セイロス教の敬虔な信徒など、珍しくない。
 教会に通い、主に祈りを捧げる者など数えていては日が暮れるだろう。彼らは頭を下げ己の罪を告解し、懺悔する。打算し他者を貶めたこと、感情のままに他人を傷つけたこと、己に嘘を吐いたこと。姦淫、望まず起こしてしまった殺人、果ては本人の心に落ちた、見る者が見れば笑い飛ばしてしまえるほど細やかな染みに至るまで。キリが無いな。これでは話を聞かされる女神も大変だ。
 形のない偶像に縋る者を愚かだとは思わない。そうすることで安らげるならば、何かに依存することは悪いことではない。少なくとも僕は貴族として、模範となるようにセイロスを信奉している。生来の現実主義の性根が邪魔をして、心酔することまではできないがね。
 士官学校に来てからも、それは変わらなかった。荘厳な大聖堂を見ても、特別心は揺らがない。毎年、青海の節になると、馬車に乗って礼拝に訪れていたせいもあるだろう。美しいとは思うが、今更僕の心をかき立てるようなものではなかった。だけど、エドマンド領よりもさらに西、かろうじてフォドラと呼べる、パルミラとの国境に位置する鄙びた村に生まれた彼女にとっては、そうではないらしい。



「すご〜い……!」



 大聖堂を初めて訪れた大樹の節、間延びした声で、彼女は人目も憚らず、両手を広げて回った。よほど感動しているのか、制服の下衣が捲れ上がりそうになっているのに気がつきもしない。
 セイロス教の信徒でありながら、彼女はこれまで一度もガルグ=マクを訪れたことはなかったらしい。だが、女神再誕の儀のある青海の節ですら足を運ぶことをしなかった信者というのは、貴族なら兎も角、平民ならばさほど珍しいものではないとは思う。何せ、フォドラは広いからね。一年に一度ガルグ=マクを訪れるなんて真似は、近隣の村々に住んでいるわけでもないなら負担でしかないだろう。
 だからああしてはしゃいでいるのだ。生まれて初めて見る大聖堂に。
 窘めることは、しかし僕がする必要はないはずだ。彼女は平民。同じ学級に所属するものとして、最低限の品位は持ち得てほしいものではあるけれど、学級の生徒が問題を起こしてまず困るのは級長であるクロードだ。リーガン家の跡継ぎだか何だか知らないが、ついこの間までその存在を明らかにされていなかった男など信頼するに足りない。
 さて、彼はどうするか。そう目線を送れば、クロードはあろうことか彼女と隣で一緒になって、天井を見上げ目を見張らせていたのだった。



「ほ〜、確かにこりゃすごいな」

「ほんと、すっごい天井高いよねえ」

「まったくだ。それにあそこにある飾り、ありゃあどうやって作ったんだろうな?」

「ね! 誰が建築したのかは明らかになってないっていうけど、千年も前にこれだけの技術があったって思うと、びっくりしちゃうよね。私、材料があったとしても作れないよ」



 間の抜けているようで、しかしその会話には最低限の知識がある。
 平民が士官学校に入る方法は限られている。私財を投げ打つほどの金を払うのだ。商人の親を持つならば兎も角、彼女やレオニーさんのように「村をあげて」となると、本人がそれだけの期待を背負うほどの神童であることが最低条件だろう。入学を許されてこの場にいるということは、特別な才覚が彼女らに備わっていることの証左でもあった。
 クロードの隣で、先ほどまで目に余るほどはしゃいでいた彼女はぴたりと動きを止めて、具に大聖堂内部を観察している。並んで天井を見上げる二人は距離が近く、気安い関係であることを窺わせているようにも思えた。まだ出会って数日だぞ。しかも彼は貴族で、彼女は平民だと言うのに。
 そんな肩書きなど関係がないとでも言うのだろうか。
 僕にはそんな無責任なことは、嘘でも言えない。



「すごくきれい。目に焼き付けておこう」



 ため息混じりにそう呟いた彼女の声は、いつまでも僕の耳にこびりついていた。
 目に焼き付けておかずとも、来ようと思えば毎朝毎晩でも足を運べるだろう。我々はこれから一年間、この修道院に付属した士官学校で学ぶのだから。思ったけれど、何も言わなかった。
 彼女、さんは、変わった平民の女の子だった。









 まるで海綿だ。
 さんの普段の様子を見る度、僕は「掃除するのに便利なんだよな」とレオニーさんが見せてくれたあの便利な道具を思い出す。
 さんは、授業で学んだことは何でも吸収した。担任のハンネマン先生にくっついて、食事の時ですら質問を浴びせる始末だった。紋章学に興味があるらしく、他学級のリンハルトくんと話し込んでいるのも見た事がある。まあ、半分は「今は眠すぎて君と話す気分じゃない」と逃げられていたけれどね。
 武器を扱うことは、少し苦手らしかった。人を傷つけることも。魔法の素養はあったようだが、僕やリシテアくんほどではない。彼女は学者を目指していたから、誰かを攻撃するための力を必要とはしていなかった。訓練の時間は、それでも重たそうに剣を引きずって、打ち合っていたな。
 一度よろけてひっくり返った先で頭を打ったらしく、意識を失ってしまったものだから、ラファエルくんが抱きかかえて彼女を医務室に連れて行ったこともある。授業が終わってから見舞いに行ったヒルダさんが、「甘い物が食べたいって言ってるから食堂まで取りに行って来るねー」と言って戻って来たのに、リシテアさんが付き添った。「あの時のお菓子、すっごい美味しかった、なんて名前のお菓子?」元気になった彼女が三人で話しているのが耳に届いたときは、平民は菓子の名前も知らないのかと驚いた。
 イグナーツくんと一緒に、大修道院内を歩きながら随所に飾られた芸術品を鑑賞している姿を見たことは、一度や二度では足りない。彼女は美術品の類を愛していた。レオニーさんとは言わずもがな気が合うらしく、一緒に城郭都市に出かけては掘り出し物を見つけてきたと喜んでいた。馬の世話をするのが得意で、あのマリアンヌさんとも早々に打ち解けては、厩舎でクスクスと笑い合っていたのも幾度となく見かけた。その二人に割って入るクロードの、遠慮の無い声だけが、どうしてか癪に障った。
 僕は今日も、神に祈るふりをする。








 彼女はセイロス教の、敬虔な信徒だった。
 どれだけ忙しくても、毎日の祈りをかかさなかった。それは僕のような形式的なものとは違って、何か逼迫した寂しさを感じさせるものだった。大聖堂では、彼女はいつも一人だ。周囲に見えない円を描き、誰も寄せ付けようとしない。彼女は祈っている。罪なんか一つも背負ったことのないような、美しい目をしているのに。
 いつも同じ時間、大聖堂で祈りを捧げる彼女の後ろ姿を、僕は良く眺めていた。僕が祈るのは、貴族としての責務で、己に課した義務だ。定められた聖句を心の中で諳んじながら、その実僕はそこに自分の心がないことを知っている。とうの昔から、神などに祈ることの馬鹿らしさを知っている。口にはしないがね。
 そうして薄ら目を開けた時、熱心な信者など掃いて捨てるほどいるのに、祭壇の中央に立つ彼女の、曲線を描いた背だけが、どうしてか薄らとした光を放っているように見えるのだ。例え僕も心から女神を信じていたとしたって、あの美しさは手に入らない。恐らく、どう足掻こうと。
 祈りを終えると、彼女はいつも天井を見上げる。大樹の節の頃、クロードと二人そうしていたように、千年前の誰かが掘った飾りを、ただじっと見つめている。あれはもう、目に焼き付けておいたのではなかったか? 聞きたくても、聞けない。
 大聖堂を彼女が出て行ってから暫くして、寮へと戻るために扉を抜けた。住み着いた猫を撫でる彼女の丸まった背を見つけたときは、つい声をかけてしまいそうになったけれど、結局飲み込んだ。
 祈りの後、たまに彼女はああして、猫を相手にしている。
 僕を待っているようだと考えたことは一度だけあるけれど、流石にそれはないだろう。だって僕達は、今まで一度だって会話をしたことがない。








「ローレンツくんは私のことを嫌っていると思ったの」



 士官学校に入学してから一年が経とうとしていた。赤く滲む空を飛ぶ竜騎兵の数を数えながら、さんはそう呟く。
 セイロス騎士団の怒号、錯綜する情報の直中にいるとは思えない落ち着いた声音だったけれど、「これで死んじゃうかもしれないから、後悔したくなくて」と言うさんの目は、揺らいでいた。ガルグ=マクに宣戦布告したアドラステア帝国が、軍を率いて攻めてくる、世界の終わりのような日だった。
 青獅子の学級担任であるベレト先生が、僕達の学級にまで指示を寄越す。城郭都市との間にある防壁を破られてはならないと。クロードは、僕達を探しているだろう。早く戻らねばなるまい。「平民だからっていうのもあるけれど、私、多分ローレンツくんにとって、何か嫌な存在だったのかなあって思う」だって、平民でもレオニーちゃんとはおしゃべりしてたもんね、と、しかし彼女は、ぽつりぽつりと言うのだった。



「ごめんね」



 嫌いだとか、嫌な存在だとか、何か明確な理由があって君を避けていたわけではない、そう言ったところで、そんなものはきっと嘘だと伝わってしまうだろう。だけど、息を飲むほどの赤い西日のもとにいたあなたのその髪が放つ光の粒子を見て、僕は首を振ってしまった。違うのだ、と。
 さんは、言葉も無く首を振る僕を不思議そうに見つめている。違うのだ。違うのだ。僕があなたを避けていたのは。
 下衣が捲れるのも気にせずくるくると回るあなたは、この世の不条理など何も知らぬ無垢な少女のようだった。クロードの隣で大聖堂の天井を見上げたその目はだけど真理を食らい尽くそうとする魔女のようにも見えた。その落差に意識を持って行かれたのだ。そんなこと、今更口にはできないな。そうだ、恋をしてしまいそうだった、だから僕は、あなたの傍にいなかった。
 彼女が言うように、もしも彼女が平民でなかったとしたら――グロスタールに相応しい名前の貴族であるならば――僕は彼女がハンネマン先生にくっついて歩くのを窘めただろうか。紋章学の本を探してやっただろうか。倒れれば抱きかかえて医務室まで運んでやったか。紅茶でも淹れてやって、菓子を二人で食べたか。美術品を取り寄せてやったか。買い物に付き合ったか。厩舎の当番を彼女と一緒になることがないよう調整することもなかったか。舞踏会であなたの手を取ったか。祈るその背に声をかけ、猫の腹を撫でたか。
 そうしたら僕は、恐れずにあなたの放つ光に触れることができたのだろうか。
 無意識に、その髪に手を伸ばしかける。だけど、彼女は困ったような顔をして、そっと身を引いた。平民で無ければ、彼女が平民で無ければ、僕は彼女を、愛していたと言えたのかもしれなかったけれど、そんなのはもう今更どうにもならないな。小さく笑ったその時、さんは、眉尻を下げて、泣きそうな顔で笑った。それだけでもう、十分だった。
 炎のような夕焼けだった。やがてその炎はこの大修道院を襲い、彼女の愛した大聖堂の天井を、いとも簡単に崩落させてしまう。打ち明けられることなどあるはずがなかった僕の思いは、この春に消える。