体調不良で入学式に遅刻したお前と、そもそもそんなもんハナからサボるつもりでいたあたしは、着ている制服が同じってだけで、当たり前のように、何もかもが正反対だった。
 高校の入学式の朝、人混みで雑然とする駅前でぼうっとしていたところをお前に捕まったのが運の尽きだ。あたしと同じ、黒いセーラー服を着たお前は半泣きで「あの、もしかして、あなたも鈴ヶ峰の新入生ですか?」と尋ねてきた。周りを見ても、こんなに大勢人間がいるってのに、おんなじ制服を着ているのはお前とあたしの二人しかいない。なんでこいつは、よりによってあたしなんかに話しかけてくるんだ? こんな、誰だって避けるような、明らかに不良のあたしなんかに。面倒でシカトしたってのに、お前は胸元のリボンの色で同学年と判断したらしい。「よかったぁ、初日から遅刻なんかしてどうしようって思ったの。一人じゃないならちょっとだけ安心」って笑って、一方的にあたしの腕を引いた。その細っこい腕からは考えられないような力強さに、思いがけずつんのめる。



「お、おい、やめろ。勝手に触んな」



 つーか入学式なんかかったるいもん、行く気ねぇよ、吐き捨てたってお前は聞く耳一つ持ちやしない。「式の途中から入っても、バレないかな?」いや、それはバレるに決まってんだろ。咄嗟に答えたあたしに、お前はわざわざあたしの顔を見上げて笑うもんだから、毒気を抜かれた。
 季節的には場違いでもなんでもないのに、並木道に咲き誇った桜の花は、どっかの写真から奪ってきたもんみたいに思えた。お前の手を振り払えなかったのは、その桜の美しさに飲まれたせいだけじゃない。お前は合気道だか柔道だか剣道だかボクシングだか、そのどれもだったかをやっていたせいか、力だけはあたしより強かったんだ。そう、だからだ。
 薄桃色の花弁が、色素の薄く、長い髪に絡みついていた。指先くらいの大きさのそれは、まるで最初から、そこにあって当然みたいな顔をしていた。生ぬるく肌を撫でる風が、気持ち悪くて仕方なかった。黒い制服についた桜の花を、お前が何か宝物でも掬うみたいに慎重にその指先に乗せるのを、じっと見ていた。その時から、似合わねえ制服、と思っていたのだ、ずっと。
 柔らかいその目尻がどこか、あたしの記憶の中のなっちゃんに似ていたから。
 だから。








「ユキちゃん、また喧嘩したの?」



 あたしが他校の連中と殴り合いをするのを、お前は酷く嫌がった。鉄板の入った鞄を見て「こんなの入れてどうするの」って眉根を寄せた。あたしのかすり傷には、花柄の、だせぇ絆創膏まで貼りやがる。ユキちゃんって呼ぶな、そう言っても、お前は臆せず「どうして」と言う。どうしてもこうしてもあるか。なっちゃんだけが、あたしをそう呼んだから、とは言わない。代わりに、あたしは親父がつけたその名前が、好きじゃないんだと言った。人を殺した男につけられた名前なんて、価値なんかないだろ。そこまで言えるわけは勿論ないから、お前がちっとも理解できない様子でいるのも、責めたりはできなかった。



「可愛い名前じゃない。私は好きだよ」

「……ああ、そうかよ」



 色んな部分が緩い女で構成された鈴ヶ峰では珍しく、お前はまっとうな人間だった。他の人間の汚れを浮き彫りにさせるような。ああ、そうだ、お前はまるで白熱灯のようだった。あたしはいつもその光に晒されて、息が詰まったんだ。あたしには、お前やなっちゃんと違って綺麗なとこなんか一個もなかったからさ。
 お前は賢い女だった。鈴ヶ峰なんかにゃいていいわけがないってくらい。同じクラスだったんだから、それくらい分かる。お前は間違いなく、ここじゃあ異分子だった。
 試験の日にお腹を壊しちゃってね。中学受験のときもそんな感じだった。はそう言って笑う。入学式も。緊張すると、どうしてもお腹が痛くなっちゃって、って。運の悪いやつ。そうじゃなければこいつは、こんな、道を歩いているだけで通行人が眉を顰めるような馬鹿な女子高の黒いセーラーなんか着ることなくいたんだろう。それこそ、なっちゃんの着る少女趣味全開の、咲良のやつとか。お前にはきっと、あそこの制服が良く似合った。
 知ってるか? お前、鈴ヶ峰始まって以来の才媛なんだってよ。喧嘩しか取り柄のないあたしなんかと一緒にいたら、お前の株まで下がっちまうな。そんなあたしの思いを知る由もなく、は笑う。でも、ユキちゃんと出会えたし、良かったよ、鈴ヶ峰で。なんて、良いわけあるか。
 すみれ橋の上、沈む夕陽を背にそう呟いたお前の横顔は、輪郭が空に溶けて、酷く美しかった。薄く広がる筋雲が、あの日の桜の色になる。息を吸ったら、お前が完璧なバランスで纏っていた空気の一部を、破壊してしまうんじゃないかと思った。だから、息、止めてたんだ、馬鹿みたいだろ。
 お前は美しかったのだ、泣けるほどに。








 男子校に乗り込んで生徒数十人と乱闘。十二人を病院送りにしたせいで留置所に、なんて馬鹿なことをしたねぇ。君、どうしてそんなことしたの。
 偉そうなおっさんに、理由なんかどうだっていいだろ、それよりあいつら全員生きてんのかよ。と返せば、腹が立つほど気の毒そうな目をされた。暴れたって良かったが、そんなことをしては益々面倒になるだけだろう。探られて痛いのはこちらの腹だ。だって、あいつは、やめてほしいと言ったのだ。何もしなくていいと。黙って、なかったことにするのだと。だからこれはあたしが勝手にやった報復で、だけど、マッポ連中にはそんなの通用するわけがない。あたしが余計なことを言えばに迷惑がかかっちまう。だから、何もかもを飲み込んだ。もういいの。そう泣いたの、弱々しく震える細い肩の感触だけは、今でも鮮明だった。
 護身用に色んな武術を教えられたって言っても、いざって時に何もできないんじゃ、意味ねえよ、



「我々に協力してほしい」



 数十人の男を相手に乱闘してねじ伏せてみせたあたしの噂を聞いて、わざわざこの庁舎にやって来たらしい男が静かに言った。あたしに半端な説教をしてくれた、さっきまで室内にいたマッポのおっさんを簡単に追い払ってみせたところからも、妙な権力を持っているに違いない。
 きな臭えな。
 胡散臭いスーツの男のかけた眼鏡は、西日を反射して光っていた。どうやらあたしの腕っ節を見込んでのことらしいが、雰囲気からして胡乱な男に協力してやる義理はない。それにあたしには、やることが。眉根を寄せて断れば、男は確かめるように、小さく首を傾げてみせた。



「君の父親、鷹宮平太は暴力団員を刺殺して、現在実刑で服役中だね」



 眼鏡野郎の口元に浮かんだ微かな笑みは、お前のそれとはまるで違った。








 の家は白くて、でかくて、信じられねぇことに門扉まであった。庭はあたしの部屋と同じくらいの大きさで、テレビの中でしか見ねえような、名前のよくわからねえ犬が繋がれていた。
 お見舞いに、って持って行ったどら焼きを、お前は一口でも食ってくれたかな。お前の、姉ちゃんみたいに若く見える母親はあたしを見るなり眉を顰めたし、お前の様子については口を濁すばかりで、ついぞ教えちゃくれなかったから。ただ、転校するとだけ。遠くに行くんだと。それが賢明だ。お前にはやっぱり、あんな掃き溜めみたいな学校は似合わない。
 追い払われなかっただけマシだ。お前のせいだと罵られなかっただけマシだ。いや、だけど、いっそ殴られた方がどれだけよかったか。「ヶ峰の鷹宮」とつるんでいたばかりに、お前は目を付けられて捕まって、怖い思いをすることになったんだからさ。
 どれだけお前を傷つけたあいつらを殴っても、殴っても、殴っても、お前についた傷が癒えないなら、報復なんか何の意味もないな。なぁ、あたし、あいつらを誰一人殺せなかったよ。なんて言いたかったわけじゃない。そもそもお前は復讐なんか望んでなかったから。あたしはせめてお前には直接別れを告げたかったんだ。あたし、事情があって、咲良に転校するんだ、って。こんなあたしが潜入捜査だってよ。笑えるよな。腕っ節しか取り柄のないあたしがあんなところに行って、馴染めるわけ、ないよな。
 でも、弱みを握られちまった。あんな眼鏡野郎の言いなりになるなんて、癪だけど。
 お前とはきっと二度と会えなくなるだろう。だけど、お前と一緒に居た一か月ぽっちは、案外悪くなかったんだぜ。
 お前と歩いたすみれ橋の日暮れの美しさを、あたしはきっと生涯記憶しているだろう。お前が持っていたセンスの欠片もねぇ絆創膏も。お前のノートに書かれていた字が整いすぎてちょっと気持ち悪かったことも。姿勢が良くて教室では逆に目立っていたことも。試しに穿かせてほしいと言うから貸してやったあたしの長すぎる制服のスカートが、お前にはちっとも似合わなかったことも。なっちゃんみたいだった。そう思ったこともあったけど、お前はなんていうかさ、もっと、不器用だ、あの子より。
 お前のことを友だちだとは、お前に傷をつけるきっかけを作っちまったあたしからは言えないけど。だけど、いや、だから、何もなくてもお前もあたしのこと、ちょっとくらいは覚えといてくれないか。
 どうか幸せに。体温のある生き物にするように桜の花びらを摘まんだ、お前のささくれ一つない綺麗な指が、あたしは好きだったよ。