2024年4月
地元の中学から咲良高校に入学したのは、私一人だった。が咲良に入れるなんて、奇跡じゃね。裏口入学でしょって紗友にからかわれたけど、私は実は先生ウケが悪いだけで、成績は良いのだ。
入学式、隣の席の眼鏡をかけた女の子が、びっくりするくらい美人だった。ヤクシジさんって言うらしい。ちょっと仲良くなってみたいなって思ったけど、同じ中学の子としか話す気はないっぽい。「ねえねえ、ヤクシジさんって髪の毛さらさらじゃんね」って話しかけたら、無言で目を逸らされちゃったもん。紗友にこのことを話したら、「ソッコー嫌われてんじゃん、ウケる」って笑われた。私はどうやら嫌われてしまったらしい。やっぱギャルは咲良じゃ浮くか。でも今更髪の毛を黒染めするのも面倒だし、化粧はやめられないし、ヤクシジさんが私を拒否るのも仕方ない。
2024年5月
ヤクシジさんと仲の良いキサラギトミちゃんが、SNSでバズった。あの子、めっちゃ歌上手いんだよ。びっくりしちゃった。教室で囲まれてるトミちゃんに「私も聞いたよ、歌、やばいね!」って声をかけたとき、やばいね、って言い終わるまで気がつかなかったんだけど、私、めちゃくちゃ緊張してたっぽい。手汗びっしょりだったもん。
トミちゃんは私が話しかけたことにびっくりして目をまん丸くしてたけど、変な間は一瞬だけで、すぐに「えー、ありがとう、うれしー」って笑ってくれた。赤い淵のあるおしゃれな眼鏡が良く似合うトミちゃんは、きっちり結われた三つ編みも相まって優等生っぽく見えなくもなかったんだけど、そうしてみると、女の私でもどきっとしてしまうくらいにコケティッシュな魅力があった。紗友はうっかりそのまま話しちゃった私に、「コケ? なに?」って怪訝そうな顔をした後、「どうでもいいけど、あたし今度からガッコーの友だちと帰るわー」と何てことないように口にした。オススメしたトミちゃんの動画を、紗友は開きもしなかった。
2024年6月
梅雨はヤバイ。何がって湿気。元々くせっ毛だし、染めているせいもあって、従姉のお姉ちゃんから貰った、遊び倒されたバービー人形の髪みたいにごわごわした手触りで、もうサイアクだ。自業自得なのは分かっているけれど、私は可愛くかつ健やかでありたい。要するに、髪は明るく染めたいしかつさらさらでもあってほしいので、「そもそも染めなきゃ良いじゃん」なんて頭ごなしに非難されても「それはそれとして髪の毛をつやつやにしたいんですよね」としか言えない。
私もウサミちゃん――トミちゃんのことだ。如月兎美だから、ウサミ。皆がそう呼んでたから、真似してみた。今のところ拒否られてはいない――みたいに、結った方が良いかもしれない。三つ編みするほど長くないけどさ。だってどうやったってヤクシジさんみたく真っ直ぐにはならないし。
ヤクシジさんの髪はつやつやで、さらさら。枝毛なんか1本もないに違いない。どういうケアしたらそうなるの? それとも生まれつき? お母さんも? 遺伝? そういうのを聞いたら、でも、ヤクシジさんは困ったような顔で目を逸らすんだろうな。私、「ソッコー嫌われちゃった」から。
そんなことを考えながら、帰路、傘をさす。ばたばたと傘を殴る雨の音と手に伝わる振動が心地よくて、ローファーの爪先に水が染みこむのも構わず、水たまりを蹴った。傘をさしている間は他人との距離が遠くなった気がして、案外悪くなかった。
その日、学校の近くの田んぼで墜落事故があったらしい。
2024年7月
先月起きた小型ヘリだったかの墜落事故に巻き込まれて以来、学校を休んでいたヤクシジさんが教室にやって来た。クラスメイトが遠巻きにしているのは、それがヤクシジさんだからだ。事故当時彼女と一緒に居たウサミちゃんは数日前に復帰していて、私たちクラスメイトは事故がどんなふうだったかっていうのをある程度ウサミちゃんから取り込んだ後だったから、っていうのもあるんだろうけど。
縁があるのか、ヤクシジさんが休んでいる間にあった二度目の席替えで、私はヤクシジさんの斜め後ろの席になっていた。だから、勇気を出して声をかけたのだ。「ねえ、ヤクシジさん、事故さあ、大丈夫だったの?」って。ヤクシジさんはそろりと振り向いた。私のと正反対の黒く長い髪を耳にかけたその手は、暑気のせいか少し汗ばんでいた。細い手首の、浮き上がった骨。青い血管を見て、これが彼女の体を走っているんだと思ったら、貧血みたいに、眩暈がした。ヤクシジさんって、爪の形から、全部きれいなのだ。
あなた誰、って言われたら、もう二度とヤクシジさんには話しかけられないって思ってたけど、ヤクシジさんは春と違って、内緒話でもするみたいに、眼鏡の奥の双眸を柔らかく細めてくれた。「ええ」って。「大丈夫。ありがとう、さん」って。びっくりした。ヤクシジさんって、私の名前知ってたんだ。
2024年8月
夏休み、近所のCDショップでクラスの仁科くんに声をかけられた。私が偶々手に取って眺めていたCDのグループが、好きなんだって。「歌詞がすごくエモくてさあ」って訴えるみたいに言う仁科くんの顔を、私はそういえば、初めてまともに見た気がした。仁科くんは、猫みたいな目をしていた。
「家にCDあるから、良かったら貸すよ」って言ってくれた仁科くんに頷いたのは、そのグループの真ん中にいた女の子が、どことなくヤクシジさんに似ていたからだ。その女の子が、どんな声で歌うのか気になった。顔に似合わず、鼻にかかるような、甘やかで少し癖のある声で歌う少女は、聴き終えてみると、もうヤクシジさんには見えなかった。
2024年9月
仁科くんに告白された。本当は春からずっと気になっていたんだ。だって。ああ、そうか、そう言えば良かったんだ。台風が通り過ぎた後の晴天、その肌に伝う汗を見たあの日。
2024年10月
仁科くんと帰っているところを見られたみたい。ヤクシジさんに「付き合ってるの?」って聞かれて、しどろもどろになってしまった。なんて返事をしたんだったかな。その目が真っ直ぐ私を見ていたことしか、もう覚えていない。
後で知ったことだけど、ヤクシジさんには好きな男の子がいるらしい。咲良の生徒じゃない男の子なんだって。ふうん。
2024年11月
ヤクシジさんとウサミちゃんが、真剣な面持ちで会話をしているところに出くわした。「もうすぐらしいの」「私は最後まで十郎と一緒にいるつもり」「でも、トミは逃げて」って、何の話だろう。内容よりも、「十郎」と呼ばれた男の子が気になった。「十郎」とやらがヤクシジさんの思い人なのだろうことは間違いないけれど、ウサミちゃんの肩越しに見えたその瞳は、どこか切迫めいていた。
2024年12月
雪の代わりに隕石が降った。隕石に巻き込まれて、紗友が死んだ。紗友との間にあった半年の空白は私に感慨の一つも与えてくれなかった。私って薄情なのかな、中学のときは、べったり一緒にいたんだけど。お葬式はなかった。隕石の後、怪獣が現われて、街を襲ったせいだ。どこからか現われたロボットが、街を守るために戦っていた。「もうすぐらしいの」というヤクシジさんの声だけが鮮明だった。
2025年1月
冬休み明け、っていうか、もう学校はやれないらしいから、冬休みは年が明けて二週間が経った今も終わってないっぽいんだけど、自宅待機とか言うから、退屈で動画ばっか見てた。あっちもこっちも騒がしい。隕石を間近で撮ってみた、とか、海がおかしいとか、定点カメラで見る街の様子とか。怪獣がぐんぐんとどこかへ進んでいく様子とか。ウサミちゃんの歌ってみた動画だけが、きらきら輝いて見えたけど、動画の再生回数は、どんどん伸びなくなっていく。学校からの定期連絡がなくなる。仁科くんからのメッセージが、宇宙みたいに静かな部屋で、泡が弾けるみたいに、ぱちぱちと光っている。
2025年2月
家が壊れちゃった。家族も、犬も、もういない。遺体どころか身体の一部すら見つからないから、どこかに逃げているんだと信じたいけれど。マンションも学校も病院も役所もビルも、倒壊してないものなんか何一つなかった。街には動かなくなった怪獣と、壊れた自動販売機。避難すべきなんだろう。でも、どこに行けば良いのか分からない。
染められなくなった髪、プリンみたいになってみっともない。こんな時でも、きっとヤクシジさんの髪は綺麗だ。動かなくなったSNS、鳴らないメッセージアプリ。誰とも繋がれないならスマホなんか持って行ったって意味がない。だけど「最後まで十郎と一緒に居る」と言っていたヤクシジさんは、こんな風に光の矢が降り注ぐ世界でも生きているに違いない。そう思うと、ちょっとだけ勇気が湧いた。ヤクシジさんの連絡先を知らない私は、もう彼女の声も聞くことはできないけれど、きっと「十郎」が守ってくれる。こんな風に、何もかもが崩れて、命という命が消え去った今でも。
本当は春からずっと気になっていたんだ。
もうかさかさになってしまった口の中で、知らずに呟いた。仁科くんが私にくれた言葉だった。だけど、私はもう、仁科くんの声が思い出せない。
世界の終わりって、色んなものが自分から零れ落ちていって、もう自分の身体一つ分の安全地帯もなくて、最後は手足を丸めて息を止めるものらしい。「本当は春からずっと気になっていたの」もう一度繰り返したその声が、瓦礫の間に埋もれて死んでいく。こんなときに、人から借りた言葉でしか思いを吐き出せないなんて、なんて惨めなんだろう。だけど、本当に、そう、私はずっと気になっていた。汚れのない眼鏡の奥で、諦めたみたいに目を伏せていた女の子が。せめてなにか一つでも残せたら良かった。
他人も自分もどうでもいいって顔をしたあの子が、取り繕って生きていた私を否定してくれた気がして。
最後に見たのは、あの子の後ろ姿でも射貫くような意思の強い瞳でもなんでもない。車体の凹んだ、錆びた車だった。
2025年3月
動かなくなったロボットが街に転がっていた。私たちの街は怪獣に飲み込まれていた。