今現在、人類が二十人にも足らない私たちを残す以外になく、さらに我々の行く末は人工知能の権威である鞍部先生や新しい惑星を探査するための機械を研究している鷹宮教授、その他優秀な頭脳をお持ちの研究者やエンジニアの方々に委ねられている、といった状況である以上、人間の本能として己の遺伝子を残そうというプログラムが働くことは正常以外の何物でもない、と言うのが井田先輩の弁だ。



「だからお前のそれは、そういうもんなんだろ」



 向かい合って食事を摂る私を指で示しながら、井田先輩は面倒臭そうに目を細める。
 相変わらず嫌な人だ。偶然食堂で出会った私に、自分から「最近、何か面白い話ないのか」って聞いておきながら、私が持て余しすぎてどうしようもなくなってしまった三浦さんへの思いを打ち明けた途端に「それは生存本能だ」って切り捨てるなんて。
 学生時代からこの人はそういう自分勝手なところがあって、退屈がるくせに、興味のない話に関しては一蹴する人だった。人の気持ちが分からない。いつだって私を気遣ってくれる三浦さんとは、正反対。
 三浦さんは井田先輩とは違う。こんな状況でも思いやりを忘れず、体調を気遣ってくれる。低く、耳に馴染む声の持ち主で、男の人らしい逞しい腕をしている。2世紀前の戦争について熱心に質問を繰り返す彼は、私が受け持ったどの学生よりも素晴らしい生徒だった。彼はいつも真摯だった。私がそんな三浦さんに惹かれたのは、果たして本当に「生存本能」によるものなのだろうか。
 嫌な人、と思いながらも井田先輩の指摘する可能性について精査しようとしてしまうのは、自信がないせいだ。ずっと学問や小説にばかり恋をしてきたから。



「どいつもこいつも」



 私が「こいつ」であることは間違いないけれど、しかし一体「どいつ」とは誰のことを指すのだろう。そういうことを、思考に挟み込んでしまう。
 は、と短くため息を吐いた井田先輩の目はいつにも増して翳っていたけれど、彼の目を見て話すことを避けていた私に、そんなことは分かるはずもなかった。



「こんな時なのに、愛だの恋だの抜かす暇があるのが信じらんねえよ」



 このコロニーにいるメンバーを思い浮かべようとしたのに、それは井田先輩本人によって断ち切られた。
 人を好きになったことなんか一度もなさそうな井田先輩には、私の気持ちなんか分からないのだ、きっと。








 衛星軌道上から見る宇宙は私の研究室からの景色と似通うはずもなくて、どれだけ寝ぼけた頭でも自分の現状を認識するのは易かった。ナノマシンを使った戦争により、既に地球は滅亡している。その事実を、目を覚ます度思い知らされる。直前まで、過去の、家族や友人に囲まれる甘い夢を見ていたとしても。
 重力装置があるとは言え、船の中はどうにも歩きづらく、照明の白すぎる灯りに慣れるには随分時間がかかった。私は大多数の人間がそうであるように、日光を愛していた。だから、限られた嗜好品の中でもしもコーヒーがなかったら、気が狂っていたに違いない。
 通信室に入ると、いつもの手順でモニターを起動する。そこに浮かんだ短髪の、精悍な面立ちをした男性に、思わず背筋を伸ばした。「遅れてしまってすみません」と咄嗟に言いながら、時間を確認する。約束の5分前。彼は生真面目だった。そういうところが愛おしかった。



「いえ、私が早すぎたんです。さんのお話が早く聞きたくて」

「そんな、私の話に価値なんかないですよ」



 これまでの人類の歴史から見ても私たちは過ちを犯し続けてきたけれど、あの知恵の実は、人間が扱って良いものではなかった。歴史学者でなくたってそう結論づけることが可能である以上、現在の私に存在価値なんかあってないようなものだ。過去の日本に関してなど、データとして残された文献を紐解くだけでも何とかなるのだから。
 だけどモニターに浮かぶ三浦さんは、「そんなことないですよ」とその眦を柔らかく細めてくれる。



さんのおかげで、居住区の設計がどれだけ実際のものと近くなったか。私だけでは到底成しえませんでした」



 鷹宮教授の研究で惑星を探査し、鞍部先生のクローニング再生計画で人類を存続させる。しかしそこには文化や知識の継承が不可欠である。最早私が役に立てることといったらそこを除いて他になく、居住区の設計をするエンジニアである三浦さんとやりとりをすることが増えるのは必然だった。
 三浦さんの声は、根こそぎ奪われた私の土壌に入った罅を慈しむみたいに穏やかで、ともすると泣きたくなる。



さんがいてくださって、本当に良かった」



 私が彼に恋をするのも、仕方のないことだったのだ。
 例え彼に、将来を約束し合った恋人がいたとしても。








「あんた、そんなリップサービスを真に受けるのか」

「…………」



 井田先輩の乾いた笑いに眉を寄せる。私をからかうことに何か見出すものがあったらしいこの人は、最近では妙に私にちょっかいをかけてくるようになっていた。同じコロニーにいる以上、元々顔見知りであった彼が私を構うのは仕方のないことなのかもしれないけれど、いくらなんでも思いやりがなさすぎる。
 ここのパスタは口の中がパサパサして飲み込みにくい。次からはもう少し、さっと食事を済ませられるものにしようと心に決めた。この人から逃げられるように。
 井田先輩は、こんな風になった今でも私を後輩扱いするから厄介だ。そして、下僕根性のある私もまた彼の前では小さくなってしまう。大学どころか、地球すらももう終わったのに、私たちという関係は未だに終わっていない。



「……別に、良いじゃないですか。アイドルに元気をもらうのと一緒ですもん。私にとって三浦さんはアイドルなんです」

「あんな不器用そうなアイドルいねえよ。アイドルってのはもっと裏があるもんだろ」

「…………それは井田先輩の主観じゃないですか」



 もう放っておいてくださいと言えたらどんなに楽だろう。いや、だけど、そんなことよりも、私は気がついている。
 井田先輩の言う通り、この恋は「生存本能」だと認めてしまえたら、どんなに楽なのかを。







 私はずけずけモノを言うあなたが苦手だ、井田先輩。学生の頃から、ずっと。
 だけど、そんな風に私を呼び捨てにしてくれる人は、もうあなたを置いて他にいなくなってしまったな。



「そんなに好きなら、いっそ奪っちまえば?」



 宇宙船の中、井田先輩は、酷く疲れた顔をしていた。
 私は彼よりは幾分、まだ、まともでいた。








 私が彼の隣に立ちたいなどと真に願ったことはないと言えば嘘になるけれど、あの快活な女性――南さんだ。鷹宮教授のご息女でいらっしゃる――から彼を奪おうと思ったことなど一度もない。そして、叶わない思いならばせめて来世で、などと願うようなロマンチストでもなかった。
 こんな私を目にかけて下さっている鞍部先生は、私の遺伝子を残してクローンを作れば、いつか地球に似た惑星に降り立った「私」が、もしかしたら三浦さんを射止めることができるのではないか、と考えていらっしゃるようだったけれど、でもそれって一体何の意味があるんだろう? だってそれは私かもしれないけれど、私じゃない。私は自分に、これ以上の惨めな思いをしてまで生きていてほしくなかった。地球が死んだとき、本来、私もまた死ぬべきだったのだ。
 研究室はなくなり、私のできることも少なくなっていく。窓からの景色はもう四季を与えず、穏やかな風が頬を撫でることもなくなった。好きな作家は全員亡くなり、楽しみにしていた映画の続編もない。生存本能に似た恋をして、空っぽになった心を埋めるふりだけが上手くなって、その実私は井田先輩が絶望していることに見て見ぬ振りをしている。
 私たちは遠くない未来滅びを迎えるだろう。それがどういったものなのかは、過去を学ぶしか能のない私には分からないけれど。いずれにせよ、その時私の隣に三浦さんはいないし、孤独に沈んだ井田先輩は最後まで救われない。








 どこかで酷い爆発音がした。モニターはもう何も映し出さなかった。宇宙船が激しく揺れて、あれだけ恨んだ白熱の灯りが音を立てて消えていく。ああ、結局、何もならない命だったと呟けば、暗闇と衝撃の中寄り添ってくださっていた鞍部先生が首を振った。世界を救うのが彼女で良かった。人類はここで終わるけれど、真の意味では続いていく。



「お前のそれは、もうほとんど自殺だよ」



 私が未来のために遺伝子を残さない選択をしたときの井田先輩の言葉だけが、こんなときなのに酷く鮮明で、どうしてか笑えた。