オフシーズンで日本に戻っていた六月のことだ。中学のときの友達から「同窓会するんだけど、潔来れる?」って連絡があったのは。提示された日付を見て、あ、今度は行けるなって思ったのは、前回の――成人式の後にあったって言う飲み会が冬で、参加するどころかそもそも俺自身日本にいなかったためだ。長らく会えていない同級生たちの顔が次々思い浮かんで、胸が躍る。
 行ける行ける、めっちゃ行く。って返事を打ちかけたけれど、それを送る前にはたと気がついて、に「って同窓会行く?」って送った。どうせ日本にいる間は(それこそ飲み会や用事でもない限り)ほとんど毎日電話してるんだから、後で直接聞いても良かったんだけどさ。やっぱこういう細やかな用事でも連絡取りたいじゃん、彼氏としては。
 「……潔くんって、案外束縛しいなんやねえ」いつかチームメイトに言われた言葉を思い出して、つい苦笑してしまう。バイト中のから返事はすぐにこないと分かっているけれど、昨日彼女が送ってきた「おやすみ」のスタンプをじっと見て、つい微笑んだ。
 二十二歳。
 高二の文化祭から始まったとの付き合いも、もう五年目だった。大学を卒業したら、一緒にドイツに来てほしいんだ。俺がにそう伝えてから、ちょうど一年が経とうとしていた。








 バイト先のお蕎麦屋さんから出たとき、世一くんから連絡があることに気がついた。
 「って同窓会行く?」だって。なんのことかわかんなくて、「同窓会って中学の? 高校の?」ってちまちま文字を打つ。重くたれこめた雲は空を隠して、じっとりとした空気はほとんど皮膚に纏わり付くみたいだった。アスファルトが雨を吸い込んだにおいと、焼き鳥屋さんのにおいが混じり合って、それが今日はちょっときもちわるかった。
 中学にしろ高校にしろ、今のところ私は同窓会のお知らせを受けていない。これからあるのか、それとも内輪だけの飲み会のことを選ばれし人々が「同窓会」と呼んでいるのか――いずれにせよ、世一くんに真っ先に連絡がいくのは何もおかしな話ではなかった。あのブルーロックに参加して一躍時の人となった世一くんは高校卒業後からプロのサッカー選手としてドイツで活躍していて、二年前の成人式に彼が参加できなかったのを、皆はそれはもう残念がっていたんだから。
 「え~! 世一きてないの?」「今どこにいるんだっけ? イタリアだっけ?」「サインもらおうと思ってたのに~!」と残念そうに声をあげていた当時の一軍女子たちの姿を思い出して、う、と胸を押さえる。あの日話題の中心は、そこにいない世一くんだった。世一くん、モテモテだったよ。特に女子たちが会いたがってたよ、って本人に言うのが嫌で、後日「どうだった? 成人式」ってドイツから尋ねて来た世一くんには「みんな大人っぽくなってたよ~」と言うに留めたのが、今から約二年前のこと。
 ――同窓会、あるんだぁ。
 中学か高校か、どっちのか、わかんないけど。でも、できたら高校がいいな。高校だったら私と世一くんが付き合っているのを知っている子の方が多いし、変にドキドキしなくていいもん。だけどほどなくして世一くんから送られて来たそこには、「中学! 皆に会えるのめっちゃ久しぶりだから、楽しみ」って書かれていた。
 ……中学。



「中学かぁ~……!」



 信号待ちをしているとき思わず口にしてしまったせいで、前にいたおじさんにちらりと視線を寄越される。咳払いで誤魔化したけど、多分、全然誤魔化せてなかっただろうな。
 それにしても中学。中学かぁ。正直あまり乗り気じゃない。お酒は元々得意じゃなかったし、マンモス校だったうちの中学は名前も知らない子の方がずっと多いから。成人式の後の飲み会だって、テンションの差がすごくてちょっと居心地悪かったし。だから多分、世一くんと付き合ってなかったら、世一くんが「楽しみ」って言ってなければ、誘われても断っていただろう。今回は、ちょっとパス、って。
 でも世一くんが行く以上、そういうわけにはいかない。積極的な女子たちに世一くんが惑わされないように、私が見ていなくちゃ。私の預かり知らぬところで世一くんがべたべた触られたり言い寄られたりするのは、絶対嫌だもん。
 私の所にはまだ連絡がないけど、もし来たら行く!
 そう返事を打ちながら、これで来なかったらちょっと傷つくな、って思ったけれど、翌日インスタ経由で同窓会のお知らせがきたから、とりあえずほっとした。








 同窓会の会場は、地元の居酒屋だった。店舗の二階の宴会場を貸切にしてもらったらしい。「そんなんで全員入るのかよ?」ってあのマンモス校での全校集会を思い出しながら尋ねれば、幹事を務めるソウちゃんが「急だったしそんな集まらなかったんだよ。同窓会って時期でもねえしさ」と教えてくれた。は「前回出席できなかった世一くんのために開いたってことなんだろうねぇ」と、何とも形容しがたい顔で口にしていたけれど、だとしたらありがたいよな。俺なんかに会いたいって思ってもらえるのは、素直に嬉しい。
 居酒屋まで一緒に行くつもりだったけれど、はそれをはっきりと拒絶した。



「ちーちゃんと行く約束したし、そうじゃなくても無理。世一くんと私が一緒に行ったらざわつくどころじゃないよ、私そんなの堪えられない」



 って。
 来年の春にははドイツに来るんだから、別に俺達の関係性がバレてもよくないか、とは思ったけれど(と言うのも既に俺たちは週刊誌にすっぱ抜かれているのだ。「高校からの付き合いであるAさんは、来春には渡独し潔選手を支える予定だ」――なんて風に)、だけどは「嫌ッ」と大仰に首を振ってみせた。



「全然知らない人たちにバレるのと、同じ中学だった人たちにわざわざバラすのとは違うじゃん! 私そんな目立ち方したくないよ、世一くんのこと狙ってるギャルたちに恨まれたくない!」

「いやギャルて。……ていうか、俺一応世間的には恋人いるってことになってるんだけど……」

「そういうの関係ない人には関係ないんだよ、彼女がいても奥さんがいても、行く人は行くんだよ!」

「マジか……」

「マジだよ大マジだよ。でも私めっちゃ見てるから、世一くんは可愛い女子にグラっと来てもだめだからね。同窓会では私に見られてることを意識して立ち振る舞ってね」



 熱弁してくれているところ悪いが、でもそんなこと言うならだってそうだよな。って彼氏の欲目かもしれないけど、爪の先から頭のてっぺんまで女の子、って感じで、すげえ可愛いし。お酒にめちゃくちゃ弱いのも手伝って、潰れるに男が寄ってきたっておかしくないんだから。
 だから、飲み過ぎないこと、なるべくちーちゃんさんと一緒にいること(とは中学で一度も同じクラスになっていないだけあって、俺はの言う「ちーちゃん」のことを良く知らないんだけど)を交換条件に、同窓会の当日はお互い距離を取ることを約束した。



「大丈夫だよ。自分のお酒の弱さなんて、私が一番よくわかってるんだから」



 はそう言って胸を張っていたけれど、でもバイト先の飲み会で酔い潰れて店長に家まで送ってもらった過去があるの「大丈夫」は、あんまり信用できなかった。








 同窓会の最中は他人のふりねって約束していたのに、当日ちーちゃんと一緒に居酒屋の二階に向かったとき、私よりも早くに到着していたらしく入り口近くで当時の仲良しグループと盛り上がっていた世一くんは「あ、久しぶり。さん」って私に手を振ったからぎょっとした。
 「仲良かったっけ?」って私はちーちゃんに、世一くんは男子達に聞かれたのを、それぞれ「高校でクラスが一緒だったから」って言い訳する。中学で一度も同じクラスになることのなかった私たちの接点は、一難高校での二年間だけだ。「久しぶりだねー」とか、「え、ごめん、美女すぎてわからん。さんと、そっち千曳さん?」とか、そういう同窓会特有の親しみとおどけの混ざった会話を彼らと私たちは少し交わしたけれど、世一くんの方は不自然なくらい見られなくて、困った。こういう場所で見る世一くんは、いつもより少し大人びて見えた。
 世一くんに急に声をかけられて動揺した心臓は、だけど彼のいるグループを離れてからも全然元に戻らなかった。空いていた席に座ってから、約束と違うよ、世一くん、って心の中で念を送っておいたけど、世一くんはもう私の方なんか見る気はないらしい。私たちの後からやって来た男子達にサインをせがまれて、「俺で良ければいーよ」って笑顔で応じている。世一くんは、もうすっかり有名人だ。彼のいる場所だけ、煌々と輝いて見えるくらいに。
 そんな彼と来年には結婚するなんて、変なの。
 左手の指輪をこっそり撫でながらそっと息を吐いて、ちーちゃんの「そういえばさぁ」から始まる会話に「なに~?」って身を乗り出した。世一くんの口から久しぶりに聞いた「さん」だけが、耳の窪みに引っかかって、今でもぽかぽかしていた。








 居酒屋の階段を上ってきたを見たとき、ちょっとぎょっとした。だって俺が見たことないワンピース着てんだもん。それも肩の出た、めちゃくちゃ可愛いやつ。髪はやわらかそうで、きらきらしたメイクも華奢なアクセサリーも良く似合っていた。デートだったら、めっちゃ褒めたんだけどな。
 ――こんなんだめだろ。
 プレゼントした指輪はちゃんと左手にしていてくれたから、だけどそれにはほっとした。
 他人のふりねと念を押されていたものの、一緒につるんでいたソウちゃんたちがたちを見て「お?」って声をあげたから、つい「久しぶり、さん」って声をかけてしまった。「お?」だけで独占欲が湧いて牽制してしまうなんて、流石にみっともないよな。――でもやっぱ心配なんだよ。たちが来る直前までこいつら、出会いほしい出会いほしいって言ってたわけだし。
 話しかけたらだめって言ったじゃん、って目でには見られたけど、でもたちが行った後、ソウちゃんたちは「二人とも美女でビビった」「あとで話しにいこ」って話していたから、今日一日を放っておくってのは、やっぱ無理かもしれない。








 六月なんて中途半端な時期の同窓会だったせいか、思ったより人は多くなかった。元々この日のためにホテルの会場を押さえていたものの、人数が集まらなかったからキャンセルしてこっちのお店に予約を取り直したんだって。「折角潔いるんだから、皆無理してでもくればよかったのにな」って近くのテーブルに座った子が話している声が聞こえたけど、でも世一くんに是が非でも会いたかった人たち、っていうのは、ちゃんと来てるんじゃないかな。だって世一くん、会が始まってからずっと誰かに囲まれてるし。ずーっと女の子がその両隣を譲らないし。
 幹事の男子が乾杯の音頭を取るとき、世一くんは皆の前で無理矢理挨拶させられていた。挨拶とか、あんま得意じゃないんだよな、って前話していたけれど、でも場数を踏んだ世一くんはもうこの数年でそういうのにも慣れちゃったんだろう。飛ばされるヤジも笑って突っ込む世一くんは、堂々としていた。試合の後インタビューを受けるときみたいな姿勢だって気がついて、ちょっとだけ笑った。
 だけどそんな世一くんを見ていると、なんだか奇妙な気分になる。私たちが付き合い始めてから過ぎていった五年の日々はちゃんとそこにあるはずなのに、急に別の――世一くんと私が恋人じゃない世界線に紛れ込んでしまったみたいな、そんな感覚に陥ってしまう。
 乾杯の後、大皿の食事を皆で取り分けたり、お水とお酒とを交互に飲んだりしながら、視線を世一くんの方に投げたり、なんとなく面影のある皆の顔を順番に眺めたりして、自分の中に影を落とした奇妙さをじっくり観察してみる。皆と一緒にわいわい騒いでいる世一くん。それから、比較的大人しいグループの集まるテーブルで、探り合いながら会話をする私たち。大人になっても、あの日々が薄く続いていて、私たちは黙ってそこに収まっている。「えー、働いてるんだ」「そうそうあそこの会社で雇ってもらえて」なんて会話をしながら、お酒をぐび、と飲む。水がなくなっちゃったけど、そのまま飲み続ける。私とは違うテーブルで、世一くんの笑い声がする。
 私たちって、ほんとに同じ中学だったんだなって、今更思い知ったみたいだった。私が世一くんを好きになったのは確かにあの夏だったのに、それが急に霞んで、遠くなって、私の手からこぼれ落ちていくみたいだった。お酒のせいかも。花壇、サッカーボール、緑色のホース、蝉の鳴き声と、鶴のポスター。全部全部、遠ざかっていく。すべてが夢の日々みたいに。
 ――ていうか、ほんとに、つきあってたっけ? 私たち。
 もしこの五年が夢だったらどうしよう。私が現実だと思っていたこれまでが全て都合のいいだけの空想で、私は本当に、高校卒業ぶりくらいに世一くんと会って、久しぶり、って会話をしたのも本当に久しぶりだからで、指輪だって自分で買ったもので、それで今世一くんは肩も胸も足も出したかつての一軍女子たちに囲まれてキャアキャア言われてお酒つがれてるんだとしたら、私、どうしたらいいんだろう。アルコールに浸された思考はふわふわと軽いのに、その色だけが澱んで、私の中に澱のように沈んでいく。甲高い笑い声も盛り上がる声も、世一くんの座るテーブルからで、私はそれが、妙にしんどい。



「ね、さんだっけ? めっちゃ飲むね。お酒強いんだ?」



 中途半端に残った料理を端から片付けながらアルコールで流し込んでいたら、いつの間にか隣に座っていたらしい男の子に声をかけられて、「はい!?」って大きい声を出してしまった。「高校一緒だった子らに挨拶だけしてくるね」って席を立ったちーちゃんは話が弾んでいるのか三つ先のテーブルに腰を落ち着けてしまっていて、私は必然と、ただ一人黙々とお酒を飲みご飯を食べ続け世一くんと自分の関係を疑う虚しい生き物になっていたのだった。



「お酒! 強いんだね! さん!」



 私が「はい!?」と言ったのは自分の声が聞き取れなかったせいだろうと判断したらしい男の子は、私に顔を近づけて、大きい声で言う。「ぜんぜんだよ」って答えながら、誰だったか思い出せなくて、ちょっと困った。でも彼の方だって「さんだっけ」って言ってたし、多分同じクラスだったわけじゃないんだろう。マンモス校の同窓会って、こういうとき困る。世一くんは、寄ってくる人たち全員と友達みたいに話しているけれど。
 そっと彼の方を盗み見たら、世一くんが女の子にくっつかれて、反対側に座り直して、でもそっちにも女の子がいて、万事休す、みたいになっていて、なんだかすごくいやだった。ものすごく、もやっとした。



「何飲んでたの? カラになりそうだし、次頼む? メニューどうぞ」

「え、ありがとう!」



 この人のことは良く覚えていないけれど、でもこうやって気遣いができる人って、優しくて素敵だ。世一くんもね、そうなんだよ。私と一緒にご飯に行くと、寒くないかとか、飲み物どうするかとか、聞いてくれるの。これは結構キツいしやめなよとか、この前飲んで具合悪くなったでしょとか、たまにうるさいんだけどね。でもこの人は何も言わなかった。私が「これすき」って言ったカルーア、「あー美味いよね」って、店員さんを呼んで注文してくれた。ついでにお皿を空っぽにするのも手伝ってくれた。優しい。「どんどん料理くるし、邪魔だもんね皿」って。ほんとにそうなの。久しぶりのカルーアミルク、おいしくて、二杯めもいった。途中で名前、ごめんね、なんだっけ、って聞いたら、ごにゃごにゃ、っていわれた。ちょうど世一くんたちのテーブルでどっかんって笑いが弾けたせいで、ちゃんと聞こえなかった。ごにゃごにゃくん。やさしいね。同じクラスになったことなかったよね。ね。って話してたら、だんだん視界がぼやぼやしてきた。そうだ。私昨日、うまく寝付けなくて、海外ドラマみてたんだ。ねえ、ごにゃごにゃくんは、あのドラマ知ってますか。シーズン3までみたんです。どこまでが脳内で考えてたことなのか、実際口にしたことなのかが判然としなくて、眠くて、こまった。「眠い?」って聞かれたことだけは、覚えていた。








 そろそろ飲み放題の時間も終わりそうで、料理も終わり。宴もたけなわってときだった。さっきの方を見た時はちーちゃんさんとのんびりお酒を飲んでいたはずだったのに、二年前に生まれたって言ういっちゃんの子供の面白動画集を皆で見た後くらいに改めて確認したら、信じられないことには酔い潰れていたのだ。
 いや、酔い潰れているだけならまだいい。ちーちゃんさんがいるんだったらギリセーフ。でもちーちゃんさんはいつの間にか全然別のテーブルにいて、元々彼女がいた席にはバスケ部だった前田がいる。それだけなら、許すよ、仕方ない。でもテーブルに突っ伏すの背に心配そうに手をやっているのは、どう考えたってアウトだろ。
 ――彼氏かよ。



「潔、二次会どうする? もーちょいしたら移動しようかと思うんだけど。あそこの焼き鳥屋とか――」



 幹事のソウちゃんが声をかけてくれたとき、俺は既に立ち上がっていた。ずっと俺の隣で新婚の旦那の悪口を並べていた木崎(もう木崎じゃないらしいけど、さっき聞いた新しい名字は飛んだ)が「え、どしたん」と目を丸くするが、構っていられない。



「ごめんソウちゃん、俺、今日はこれで帰るな」



 また日本に帰ってきたら飲も、って続けて。ソウちゃんの返事も待たずに荷物を持ってのところへ向かった。俺が移動しただけで、他のテーブルに座っているやつらからも視線が向けられる。プロサッカー選手になった俺はどうしたってもう有名人だ、ありがたいことなんだけどさ。でも窮屈は窮屈だ。そうじゃなかったら、こんな風に遠慮しなくてよかったのに、って。
 週刊誌で恋人の存在をすっぱ抜かれるのと、それが自分だって同級生にバレるのじゃ全然違う。はそう言っていた。でもやっぱ別に、もういいだろ。結婚するんだし。お前のこと、ドイツに連れて行くし。誰に何を言われたって関係ないよ。



「――



 前田の反対側からテーブルに手をついて、床に膝をつく。
 瞬間その場が静まった気がしたけど、別に、いいや。








 夢の中で世一くんに、って呼ばれた気がして、薄く目を開けた。
 おうち――ではない。私の家も、世一くんの家も、こんなにごちゃごちゃ物はないし、うるさくないから。ぼんやりする頭で身体を起こしたら、世一くんは「何杯飲んだらこんななるんだよ」って呆れたような、怒ったような声で言うから、何のことか分からなかった。



「立てる?」

「……たてるよー」

「ん、じゃ、帰ろ。――あ、そうだお金。ごめん前田。これ俺との分。ソウちゃんに払っといてくんね?」

「え、あ、ああ、わかった」

「サンキューな。、ほら、帰るぞ」

「ん、はい、かえる……」



 世一くんは私の身体を支えて、それから足がふらふらする私を「おいおいおいそっちじゃないから!」「いやそれの靴じゃないって」「絶対階段落ちるなよ」っていちいち注意しながら、お店の外に連れてってくれた。ざわめきは遠ざかったり近づいたり、視界はぐにゃぐにゃに曲がったり歪んだりで、きもちわるくて、困った。「え、あの二人つきあってんの!?」って、どこかのタイミングで誰かが言った声だけが、妙にべっとり耳にはりついていた。
 湿度のある夜風はきもちよくて、さっきまでのくすんだ、こもった、いろんな臭いの混じり合った空気にべたべたにされた髪や肌が、洗い流されていくみたいだった。「きもちい~」って呟いて、世一くんの腕にしがみついて歩く私を、世一くんは大きなため息で受け止める。今はそれが、どうしてか、いつもの十倍くらい嬉しい。



「――心配だからあんま飲むなって言ったじゃん。この酔っ払い」



 夜空に溶けるみたいな低い囁きは、アルコールで溶けた頭には届かない。切れた雲間から覗いた糸みたいに細い月を指差して、「ほそっ!」って叫んだら、世一くんはやっと声を出して笑った。次の日スマホにちーちゃんや他の子たちから連絡がいっぱい入っているのを見て初めて私は自分が何をしでかしたかを知ることになるんだけれど、この時の私は、お酒の力も手伝って、無敵の女の子みたいに思えていたんだよ、世一くん。