召喚士という立場だと、こういうお祭りごとはどうしても英雄たちにかまわれることが多くなる。
「それだけあんたが皆に信頼されているって証拠だろ?」
私の持つ花束にガーベラを一輪差したクロードはそう言ってくれたけれど、ほんとにそうなのかな、って、ちょっと考えてしまう。私なんかアスク王国にやって来て何年も経つっていうのに、未だにアルフォンスやアンナさんに迷惑をかけてばかりいる自覚があるから、クロードの言葉を真に受けて素直に喜ぶってことはなかなか難しい。クロード自身が飄々としていて、その言葉には常に色んな思惑が混ぜ込んであるっていうことを知っているからこそ、余計に。――だけど英雄達の手によって朝から私の元に一本ずつ届けられるそれが巨大な花束になりつつあるのは、素直に嬉しかった。向けられる親愛に相応しい人間だとは思えないけれど、せめて少しでも応えられたらいいな、とは思う。
アスク王国で毎年この時期に行われる「愛のお祭り」は、元の世界で言うところのバレンタインに類するものだ。女の子が好きな男の子にチョコをあげる、のではなくて、男女にかかわらず、大切な人に贈り物をする、っていうお祭り。大抵の場合その贈り物はお花で、この季節になると王国中が花で溢れかえる。色とりどりの花がそこかしこに飾られて、国全体が春みたいに彩られるのだ。
私もアスク王国に来たばかりの頃は嬉々として皆に花を配り歩いていたのだけど、私の召喚した英雄たちが百を超えたあたりでどうにも自粛せざるを得なくなった。花の準備に明け暮れる私を見かねて、アルフォンスが「君はもうこの祭りに参加しない方がいい」と釘を刺したのだ。
その時は「なんで!」と思ったけれど、今となっては――その頃よりもさらに英雄が増えている今となっては――それで良かったのだと思う。流石アルフォンスは、先見の明がある。召喚士がお祭りの花で破産なんて言ったら、笑えないから。
だから今の私は、もっぱらもらう専門だ。お返しができなくてごめんなさい、と言うと、だけど英雄たちは笑って首を振ってくれる。「にはいつも世話になっているから」って、嘘でも言ってくれる。彼らが私に渡してくれる花は私の手の中でどんどん増えていって、びっくりするくらい重くなる。腕がちぎれそうって言ったら、「良い鍛錬になるな」ってアルフレッドに言われて、つい笑ってしまった。
噎せ返るような花の香り。皆が思い思いの花を準備して私にプレゼントしてくれるから、色も大きさも統一感なんかちっともなくって、だけどそれが好きだった。
「おや。誰かと思えば召喚士殿でしたか。花で顔が見えず、誰だか分かりませんでした」
花束を飾るために自室まで戻る道中、「こちらもよろしければ」と廊下ですれ違い様に花を差して行ったのは、ヒューベルトさん。ありがとうございます、と慌ててお礼を言ったけれど、彼は私に何も答えなかった。
窓の外から差し込む陽光。思わず足を止めて階下を見れば、花を交換しあっているエイリークとリオンの姿が見える。幼馴染みの二人はいつも仲睦まじくて、彼らがまとう柔らかい空気が好きだった。ぼんやり見つめていたら「あ、さん見つけた、これももらってってよ」と、デューに後ろから花を差し込まれて、びっくりして小さく声をあげてしまう。危うくバランスを崩しかけたけど、どうにか堪えた。自室までの道のりは遠く、ありがたいことに、デューと別れた後も花は膨らむみたいに増えていく。部屋の花瓶に入りきらないかも、なんて、なんて贅沢な悩みなんだろう。
だけど花の重みにふらつきながらも部屋までやって来たとき、愕然とした。両手が塞がっていて、扉が開けられないことに気がついたのだ。
一度この手の中の花をどこかに置いて、扉を開けてから部屋に運ぶ――想像してみて、思わず眉を寄せてしまった。一本ずつ増えた花はリボンで結ばれているわけではなく奇跡的なバランスでもってまとまっているだけだったから、一度でも手を放したらバラバラになってしまう。バラバラになってしまったら、この量の花を部屋に運び込むだけで日が暮れるのは、想像に難くなかった。
鍵もかかった扉を両手が塞がった状態で開けるのは困難で、途方に暮れていたときだった。背後から、「困り事か? 」と、聞き覚えのある声に名前を呼ばれたのは。
慌てて振り向いた先には、フォドラから召喚された仲間たちとお祭りに出向いていたはずのディミトリがいた。
に衣服の腰のあたりに入っている部屋の鍵を取り出して扉を開けてくれないかと頼まれたときは正直動揺したが、彼女が抱えた花束を俺が代わりに持つこともできそうになかったから(一本一本がばらばらの状態で、手から手へと渡すことすらも憚られたのだ)、仕方なしに腰のあたりから鍵を取り出させてもらった。イングリットやアネット、メルセデス――そうでなくとも誰か女性の姿があれば良かったのだが、生憎彼女の部屋の前は人気がなかった。どうしてもその身体に触れざるを得なくなってしまうことに「すまない」と口にしたが、は笑って、「すまないはこっちの台詞だよ。ありがとう、ディミトリ」と言った。やわらかな手触りの布を思い起こさせるの笑い声が、俺は好きだった。
「開けられなくて困ってたの。助かった」
「花、随分もらったんだな」
「ね。きれいでうれしい」
両手の塞がった彼女の代わりに扉を開けてやれば、は「ありがとう」と小さく会釈をして、そのまま部屋へと入っていく。アスク王国の召喚士の部屋は、俺に与えられたものと大差のないものだった。質素と言えば言葉は悪いかもしれないが、寝台と机、棚がいくつかあるだけで、調度品は必要最低限。本が何冊か積まれていて、だけどあまり読み進められていないのだろう。表紙に薄ら埃が積もっていた。絨毯は毛足が傷んでいて、何かを零したらしい染みが点々と散らばっている。日当たりは良く、午後の陽光が窓から差し込んで、空気中の塵を輝かせている。
召喚士である彼女はこの世界において特別な存在であるはずなのに、ちっともそれを俺に感じさせない。
部屋の中央に置かれた机に花を置くの後ろ姿は、酷く頼りなく、抱きしめれば折れてしまいそうなほど細かった。「花って案外重いねぇ」独り言のように呟いた彼女の両手から、ぽろぽろと花が零れ落ちて、机に水溜まりのように広がっていた。スミレ草、カーネーション、ガーベラ。名前の分からない無数の、色とりどりの花々は、彼女が皆から慕われていることの証左だ。
俺達をこのアスク王国に召喚した張本人であるは、大なり小なり、俺達から無条件の信頼というか、情のようなものを得ている。クロードはそれを「雛の刷り込みみたいなもんじゃないか?」と表現していたが、実際のところはどうなんだろうな。
ただ、彼女からは血の臭いがしないのは確かだった。戦いに身を置きながら、どこか遠いところにいる人間だった。その完全な無垢さに、戦場に居続けた俺達は惹かれているのかもしれなかった。
「ドアを開けてくれたお礼に、お茶でも飲んでいって」
気安く言う彼女は、恐らくあの王子が常に神経を尖らせている分、警戒心が緩い。彼の心労が窺えてしまって、つい笑った。
「……花は活けなくてもいいのか?」
「お茶を飲んでからにする」
だから、良かったら一緒に飲もう、と、彼女は柔く笑うのだ。俺に対して壁がないのは彼女が召喚士だからで、それ以上でも以下でもなかった。彼女にとって、俺は机に広がる花の一つだ。それでも構わなかった。今のところは。
「……ありがたくいただくが、その前にこれを」
懐から、準備していた鈴蘭を取り出す。もっと大ぶりのものにしておくべきだったか。そうしたら、その髪に挿してもおかしくはなかったろうに。
鈴蘭を差し出されたの瞳が丸くなる。茶色がかった眼球の中心に俺が映っているのが、どうしてか不思議だった。
「……すずらんだ」
可憐な白さがお前に似ていると思ったとは、決して言わないけれど。
の細い指先がゆっくりと差し出されて、鈴蘭を受け取る。「きれい」と、呟かれた声は、いつもの彼女のものよりも空気が抜けて、力がなかった。どこか緩慢にも見える仕草は、ひょっとしたら、少し動揺していてくれていたのかもしれない。――そうだったらいい。「愛の祭りだと聞いたから」。口から出たその言葉に、がゆっくりと瞬きをする。あいの、まつり。の唇が、俺の言葉を繰り返す。だから、受け取ってもらえて良かった。そう口にした俺を、彼女は見る。
「…………受け取ってもらわなければ、俺が困るところだった」
瞬間の頬に赤みが差した気がしたのが、気のせいでなければいい。
動揺したらしいが、一歩後ずさる。棚に踵をぶつけたせいで、ガン、と鈍い音が響いた。机は、彼女が今日他の英雄たちからもらったと言う花で溢れかえっている。抜け駆けをしたみたいで悪いような気もするが、それでも今、狼狽した彼女のその手にあるのが俺のあげた花であるという事実に、微かに満たされたような心地でいる。