うように開いたり閉じたりした後、さんは雑踏に飲み込まれるくらいの声量で、観念したように言う。掠れた声は、力が無くて聞き取りにくい。



「――のお店」

「は?」

「……ほ、惚れ薬のお店……」

「はあ?」



 本当に目を離しちゃいけない人なんだなと彼女の言葉を聞きながら思ったのは、言うまでもない。








 別に、惚れ薬が欲しくてお店を見ていたわけじゃない。
 初めて訪れた大きな街に心が躍って、あちこち見て回っていたら、露店のおじさんに声をかけられた。「そこのお嬢ちゃん、ちょっとでいいから見ていってよ」って。並べられた瓶は一つ一つ形や大きさが違っていて、どれもが光を吸って淡く輝いていて、それがすごく綺麗だった。香水か何かかと思ってつい足を止めたのだ。惚れ薬だなんて知っていたら、絶対近づいたりしなかった。
 怪しいお薬だ、って気付いたのは、おじさんといくらか話をした頃。これこれこういう材料が使われているんだ。無臭だから食べ物や飲み物に混ぜてもバレないよ。もうすぐバレンタインだし、一つあったら便利だよ。チョコに混ぜちゃえば、好きな男もイチコロ。買って行ってよ。って言われて、それで瓶に小さく貼られていた「惚れ薬」っていうラベルに気がついた。この綺麗な瓶たちは、香水なんかじゃ、全然なかったのだ。
 ぎょっとしたどころの騒ぎじゃない。こういうお薬がどれだけ危ないかっていうのは、身を以て――本当に、身を以て――知っているから。それで、間に合ってます、大丈夫です、って断ったんだけど、でもそれまでにこやかだったおじさんの表情が急に変わってしまった。声が急に低くなって、原材料まで話させておいてそりゃないよね、こんなことされちゃったんじゃ商売あがったりだよ、って凄まれて(おじさんが勝手に話したのに!)、怖くて、びっくりして、もうほとんどお財布を出してしまう寸前だった。カトルくんが来なかったら、必要も無い惚れ薬を買ってしまっていたかもしれなかった。
 そういうことを一から十まで話してしまう私は、隠し事ができないたちなんだろう。カトルくんの反応をびくびくしながら待っていると、カトルくんは少しの沈黙の後、「本当に危なっかしい人ですよね、あなた」って口にした。心配と呆れが半分ずつ混じり合ったような、だけど、優しい声だった。



「お、おこってない?」

「まあ、買わされてはいないですしね。あの店主も本気で危害を加える気はなかったみたいですし。……でも、気を付けてくださいよ。優しい人間ばかりじゃないんですから」

「う……肝に銘じます……」

「去年は二度もカリオストロさんに騙されていましたし」

「わー……その節も本当に、ご迷惑をおかけしました……」

「……去年に引き続き、ぼくは今年も危うく妙な薬入りのチョコレートを食べさせられるところだったわけですか」

「いや、買わされてたとしても入れないですよ!?」

「ふふ、冗談ですよ」



 慌てて否定する私に、カトルくんは笑う。その掠れた声が、低くて、絶対私には出せない音域で、それが妙にドキドキした。思わず顔を上げる。少し視線を持ち上げなければ、私たちは目が合わなかった。



「――今年は『普通の』チョコ、楽しみにしてます」



 白んだ光に透けるカトルくんの、藤色のやわい髪。
 同じ色をしたエルーンの耳はぴんと立っていて、先のあたりが微かに、震えるように動いていた。伏せられた睫毛と、通った鼻筋。薄い唇は口角のあたりが緩くあがっていて、私といるときにだけ見せてくれるそれを見る度、私はかつてのカトルくんの冷めた目を思い出して、いちいち新鮮にびっくりしてしまう。――好きだと思う。
 手を差し出されて、ちょっと躊躇ってから自分のそれをそっと重ねた。「もっとすっと繋いでくださいよ、手くらい」。私の物よりもはっきりと体温の高いカトルくんの手に包み込まれて、心臓が跳ねる。その鼓動すら、彼にはお見通しだったのかもしれない。小さく笑われて、困った。困ったから、その場を凌ぐみたいに、「今年はちゃんと、すごーく美味しいチョコ作りますからね。薬の入ってない、ちゃんとしたやつ」と、自信なんかないくせに言ってしまったけど、そういうのも全部、カトルくんは分かっていてくれているんだろうな。
 「なんでも嬉しいですよ」って言葉が、指の先から溶けるみたいな熱と一緒に伝わってきて、くすぐったくて、つい、笑った。