玲王くんがやる気の無い凪くんに対して手厚いケアをしているのは今に始まったことじゃない。
登下校の際にばぁやさんの運転する車に乗せたり、部活前に教室に迎えに来たり、サッカーで使うスパイクを見繕ってあげたり、放っておくとお昼を抜くことがある凪くんにパンを準備しておいてあげたり――そういうのに対して私は嫉妬めいたものを感じることはない。だって凪くんだし。と思っていたんだけど、でも実際のところはそうじゃなかったみたいだ。だってこの前、玲王くんが凪くんをおんぶしているところを見てしまったとき、ガン、って頭を殴られたみたいに思ったから。
その時の衝撃って言ったらない。玲王くんと一緒に帰る約束をしていて、浮き足立つ気持ちを抑えながら部活が終わるまでの時間を待っていた私は、凪くんを軽々おんぶする玲王くんとそんな彼にリラックスした様子で身体を預ける凪くんの姿を見て、びっくりしすぎて木の陰に隠れてしまった。心臓はバクバクして、口から飛び出そうだった。呼吸を整えてからこっそり顔半分を覗かせて、二人分の歪な影を確かめた。全然見間違えじゃなかった。おんぶだ! 玲王くん、おんぶしてる!
確かに凪くんは軽々に「おんぶしてー」って言うし、私も言われたことがある。だけど物理的に無理、っていうのがなかったとしてもきっと私はそれを凪くんの冗談だと受け取ったはずだから、それを平然とやってのけてみせる玲王くんに私はすっかり動揺していたのだ。おんぶ、しちゃうんだ、って。私にもしてくれたことないのに、って。
無意識に半開きになった唇の端から、ため息とも嗚咽とも判別のつかない音が漏れた。玲王くんが私を恋人と宣言してくれてから、半月と少し。高波が押し寄せるようにあっという間に学校中に広がったそれがようやく落ち着き始めたのが七月になってからで、おかげさまで校内でも普通に話しかけたり話しかけられたりができるようにはなってきたから、こんな風に身を隠すのも何だか懐かしいような心地がしたけれど。でもこんな懐かしさは、別にいらなかったな。
「んだよさっきから。見すぎだっつの」
正面に座って勉強していた玲王くんの姿をぼんやり見つめていたら、不意にそう言われて顔を上げられて、冗談抜きで身体が跳ねた。
その日はテスト直前の日曜日だから、玲王くんの部活はお休み(それでも午前中に凪くんを引き摺って練習をしてきたっていうのは、ストイックな玲王くんらしい)。午後からは私の部屋で勉強会をしていたんだけど、ここ連日勉強ばかりしていたせいで私の方に疲れが出ていたみたいだ。玲王くんの手を見つめながら、あの日の放課後のことを思い出して心が遠くにいっていたくらいなんだから。
「なに、わかんないとこあった?」
「ん、だ、だいじょうぶ。なんとかやれています」
「ほんとかよ? 詰まったらいつでも聞けよー?」
「あっ、でも多分雰囲気的に次の問題で詰まります……」
「なんで解く前から予見してんだよ」
笑う玲王くんに、おざなりに笑い返す。でもその「おざなり加減」を玲王くんは見抜いたんだろう。不意にじっとこっちを見つめて、玲王くんは見透かすようにその目を細めた。その瞳に、思わずどきりとする。シャーペンを持っていない方の手がテーブルの向こう側から伸びてきて、反射的に身を竦めた。玲王くんの指先が私の前髪を払うために額を掠めた直後、「どーした?」って、玲王くんは低く私に尋ねる。私が考え事をしていることなんて、全部お見通しですよ、とでも言うみたいに。
「う」
その格好良さって言ったら、もう形容のしようがない。
玲王くんがいるだけで、私の部屋は全然別物みたいだった。空気が丸ごと入れ替わって、塗り替えられたみたいだった。すきだ、って思う。玲王くんのアーモンドみたいな形をした目、短くて、意思の強そうな眉、笑うと少しだけ幼くなるところ、血管の浮き出た手は私のものよりずっと大きくて、それで、ものすごく力持ちなところ。――自分より背の高い凪くんをおんぶできるくらい。
「………………」
私は、そのときよっぽどおかしな顔をしていたんだと思う。
玲王くんが不思議そうに首を傾げて、「?」って私の名前を呼んだ。それでも反応しないから、シャーペンで軽くおでこをつつかれた。「マジでどうした?」って、その声色に心配の色が混じったときだ。私の口がうっかり、「おんぶ」って漏らしてしまったのは。
「は?」
「おんぶ、してたのを、見まして」
「おんぶ?」
「この前、見た。玲王くんが凪くんをおんぶしてたの」
「ああ~?」
玲王くんは、文化祭のことがあって以来「なんでも言えよ」って私に言う。私は無自覚に溜め込みすぎて、大体ひとりで思い悩んで悪い方に行ってしまうから、って。でもこれに関しては、玲王くんも想像していなかったんだろう。まさか私が玲王くんが凪くんをおんぶしているところを見ていて、それについて思うところがある、なんて。おんぶしてたけど、それがなんだよ。そうと言わんばかりの表情に、私はだけど躊躇ったりしなかった。「遠慮」は必要の無い誤解を生む、って、最近学んだばかりだったから。
「凪くんの面倒を玲王くんが見るのは分かるよ? 大切なパートナーだし、代わりはいないもん。スパイクをプレゼントするのも、ご飯を一緒に食べるのも、車に乗せてあげるのもわかる、わかるけど、でも、でもおんぶはずるくないですか……!?」
勇気を出してそう口にした私に、玲王くんは目をまん丸にしたまま「はぁ?」って、言うだけだった。
「おんぶはずるくないですか……!?」
に言われて、面食らう。
が言っているのは、凪のことだ。まあ、凪以外におぶってやった相手なんかいないから、が凪の名前を出さなかったとしても推測することは簡単だったけれど。
凪をおんぶしてやるのなんて、今となっちゃ日常茶飯事だ。あいつは部活中にすぐ電池が切れるし、テコでも動かなくなるときがあるから。凪の気分が変わるのを待つより俺が移動させてやる方が合理的。タイムイズマネー。時間は有効に使うべき――そう思っているがための行為が傍から見たらどう映るかなんて、正直どうだってよかったんだけどな。
でも、まあ、そうか。からしたら流石に複雑、ってことなんだろう。いくら俺と凪が同性同士とは言え。確かに俺だってが皆瀬とベタベタ必要以上にくっついてたら、多少は思うところがあるだろうし。要するに、嫉妬にカテゴライズされるものだ。のそれは。
「ずるい」はヘンだけどな?
そう思ったらなんだか面白くて、つい笑ってしまった。「なんだそれ」って。真剣な顔をしているには悪いけど。
は笑う俺を見てはっと目を見開いた。それから、なんで笑われているのかちっとも分からない、そういった目で俺を見る。それが結構可愛く見えたから、冗談半分、本気半分で尋ねたのだ。
「ずるいってんなら、もおんぶしてやろーか?」
って。
目をますます丸くしたは、何度か大きく瞬きをして、それからちょっと考えるように目を伏せる。顔を真っ赤にして首をぶんぶん振って断る流れかと思ったから正直思案されたのにも驚いたけれど、まさか「じゃあテストが終わったら、がんばったご褒美におんぶしてほしいです……」って言われるとは思わなくて、「そんなんでいいのかよ、お前のごほーび」って、声をあげて笑った。
こいつといるの飽きないな、って思いながら。