動画に貼られたリンクからSNSのアカウントに飛んで、チェックできる部分を端から順に目を通していく。
 年代は、関数が苦手って言ってるし、私と一緒で間違いない。癖のある字、見覚えのあるクレープ――多分駅前の店のやつ――、爪の丸さ、可愛い雑貨と一緒に写る、アンダーリムの赤い眼鏡。そういう彼女の断片を表す記号めいたものたちよりも、まだ耳に残るあの甘やかな声の方が私の中に確信を生んでいたけれど、それでも繋ぎ合わせてしまえば、これはやっぱり、私の良く知る彼女だった。
 ウサミだ。
 何となく白に見えなくもない部分を丁寧に塗り潰した上でそう結論づけたとき、既に日付が変わっていた。何やってんだ、って、急に白けてしまったけれど、私はただ、思い込みたかっただけだったのかもしれない。私、こんな風に調べちゃってますけど、本当は全然あの子のことなんか興味ないんですよ、って、自分への言い訳みたいにして。同時に、嘘つけ、って、内側をじりじりと炙られるような感覚で思う。
 だって本当は、今もPC画面には表示しきれない彼女を追いかけたくてたまらない。彼女のことを教えてくれるSNSを全部天日干しするみたいに、このマウスをスクロールしたくてたまらない。
 後で乾かそうと思った髪は、もうほとんど乾いてしまっていて、今更ドライヤーなんか使わなくてもいいみたいだったけど、一応女子だしそういうわけにもいかなくて、作業用の馬鹿デカイ椅子の上で三角座りをしながら、古くなって異音のし始めたドライヤーの電源を入れた。一呼吸置いて、冷静になりたかったっていうのもある。ごお。手の平の中で鳴り続ける機械音も、心を落ち着かせる作用があったのだろうか。混乱で煮立ちかけていた感情が、少しずつ凪いでいく。



「ドライヤーの音って、ママのお腹の中にいたときの音に似てるんだって」



 そんな風に、とっておきの秘密を打ち明けるみたいにして話してくれたのは、小学生のウサミだった。
 あの頃のウサミはまだ眼鏡をかけていなくて、私は彼女のことをウサミではなくて「トミちゃん」と呼んでいた。「トミちゃんってものしりだねえ」って、黄色い帽子を被って、手を繋いで下校した。歌の好きな子で、私はトミちゃんの歌に合わせて、調子の狂った歌を乗せた。自分の歌が上手くなったみたいで、気持ち良かった。
 あぜ道の蛙も、畑に咲いた花も、よそのおうちのベランダに干された洗濯物が風で膨らんでいたことも、雨上がり、低木に作られた蜘蛛の巣がキラキラ輝いていたことも、蜘蛛に捕まった、既に息絶えた虫の死骸を、変な正義感で助けだそうとしたことだって良く覚えている。その辺の小枝は、私たちにとって、悪の親玉である蜘蛛と戦うための武器だった。
 家の外に繋がれていた大きな犬を撫でたら、その犬に図書室用の手提げバッグを取られて泣き叫んだこともあった。トミちゃんにどうにか取り返してもらったバッグはよだれまみれで、ママに怒られたっけ。トミちゃんは「私が触ってみようって言っちゃったから。ちゃん、ママに怒られちゃったでしょ。バッグも、ごめんね」って謝ってくれた。トミちゃんは何も悪くないのに、私は謝ってもらえたことがなんだか、自分を尊重してもらえたようで、嬉しくてたまらなかった。よだれと犬の毛でぐちゃぐちゃになったバッグなんか、もうどうだって良かった。
 ドライヤーを持つ手と反対側に容赦なく流れていく髪を眺めながら、ああ、こんな風に、何てことなくあの子を見送っていれば良かったのかなと、到底できもしなかったことを考える。
 そう、見送ってあげれば良かった。わざわざあの子を傷つけたりせず。
 今だから当時の自分のことを冷静に分析できるけれど、あの頃の私は、どうすればトミちゃんが困るのかを熟知していた。他の――如月兎美という名前の字面から、彼女を「ウサミ」と呼び始めた賢い女の子たち――と険悪になりがちだった私は、幼馴染みという立場に胡座をかいて、いつも彼女の手を強引に引っ張っていた。さも私が昔から呼んでいたみたいに、彼女のことを「ウサミ」と呼んだ。本当は、トミちゃんが私以外の女の子の方が気が合うみたいだってことを知っていた。ドラマや芸能人の話題ではなく、音楽の話をしたがっていたのだって。
 下らない嫉妬だ。私のトミちゃんを取らないで。なんて。
 トミちゃんが中高一貫の咲良に行くってことを、卒業式のときに彼女が着ていた制服で知った私は、初めて、殴られたような気になった。トミちゃんに殴られたんじゃない。私を殴ったのは、私の足の裏にあった第三者への優越感だ。周りの反応を見るに、トミちゃんは自分が校区内の学校には進学しないことを誰にも打ち明けていなかったみたいで、それが唯一の救いであったはずだけど、私は式が終わったとき、私に駆け寄ろうとしたトミちゃんに背を向けて、お母さんも置いて、一人で走って家に帰ってしまった。
 トミちゃんと歩いた通学路の途中で、何度も立ち止まって、えづきそうになったけど、耐えた。六年間の思い出はそのときの私には残酷すぎた。何もかもが鮮やかに、私の脳裏を駆け巡っていった。走馬灯って、多分あんな感じなんだろう。枝で壊した蜘蛛の巣も、雨の日の空気の匂いも、勝手に花をつんでしまって怒られたことも、あの日触った犬の体温も、ありとあらゆるものが私を置いて過ぎ去った。もうトミちゃんとは話したくなかった。裏切られた、って思った。だって私、トミちゃんとこれからもずっと一緒にいられるって、そう思い込んでいたから。
 以来、トミちゃんとは四年間、顔を合わせていない。








 精査の済んでいないSNSが映り込んだままのPC、端っこに表示される別のタブには、まだあの歌の動画が表示されたままだ。
 因幡うさぎ。歌ってみた。再生数はもう、目で数えるだけでも面倒臭いくらい。のびのびとした甘やかな声は、私にあの通学路の匂いを思い出させる。私は連れ戻されてしまう。やっと解放されたと思ったのに。なんて、そんなの自分勝手すぎるな。



「…………なんだよ」



 独りごちたその声は、ドライヤーの稼動音に負けずに響いてしまって、思わず足の指に力を入れた。
 トミちゃんが自分の元からいなくなったのは今に始まったことじゃないのに、彼女がどんどん遠くなっていくのを思い知らされる。PCから聞こえるトミちゃんの歌声に合わせて一緒に口ずさんだって、私はもう、あの頃の無敵の少女には戻れないし、トミちゃんが私の名前を呼んでくれることも、きっとない。